優しい空間
※岩柱元継子
おばみつ描写あり。苦手な方はご注意ください。


「律ちゃーん!」

名前を呼ばれて振り返ると、薄緑と桃色の鮮やかな髪をした彼女がいた。手を振りながらこちらに駆けてくる。久方ぶりに見るその笑顔は相変わらず可愛らしくて可憐だ。短めの隊服からは瑞々しい足が惜しげなく見えている。

「み、蜜璃ちゃ…おぶっ!」

「久しぶりー!会えなくて寂しかったわ!」

やや長身の彼女に抱きしめられるとわたしの顔は豊満な胸に半分ほど沈む。振り返そうとしていた手は抱き竦められて簀巻き状態になっている。苦しいと思いながらも心地よい体温にしばらくこのままでいてもいいかも知れないと現を抜かしていると、ヌッと人影が視界に入り込んだ。

「貴様、甘露寺とはどういう仲だ」

左右で違う色の瞳、口元に包帯、肩に巻きついている蛇。紛れもないこの方は伊黒様だ。

「へ、へび柱様…」

「伊黒さん!紹介するわね!この子は朽葉律ちゃん!わたしの同期なの!」

「お初お目に掛かります。階級は…」

「ふん、階級など興味もない。甘露寺の同期というならば名前くらいは覚えておいてやる」

う、噂には聞いていたけど物凄くねちっこい喋り方をされる…!不快さを全面に押し出した対応を見ても、蜜璃ちゃんは何故かときめいている。彼女のときめく基準は謎が多い。蜜璃ちゃんとわたしは同期で更に同い年ということから意気投合してからというもの、任務の合間を縫って文通をしている。だから蛇柱である伊黒様の話もいくつか聞いている。

「わたしったら律ちゃんのこと、はじめは殿方だとばかり思っていたの…!」

「…女だったのかお前」

「は、はい。このような身なりをしてますので間違えられても致し方ないかと」

「でも昔は髪が長かったでしょう?御髪おぐしの長い殿方も素敵〜って勘違いしてたわ!」

恥ずかしいわ!と赤くなる頬を手で覆う。その所作がいちいち可愛らしい。絶壁に等しい胸元に短く切った髪など、わたしに女らしい要素は多くない。現に蛇柱様に男と間違われているし、そもそも女だとすぐに分かってもらえることの方が少ない。この手の見間違いにはもう慣れた。

「そういえば律ちゃん、これからご飯?」

「ええ、任務の前に腹拵えをしようと思っていたところで…」

これから半里ほど離れた町まで赴くことになっている。腹が減っては戦えない。しっかり食べようと思ってご飯処に足を運んだら蜜璃ちゃんと蛇柱様にお会いした。恐らくお二人は一緒にお店に入られるところだったのだろう。

「せっかくだしみんなで一緒にご飯食べましょう!」

「えっ!?」

「あら…久しぶりだからと思ったんだけど…だめかしら…」

目に見えて落ち込む蜜璃ちゃんを前にしては断る選択肢など消えて失せる。彼女の手を取って握り締める。彼女はわたしの数少ない友人だ。無下にできない。

「ぜ、全然!とても嬉しいよ!話したいことがたくさんあるし!」

「ほう…?」

うっ…!締められているわけでもないのに、首元が窮屈に感じられる。蛇柱様の視線が厳しい!そして痛い!まるで突き刺さるよう!そうだ、蛇柱様は蜜璃ちゃんとの食事を楽しみにされていたはずだ。なのにわたしがその間に割って入るのは些か…いやだいぶ憚られる。しかし蜜璃ちゃんの申し出を断るのは胸が痛い。

「わ、わたしは…その…蛇柱様さえ宜しければ…」

わたしのような下々の隊士が柱を前にして主張などできようか。成り行きに任せよう。蛇柱様、どうぞわたしのことなど気にせず蜜璃ちゃんとお食事をなさってください。きっとこの方ならどうにかしてわたしを遠ざけるはずだ。お願いします。

「…甘露寺が望むなら構わない」

「えっ」

「それなら決まりね!」

蛇柱様の視線がまた突き刺さる。痛い…!美味しいご飯処に案内するわねと手を引くのはいいんだけどわたしではなく蛇柱様の手を握られた方がいいかと…!このままだとわたし殺されかねない…!蜜璃ちゃんってばああ…!



「何故わたしも同席する流れになったのでしょうか…。というか同席させていただいてもいいものでしょうか…」

「普通ならば有り得なかっただろうな。そもそも甘露寺と同期で尚且つ女でなければあの場で斬り捨ててやっていた。感謝することだ」

蛇柱様のあまりにも物騒な物言いと眼力にわたしは硬直する。蛇柱様とわたしの間にはこんなにも殺伐とした空気が流れているのに蜜璃ちゃんはお品書きを見てキュンキュンしている。

「二人は何にするの?わたしはポークカツレツを八つにするわ!」

「わ、わたしは親子丼…一つで…」

「黒豆茶を一つ」

注文を聞いた店員さんはそそくさと立ち去った。ご飯処で頼んだのがお茶だけ?と疑問に思っていると蜜璃ちゃんが小声で耳打ちしてくれた。

「伊黒さんはね、すごく小食なのよ」

聞けば三日ほどは食べなくても大丈夫な体をしているらしい。なんと人間離れした内臓を持っているのだろう。食事が運ばれてくるまでの間に談笑は続いた。時たま蛇柱様の刺すような視線を感じて悪寒がすることがあったけど、蜜璃ちゃんと話していることが気に食わないわけでないようだった。

「お待たせしました。黒豆茶、親子丼とポークカツレツでごさいます」

蜜璃ちゃんの前にはお皿が八つ、ずらりと並んでいる。壮観だ。こんな光景なかなか見れないだろう。にこにこと嬉しそうにカツレツを口に運んでいる。幸せそうに食べる蜜璃ちゃんを見ていると心が穏やかになる。

ふと、顔を上げると蛇柱様も蜜璃ちゃんをじっと見つめていた。刺々しさのない柔和な表情。わたしに向けられていたものとは全くの別物だ。瞳には慈しむような感情が讃えられていてふふふ、と思わず笑いが溢れた。

「ん?律ちゃん。どうしたの?」

「朽葉、貴様なにを笑っている」

「失礼しました。なんでもありません」

わたしは蛇柱様をねちっこくて陰険な方だと勘違いしていたようだった。蜜璃ちゃんのご飯を食べる様子を見ている蛇柱様の顔つきが優しくて驚いたけど、とても慈愛に満ちた目をされていた。蜜璃ちゃんの傍らに居ることが幸せそうに見える。成り行きでも二人の空間に少しだけでも触れられてよかったと思えた。


20200725
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