社会人の花宮と乾杯する
※腹黒彼女

うず高く積み上げられた仕事を前にして陰鬱な気持ちになった。一息ついて気分を入れ替えよう。気分転換をすべくコーヒーを求めて向かった自販機の前で同期と出くわした。

「役職上がったね。おめでと」

こうして休憩時間に同期と顔を合わせたのは久しぶりで、真っ先に話題にのぼるのは想定内だ。新年度の異動の際に役職が変更になった。有り体に言えば昇進。祝われたが手放しに喜べはしない。わたしの心中を察してくれたのか返事をする前に話を続けた。

「ま、人手不足の状態じゃおめでとうで済まないよね。目も回る忙しさだよね、今」

「捌いても捌いても減らないしやることが山のようにある上に人員補充はなし。なのに昇進させた人事部を憎むわ」

「はは、名前っぽい返答だわ」

かくいう同期も半年前の異動の際に昇進してリーダーに抜擢された。もともと仕事ができる人で人間関係もすこぶる良好だったのだが、時たまこぼれる愚痴は業務のみに止まらず人間関係に波及し日に日に苛烈になっていった。立場が変われば見えるものも変わる。わたしは今その変化の波に飲まれている。

「残業時間、もう30時間超えそう」

「わたしもだよー。残業するな、業績は出せっていう癖に終わらないタスクだらけだもんね。残業しないとか無理。不可能」

「だよね。完全にキャパオーバー」

あははーと二人して空笑いをする。そして業務が雪だるま式に増えていく現実を嘆いてため息を吐く。同期と二人してコーヒー片手に情報共有と意見交換、互いの状況報告のような雑談を交わした。あまりにもささやかな息抜きを終えてデスクに戻った。



「苗字さんおめでとう」

帰宅するなり昔から反吐が出るほど毛嫌いしていた奴が笑顔でわたしを出迎えた。嘘くさい微笑みになんの違和感もなく滑り込んでくる祝意の言葉。あー、嫌だ嫌だ鬱陶しい。眉間に皺を寄せて胡乱げに見ているわたしに対して、花宮は貼りつけていた笑みを消した。

「反応くらいしろよ。面白みがない」

「知ったことか」

花宮の今の態度は嫌がらせと受け取る以外に選択肢がない。嫌がらせには無反応でいるべきだ。悪意を持っているなら尚更。

「昇進祝いだ」

「そういうの止めてくれる?寒気がする」

突っぱねるよりも先に渡されたのは白のスパークリングワインのボトル。差し出されたそれを見て益々眉間に皺が寄る。こいつ、わたしが酒の類が飲めないと知っていながら敢えてこれを選ぶか。ボトルを花宮に押し返した。

「人の心がわかるから的確に嫌がることができるわけね。本当に腹立つ」

「お前会社でもその態度じゃねえだろうな」

「んな訳ないでしょ」

スーツから部屋着に着替えてリビングへ行けばローテーブルに先程のワインとグラスが二つ、申し訳程度のつまみが用意されていた。ますます嫌がらせの意味合いが強くなる。

「どんな風の吹き回しよ」

「意地でも人の好意を受け取らないみたいだな」

「ええそりゃあもう」

わたしの経験則が、その好意には裏があって然るべきと言っている。花宮のやり方への対処は骨の髄まで染み付いている。息をするのと同じくらいに対応できるはずなのに。ワインの入ったグラスを差し出され、不服ながらも受け取る。そしてその流れでグラスを軽く当て合えば、カチンと涼やかな音が鳴る。なんで花宮と乾杯しなければならないのか。

納得いかないながらもグラスを傾ければ、ふわりとアルコールの薫りが鼻をくすぐる。口に広がる味に少しばかり驚いて目を見張った。すんなり飲み込んでしまってから飲みやすい、と気がつく。

「子供みたいな舌の持ち主でもこれならいけるだろ」

わたしの反応を見て花宮は鼻で笑う。下戸でも飲めるものを選んだのだろう。確かに口当たりは良い。良いが、素直に首を縦には振れない。振りたくはない。

「…不味くない。アンタがわざわざ用意するものだから、とびきり酷いのかと覚悟してたからちょっと拍子抜けしたわ」

「名前てめえ…」

青筋を浮かべる花宮を横目にもう一口。仄かに色付いている液体は喉をするりと滑り落ちていく。心地よいと感じる反面、お腹の辺りは少しばかり熱を持っている。程々に留めておこう。そう思うくらいに舌に馴染む。悪意の片鱗を見せない一連の出来事に肩透かしを食いつつも、明日からまた少しだけ頑張るかと予想外の贈り物を口にした。

20200716
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -