モブBの目撃
※腹黒彼女
※女モブ視点
元来人とコミュニケーションを取るのが上手くなかったので、友人は多いほうではありません。好きこそ物の上手なれ、とも言うけど好きでもないから余計に苦手で。だから本の世界に引き篭もっている方がずっと楽しかったんです。四方八方を本に囲まれて、静かな空間で非現実世界に思いを馳せることが出来る図書館は、利用するは多いけど騒ぐ人はいないから快適で。特に今日はそれが顕著だったんです。昼休みなのに珍しく回りに人がいないため、私一人で貸切状態でした。
「ふふ、静かだなあ」
お気に入りの本を手に、窓際の日当たりの良いところに陣取ってページを捲る、この時間がずっと続いたら幸せだなあとひしひし感じます。次の授業は体育。運動が苦手な私にとってかなり苦痛な時間なので、考えるだけ憂鬱になってしまう。なので思いっきり空想の世界に浸ろうと思います。
「――――」
「―、 、」
「悠」
が、誰かの喋り声がするのに気がついてハッと我に返りました。そして読みかけの本を閉じて、一番近くの本棚の影に逃げ込みました。あれ?私はどうして隠れているんだろう?悠という名前で思い当たる人が一人。声の主は花宮くんと掛川さんでした。少し近寄り難いけど掛川さんとは本のことで少しだけお話したことがあります。花宮くんとは一度も話したことがありません。彼は掛川さん以上に近寄り難いので。
「興味のあった本は粗方読んじゃったから、ちょっと趣向変えようかと思って」
「趣向を変えるって…。大雑把だな。どういうのが良いんだよ」
「なんでも良い。とりあえず長いのが読みたい」
「…長さでいえばロシア文学だろうな」
「ロシア文学…。ドストエフスキーとかトルストイ、ショーロホフ辺りね」
「ジュコーフスキーにレールモントフ、ツルゲーネフ、プーシキン、ブーニン、レスコフ。現代ならグルホフスキーにルキヤネンコ、マリーニナ、ペレーヴィン、ソローキンってところだな。民族性というか、ロシア人は話好きな傾向があるから会話が多い。だから話の展開と全く関係ない部分で議論やらが多くてそれを延々と読まされて疲れるが」
次々と出てくる有名どころの作家の名前に聞いたこともないような名前。頭に疑問符が浮かびます。どうしてそんなこと暗誦できるんですか、二人とも。
「ああ、確かに少し疲れるかも」
「疲れるって分かってて読むのか、お前は」
「そういう気分なの」
「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は」
「もう読んだ」
二人は本棚を縫うように歩き回りながら、作家に関すること、本の内容や感想を延々と話しているようでした。
「ドストエフスキーで例を挙げると、代表作のどれも1000ページ超えてる量だからな。思索や議論が好きっつうのは民族性とも言えるし、厳冬を強いられる風土に拠るもんなんだろうよ」
「ああ、室内で過ごす時間が長いからあれこれ思考を巡らせて議論する習慣が息づいてきた、っていうことね。それにしてもロシアの文豪ってどうしてこう多いわけ?」
「それはロシアの後進性と関わりがある。この時代のフランスはヨーロッパの中でも最強の国だったからな。ヨーロッパ外交の公用語はフランス語で、それに倣って宮廷の公式言語もフランス語。『文明から外れた野蛮な国』だった新興国ロシアの上流階級の連中は西欧文化に憧れとコンプレックスを持っていたらしい」
「へえ」
「だから経験に頼らず、思考や論理にのみ基づいて文化を発展させようとした。その中でも文学は哲学的な背景や構造が強固になったんだろ。難解な哲学書よりも分かりやすい。そういう点で日本人も比較的好みにしやすい。二葉亭四迷や田山花袋もロシア文学の影響を受けてるらしいしな」
「…ねえ、花宮」
「あ?」
「ロシア文学、好きなの?」
「いや別に」
普通の会話をしているようなのに、聞いているこちらは何故か授業を受けているかのような気分になります。あの二人はいつもあんな話をしているんでしょうか。物凄く勉強になりそうです。
「好きでもないのにそこまで詳しいもん?」
「評論家の本を少し齧ったんだよ」
「ふうん」
しばしの沈黙のあと、背表紙を眺めていた掛川さんが黙々と本棚から本を取り出していきます。
「で、結局何にしたんだ」
「『戦争と平和』。まだ読んでなかった」
「全部借りるのかよ」
「はい、持って」
「は?」
「教室まで持ってくれればいい」
「自分で持っていけ」
「有難いわ、助かる」
「自分で持っていけって言ってるだろうが。何のための耳だ」
「離せ馬鹿」
「悠、爪立てるな」
花宮くんが掛川さんの耳を抓ると、それの仕返しとばかりに、掛川さんが花宮くんの腕に爪を立てる様子が少しだけ見えました。一見すると喧嘩しているようにしか見えないけど、花宮くんと掛川さんのやり取りってテンポがいいように思います。以前にバスケ部の原くんに「二人とも息がぴったりだよね〜」と言われた時、揃って「どこが?」と凄く怒ってましたけど、彼の言う通り阿吽の呼吸で動いてるようです。
「チッ、男の癖にこれくらいも持てないのか」
「喧嘩売ってるのか」
「別に」
言葉がなくてもどこか通じ合っているような、そんな空気があって。同い年の人にそんなこと言うのはおかしいとは思うんですが、(ちょっと物騒な単語が聞こえてますけど)それが私には、二人が長年連れ添った夫婦のようにしか見えませんでした。
霧崎第一高校の日常2
(モブBの目撃)
モブBさんは花宮長編でこっそり出てきてる。
20130601