研ぎ磨き鍛えろ
※岩柱元継子
※相似的な殺意の続き
隠の方々に指示をして雑木林や近隣の後片付けを終えひと段落した途端、異様にお腹が空いていたのだと自覚した。更には体中が鉛のように重く感じられ目眩までする始末だった。
「藤の花の家紋のお屋敷でお世話になろう…」
一里を駆けた代償というか、知らずのうちに体に相当な負担となっていたらしい。まだまだ修行が足りないと恥ずかしく思いつつも、あまりの疲弊から藤の花の家紋のお屋敷を目指した。門を潜ってすぐ、屋敷の方にかなり心配され改めて自分の身なりを見てギョッとした。
草履はボロボロで羽織りは泥と埃で汚れ、汗と砂に塗れて髪の毛は絡まっていた。そんな格好で赴いては驚かせて当然だ。反省しつつも広い湯殿で羽を伸ばし夕餉をご馳走になろうとしているときだった。茶碗にご飯を盛りながら女中さんが話しかけてきた。
「そういえば、数刻前に一人いらっしゃったんですよ。一日にお二方も鬼殺の方をお迎えするとは思っておりませんでした」
「それはそれは…。お忙しい中に参ってしまいすみませんでした」
「とんでもございません。我々は鬼殺の方々に奉仕するのが生業でもございます故」
「因みに、既にお屋敷を訪ねている鬼殺の者はどのような身なりでしたでしょうか」
「身体中に傷痕のある御仁でございます」
思い当たる人物がすぐ脳内に浮かんだ。本格的に食事をする前に伺って挨拶でもするべきかと思案していると、襖が開いた。
「よう。あんだけ走り回れば流石に疲れてるだろォ」
「不死川様!」
柱自らがわたしのような者のところへ足を運んでくださったことに恐縮する。気を利かせて女中さんが出て行ったので座敷には不死川様とわたしだけがいる。胡座をかいてドカリと座ると、不死川様は些か神妙な面持ちでわたしを見定める。
「朽葉。甲の階級であるお前が雑魚に手こずるとは思えねえ。呼吸が使えないわけじゃあるまい」
前置きはなく、唐突に話し始めた内容で不死川様の意思が即座に分かった。徒らに鬼を逃してその後を追っていたのではないか、とわたしは嫌疑にかけられている。回答次第では隊律違反にもなり得る。
「鬼を仕留められなかった理由を言え」
ほんの僅かな時間のやり取りで、こちらを見透かすように問う不死川様には言い訳は通用しないだろう。
「申し訳ありません。実を言うと、呼吸を体得してはいるのですが岩のそれとは相性がそこまで良いわけではないらしく…。扱いに苦心しています」
故に先刻の鬼にもいいように逃げ回られ無駄に追いかけ回す羽目になった。
「鬼と戦うために得たものに振り回されて、鬼を取り逃す。鬼殺の者としてあり得ない失態です」
数刻前の己がした行動は一歩間違えば更なる犠牲者を出していた可能性がある。鬼を悉く狩ると覚悟を決めたのにこの体たらくはなんだ。腹立たしさと虚しさで臓腑が重い。
「岩の呼吸をどうにか使えるようにならなくてはと修行は欠かしていませんが…」
苛立ちから拳に力が入る。なんと無力なのか。口籠るわたしを見て徐に不死川様は問う。
「炎柱・煉獄の呼吸が何か知っているか」
「炎の呼吸でございます」
「では恋柱・甘露寺のそれは」
「恋の呼吸と聞き及んでいます」
この二人に一体どのような関係があるのか、と疑問符を浮かべていると不死川様は腕を組みながらその答えを示した。
「甘露寺は煉獄の元で炎の呼吸を体得すべく修行をしていた」
「恋柱様が、炎柱様の継子だったのですか」
「が、結果を見てみろ。炎から派生した恋の呼吸を体得している。師弟だが同じ呼吸を使ってはいない」
「…知りませんでした」
「いくつもの修羅場をくぐってきた悲鳴嶼さんは確かに強い。が、使っている岩の呼吸を他の柱が使っても最強になれるわけじゃねぇ。継子だからとそれに執着してたら使いこなせるもんもこなせないぜェ」
組んでいた腕を解きわたしを指差す。わたしを見遣るその目つきは鋭く厳しいものではあれ嘲りや蔑みを含まない。この人は、手段を示してくれている。
「お前に合う呼吸かあるはずだ。甘露寺が炎ではなく恋の呼吸を得たのと同じようにな」
「わたしに合う呼吸、ですか…」
それは岩の呼吸を礎にして新たな呼吸を作り出すということに他ならない。そんなことが出来うるのか?不安が湧き上がる。以前のわたしが鬼殺隊に入るというような、明確な目標や答えがあるわけではない。
「お前、稽古つけてやろうか」
