何万回でも何億回でも
※三尉夢主
目は口ほどに物を言う。だがそれ以外に感情が見え隠れするのは手だ。アインの手はいつもきつく握られていて外部からの接触を良しとせず、介入を許さない。頑なに押し殺しているのは懊悩や感情、願望だったりするんだろう。貝のように閉じられたアインの心。閉じざるをえなかった。閉じることで自分を守った。閉じる以外の道が、選択肢がなかった。
「鼻につきます」
ギャラルホルンの組織構成員数は膨大だ。尊敬に値する者もいれば、仕事以外で付き合うのは御免被りたい者もいる。大多数が差し障りのない関係を築けるが、僅かではあるものの同じ空間にいることさえ苦痛に感じる者も一定数いる。
「何を偉そうに。手柄を横取りすることだけで出世した人間が上官というのは精神衛生上よろしくないですね」
「ナマエ、そういうことは慎むべきだ」
もとの性格もあるだろうが立場がそうさせるんだろう。偉そうにしている。それが鼻につく。納得いかない。私にも許し難い人間の一人や二人くらいいる。にも関わらず、アインはその上官の悪口を言うことを憚る上に諭した。
「何故です」
美味しいところだけ掻っ攫う。甘い蜜だけを吸い己の肥やしとする。真摯さに欠く品位の低い人間のすることだ。詰られても軽んじられても陰口を叩かれても文句は言えまい。小汚い手口で他人を蹴落としているのだから。
「上官である点を除けば、彼の存在は貴方の中での比重は大きくないはず。何故庇うんです」
振り返ってアインに視線を遣ると、彼は心なしか居住まいを正しながら答えた。キリリとした目元は質素ながらも美しい。
「あの方は俺を指導してくれた。仕事とはいえそんな容易く割り切ることは」
出来ない。首を横に振りながら、故に決して詰るような真似はしないと。真摯でない奴を庇うのだ。飽くまで真摯に。
「アインらしい」
熟考すればその答えは想像に難くないものだった。仕事であろうとなかろうと、何らかの知識と経験を与えた者は蔑ろにはしない。例え相手が人間性にやや欠ける人物であったとしても。言わんとしていることは分かった。でも、まだ、手はきつく閉じられたままだ。
「真面目ですね」
「いや、そんな」
「まあ、そんな風に真っ直ぐで脇目も振らずにいるところが好きなんですけどね」
口をついて出た言葉を反芻して言い過ぎたかと思うと同時にアインは「止めてくれ」と苦々しく、照れ臭そうに顔を歪めた。恥ずかしさを誤魔化そうと口が曲がっている。そうそう、そういうところ。冗談を間に受け止めるひたむきさ。とはいえ、さっきの言葉に嘘はないのだけれど。本当に素直な人だ、貴方は。
「アインに免じて、陰口は慎みます。好きな人にそう言われたら頷く他ありませんので」
「!」
一言一句に表情を白黒させて慌てふためく様子ときたら、なんとも言えぬ可愛さがある。良く言えば初心、悪く言えば冗談が通じない。どちらにせよ、私と向き合う時の顔にこういった表情があるのは幸いなことだ。
「他の人にそういう顔は見せないでくださいね」
「えっ」
「なんだか独り占めしたくなるんです、アインのその豊かな表情は」
どういう顔をしているのか自覚する暇なんてきっとないんだろうし、与えたくない。耳まで赤くなったかと思えば、サーッと音がしそうな勢いで血の気が引いたりと百面相だ。私が彼の気持ちを揺り動かしたが故のもの。
「ナマエ、待て」
「笑ったり怒ったり、むくれてない色んな顔が見たいんです」
「ナマエ」
彼はそうしようと働きかける私に嫌気がさすだろうか。好きな子を泣かせたい子供染みた衝動がフツリフツリと心の奥底で沸き立つのを自覚しながらも止められない。目の前の欲求には勝てない。突けば得られる快感には、抗えないのだ。
「初めて声をかける時、貴方があまりに仏頂面だったので凄く勇気が要りました」
「……、っ」
矢継ぎ早にからかいを交えつつ好意の言葉を零しながら、彼の数歩前を早足で歩いた。彼が狼狽する様子をもっと見たくて。それでも度が過ぎたかと僅かながらに反省の念が浮かぶ。今、彼は一体どんな表情を浮かべているんだろう。
「でも話すうちにそうやって怒ったり笑ったりしてくれて、とても嬉しいです。出来うるならこれから先は私にだけに見せて欲しい……と言うのは冗談」
「待ってくれ…!」
強引に体が翻される。アインの手は、私のそれより一回り大きかった。筋張った手の甲にスラリと伸びるようでがっしりしている指。その大きな手に肩と腕を掴まれて心臓が飛び跳ねる錯覚すら覚えた。眉間に深く皺を作ったアインが私を見下ろしている。怒ってはいない。ただ困っているだけ。私の紡ぐ言葉の数々で居心地悪いのだ。
「それ以上は、本当に、止めてくれ」
「…ご、ごめんなさい」
必死に懇願されて、滅多に見れない切羽詰まった様子に私までドギマギしてしまって条件反射で謝るけど、「でも貴方が可愛くて」と続きそうになる。羞恥に染まる、困惑する、懇願する顔すら愛おしい。胸が苦しいほどに。息が閊える。出来るのであれば、その黒い手袋の向こう側、熱のある皮膚に触れたかった。でもいい。拳を開いてくれたのであれば、きっとそう出来る日も遠くない。止めてくれ、と言ってくれた。それだけで大きな変化ではなかろうか。アインの手に私のそれを添える。ああ、なんて喜ばしいことだろう。
「手、大きいんですね」
頑なに開こうとしなかった掌で、私の体に触れている。その事実が、今は何より嬉しい。場違いな発言にキョトンとするアインのそれを握り返しながら見上げる。
「アインの手、好きですよ」
人一倍努力している手。とても魅力的だから好き。また凝りもせず言うと「止める気はないんだな!?」と叱られたけれど、またこうして触れることが出来るのであればいくらでも軽口を叩いてやろう。
何万回でも何億回でも
貴方に触れて好きと言おう。嘘偽りのない言葉を囁こう。困惑して狼狽して怒ったとて言い続けよう。呆れ果てて仕方ないと観念してのただ一度でもいい。貴方の口から「好きだ」と、その言葉が聞けるまで。
20160503