「よ、よろしいのですか!?」
柱直々に稽古をつけてくださるなんて。渡りに船ではないか。胸に立ち込める不安がスッと薄くなる。不死川様は立ち上がりながら言う。
「鬼どもを始末する手段が妨げになったら元も子もねえ。なら鍛えて使えるようにするのが道理だろォ」
怒りの矛先を向けたとて矛が錆びついていてはなんの意味もない。さしずめ今のわたしは鈍らというわけだ。鈍らは研がねば使い物にならない。
「俺の稽古は至極簡単。木刀で打ち合うだけだ。明日、忘れずに持って来い」
*
岩柱の元継子というだけあって、朽葉は体力も腕力も頭抜けている。
「はっ!」
ピシッと髪の先端に木刀が掠めて音が鳴った。臆せず打ち込む度胸、立て続けの打撃にも負けない膂力、ついてこれるだけの体力があり且つ配分を見誤らない。体力面、精神面は及第点だ。が、まだまだ甘い。
「オラァ!隙があるぜ気を緩めるなァ!」
「ぐえっ!」
蹴りを受け止めきれず吹っ飛んで砂利の地面に転がる朽葉は痛みに悶絶していた。息をしようと口を戦慄かせ目を剥いている。
「一歩、いやもう二歩足りねえぞ。途中で手を緩める癖があるなァお前。鬼が塵になるまで攻撃の手を止めるな」
転がったまま肩で息をする朽葉の喉元に木刀を突きつける。乱れた髪の合間から瞳がかち合う。
「悲鳴嶼さんの修行が性に合う、と言ってたなァ。そりゃお前が内側に向かっているからだ。あの人が課したことは言わば自分との戦いみたいなもんだからな。だがこの修行は違う。意識を外に向けろ。溜め込まず出せ。お前が殺すべきはなんだ。鬼だろ」
滝行も丸太担ぎも岩運びも、どれも決して強制ではなかったはずだ。その修行に自ら取り組み成したのなら自分の弱みや甘えに負けることはまずないだろう。ならば、それをどこに向けるかという話になる。
「意識を、外に…」
「攻撃と防御。お前は後者に偏りすぎている。何のための呼吸かを思い出せ。初心を忘れるな」
こちらの指示に頷きながら頬の泥を拭い、疑問を口にした。
「あの、不死川様。ひとつお伺いしてもよろしいですか」
「なんだ」
「木刀で打ち合うだけだと仰っておりましだが、わたしは先ほど思い切り蹴られました…。何故です?」
朽葉は首を傾げる。脇腹への蹴りに、反射的に対応したとはいえ咄嗟に腕で庇い打撃を弱めた。肋骨が折れてもおかしくないそれを打撲程度に留めている。
「蹴った理由か。それはお前が岩柱の継子だったからだ。研鑽を積んだのならより実戦的にやるのが手っ取り早い。それとこの稽古は木刀で気絶するまで打ち合うって言っただろォ。本気でやれよ」
気絶するまでの部分は初耳でございます!と驚き悲鳴を上げた。日輪刀だけでなく手足も駆使して戦うことを想定するべきだ。途方のなさから朽葉は頭を抱えたがすぐに考えを改めて立ち上がる。
「気絶するまで、と聞いたからとて弱気になってはいられません」
「いい根性だ」
「そして気絶しなければ延々とお相手をしていただけるということですね。気配りは一切せず打ち込めるし打ち込んでいただけると」
「…おお」
そういう受け取り方をした奴が過去に一人でもいたかァ?逃げ出すどころか突っ込んで来るとは、やはりどうかしてるなこいつ。
「ただでさえ身に余るお気遣いをしていただいてるのです。手ぶらでは帰れません」
木刀を構える。纏う雰囲気には気後れも恐怖の色もない。打撃全てから学びとろうとする貪欲な姿勢が見て取れた。昨日、鬼を屠るべく使った俺の技を見ていた時と同じ目をしている。いい心意気だ。
「殺すつもりでやるから殺す気で来い。手を抜くと死ぬぞォ!」
「はい!参ります!」
それから半刻ほど休みも取らず打ち合い続けた。先に折れたのは朽葉と木刀で一区切りつくや否や倒れ込んだ。皮膚のあちらこちらに擦過傷ができて血が滲んでいる。掌のマメもいくつか破れて痛々しい。
「はぁ、お前は本当に体力だけは底なしでいやがるなァ」
「お、お褒めに…預かり…光栄…はぁ…」
言葉尻が萎んでいく。悲鳴嶼さんの修行とは違う苛酷さに朽葉は精根尽き果てたような顔をしている。滴る汗が砂利に落ちて染みを作った。
「明日も続きやるかァ」
「よろしくお願いします!」
朽葉は二つ返事をした。指一本でも動かすのに難儀するほどに体力を使い切り今にも卒倒しそうになりながらも、まだ眼は生きている。煌々としている瞳の奥に消して折れまいと意志が宿っている。
20200627