鈍く目映い
※馴れ初め
※火星支部配属前(捏造有り)
※中傷差別表現を含みますが貶める意図はありません


侮蔑の視線と言葉。どこに行っても何も変わらない。どこへ行こうともこれはずっと後をついて回る。多勢に無勢。汚い言葉を吐きかけられどつかれ、嘲嗤われる。手間のかかる仕事は全て押し付けられることもある。

「火星人は整備でもしてろよ」

軍人はやることがただでさえ山のようにあるというのに、新人となればそれに雑務も加わる。目の回るような忙しさだ。多忙さ、煩雑さ故に誰しもが手を抜きたがる。楽をしたがる。手を抜いた分、溜まった仕事は誰かがしなければならない。誰も残っていない格納庫の中、整備を待っているモビルワーカーを前に歯噛みした。整備は苦ではない。押し付けられ強制させられているこの状況が悔しくてならない。

「整備が下仕事だと思ってるならとんだ勘違いですよね」

「!」

「まぁ、下仕事ではあるかも知れないけどいずれは自分がこれに乗るかも知れないのに、せっかくの機会を人に譲っちゃって優しいやら勿体無いやら」

突然聞こえた声は紛れもなく自分に向けてかけられたもので、思わず息を飲んで振り返った。俺と同じく新米の軍人が身に纏う軍服を着用し、肩につかない長さで切り揃えられた髪をハーフアップにしている女性がそこに立っていた。彼女は俺と目が合うと柔和に笑った。

「整備を笑う者は整備に泣く、ってね」

「…貴女は?」

不審げな視線を向けられ、佇まいを直しながら彼女は名乗った。

「あ、失礼。私はナマエ。ナマエ・ミョウジと言います。よろしく」

「アイン・ダルトンです」

「ごめんなさい。聞く気はなかったんだけど、たまたま居合わせてしまって」

返答も漫ろに整備に取り掛かると、向かい側に回ってモビルワーカーの機体の隙間から視線を投げてよこした彼女は「二人でやれば早く終わりますね」とニッコリ笑った。

「火星人は整備でもしてろよ」

あの言葉が聞こえていなかったわけがない。妙な違和感から、気遣いを無視してモビルワーカーに向き合った。馴れ合いはしない。深入りもしない。心を許すなど以ての外。打たれるのを分かっていて自ら手の内を見せる愚かな真似は、絶対にしない。他人に気を許すことは、自分の首を絞めることになる。ただの一度でも、いいことなどなかった。幾度となく吐かれる侮蔑の言葉に慣れたわけではなかった。

変えようのない生まれ。覆しようのない立場。血筋。それを理由に貶められる。日々がその繰り返しだ。幼い頃は枕を濡らしながら眠りに就いた。朝になればこの屈辱的な生活も、もしかしたら変わっているかも知れない。どこかで有りもしないと解っていながらも、そう思わずにはいられなかった。諦観と受容。変えようのない受け入れるほかない出生。見ず知らずの者に虐げられるのには怒りが湧く。しかし手を出そうものなら、己の優位性を武器に事実を歪め立証をでっち上げる。黙ってやり過ごせば直に満足して去っていく。

だから、ひたすら耐えるだけだ。こうして日々が過ぎる。そして今日も続く。昨日モビルワーカーの整備を押し付けた、嫌悪感を覚える顔をぶら下げた奴が朝一で突っかかってきた。

「臭えと思ったらやっぱりお前か」

憤り。やるせなさ。憎しみ。それらをただただ堪えることで場を凌いできた。ここでも子供のイジメと大差ないことが行われる。

「お前みたいな、汚い火星の血が流れてる野郎がギャラルホルンに入れるって不思議だよぁ。一体どんなせこい手段使ったんだよ?なあ?」

閉ざしてしまえばなんてことはない。言葉の意味を汲まず理解せずただの音だと聞き流せば、聞き流さねばどうにかなりそうだ。不正行為をして当然。正当ではない手段を講じたからここにいるんだろう。身の丈にあった仕事が他にあるだろう。身の程を知れ。分不相応だ。侮辱に侮蔑を塗り重ねる言葉の羅列を、その意味を理解してはいけない。心を殺せ。これはただの音だ。耐えればいずれ終わりを迎える。呪詛の言葉に耳を貸してはならない。

必死に自分にそう言い聞かせる。耳を塞ぐことが出来たらいくらかマシなのかも知れないが、それをすれば相手を刺激することになるのは目に見えている。辛い。弱音が鎌首をもたげる。そんな俺の気持ちなどもちろん意に介さず、詰りに拍車がかかった。

「悪いことは言わねえから消えてくれよ」

存在すること自体が間違ってるんだよ火星野郎。そう言いたいんだな。

「辛いんだよ、お前が視界に入ると。気分は悪くなるし精神衛生上もよろしくねえわけだよ。もっと仕事に打ち込むためには、お前が邪魔なんだよ。お前が目障りで手が止まっちまうんだよ」

黙れ。指先がヒヤリと冷たくなり震え始めた。もう限界だ。

「お前が、――っ痛え!」

悲鳴と同時に顔を上げると、眼前に立ち塞がって詰っていた奴の後頭部辺りにふわりふわりと、スパナが宙を漂っていた。何事かと状況把握が追いつかずにいると、聞き覚えのある声が響いた。

「あー、ごめんなさい!」

すっぽ抜けた!と心底申し訳なさそうに、半無重力の格納庫の中を大急ぎでこちらに向かってくる見覚えのある姿があった。

「あ…」

「……痛ぇな!何しやがる!」

「本当にごめんなさい!」

「てめえ、わざとやっただろ…!」

「そんな…!ボトルが硬くて苦戦してたんですが、手が滑ってしまって。こんな硬いものを頭に…。ああ、本当にごめんなさい。大丈夫ですか?お怪我は?頭からの出血は?眩暈はしますか?そこが痛むようなら医務室までご一緒します!」

大きめの声は周りの視線を集める。大衆の面前で謝り倒す彼女を叱責するのは憚られるのだろう。何事かと格納庫全体にざわつきが伝播したためそれ以上詰ることを諦めたのか、口惜しそうに歯軋りして唸るように答えた。

「っ、大したことねぇよ」

「なんともないですか?思い切りぶつかってしまいましたが、どこも悪くないですか?」

「しつけえな。なんともねえよ」

「それは良かったです。今後は気をつけます。大変失礼しました」

コロコロと表情の変わる、忙しい女性だと思った。申し訳なさそうに謝りつつも、相手が無事だと分かるとパッと花が咲いたように明るくなる。これでもかと頭を深く下げられ、居た堪れずに俺を罵っていた同期が後頭部を摩りながら去っていく。それを見送りつつ、彼女は宙に浮いたままのスパナを掴んでこちらに向いた。先ほどとは違い、落ち着きのあるゆったりとした口調で語りかけながら。

「邪魔をしましたか?」

「いいえ」

「喧嘩でも吹っかけられました?」

彼女は俺の出生を知らない。だが地球人以外の血は蔑まれるこの環境下、混血だと分かれば矢面に立たされる。その事実を知らないわけがない。己ではどうしようもない特徴を上げ設え標的にされている。そう言えば彼女も俺に同じ視線を向ける。知らないのは今だけで、時間が経ち事実を知ればさっきの奴と変わらぬ態度をとるのだろう。自ら出生を語る必要などない。理由がない。知らぬからこんな風に俺に接触する。黙りこくる俺を見て彼女は肩を竦めた。

「要らぬ詮索をしたようですね。ごめんなさい」

「いいえ、お気になさらず」

人間ではないと、汚い血が流れていると蔑まれる未来が見えているのに胸襟を開く必要などあるものか。

「アイン、ボルトを外すの手伝ってもらえますか?」

「構いません」

素っ気ない返事。愛想がない態度。近寄り難くていい。感情が読めずとも構わない。必要最低限でいい。諾か否か。それ以上の会話を望まない。後をついてモビルワーカーの後部にたどり着く。ハッチ開口部のボルトがうんともすんとも言わないんですよ、と困ったように笑った。電動のものがあるのではと顔を上げた時、彼女は手にしていたスパナを指先でクルリと回転させたあと遠くへ放る仕草をした。

「本当は背中に当てようとしたんですが」

「?」

「狙いがズレました。もう少しスナップを効かせた方が良かったかな…」

「…わざとやったんですか」

「ボルトを外すのに、手が滑るわけないでしょう」

子供じゃあるまいし。あっさり嘘を吐きましたと自白する潔さが可笑しく思わず笑いが込み上げて、噛み殺せずそのまま吹き出してしまった。微塵も悪びれることなく当然のことのように白状したその行為が可笑しくて。俺のそんな反応を見て幾らか朗らかに表情を崩して彼女は笑いかける。いつの間にか手にしていた電動のスパナを手渡され、促されるがままボルトを外した。ハッチの開口部を取り外しながら少しばかり俺に肩を寄せて囁くように言った。

「欲しかったんです。貴方と話すきっかけが」

なんのために?疑問が浮かんだ。言葉の意味がわからない。どのような意図を持って彼女は俺に接触しているというのだろう。相変わらず返事をしない俺を慮ったのか僅かに困ったように眉尻を下げた。

「迷惑でしたか」

「…いえ」

よく分かりません。正直に言うと、「そうですか」と申し訳なさそうに立ち上がった。他人にそんな言葉を掛けられたのは初めてで、言い難い居心地の悪さに閉口しながらも嫌なものではないように感じてこの日は彼女とともに作業に勤しんだ。



ギャラルホルンは男所帯だ。女性の同期がほとんどいなく腹の内を話すことが出来ないのは少々辛いところではある。女としての肩身は狭い方だが、それを苦痛に感じることはあまりない。苦痛ではないが、侮蔑に近い態度を取られたり貶しの言葉を浴びることがある。遠回しに、分かりにくいようにそれでいてしっかりと傷を作るような。

でもそんなことをして来るのはごく一部の人間で、大多数の同期は私の性別を理由に虐げる態度をとったり言葉を浴びせたりしない。悪い噂というのは、流布も早く記憶に残りやすい。「火星の血が流れている奴がいるらしい」なんていう噂もあっという間に広がり、同時に誰がその人物なのかという情報も嫌になるほど耳にした。

「火星人は整備でもしてろよ」

胸が痛くなった。自分に向けれらた言葉ではない。だがそれはあまりに容赦なく踏み躙る。自尊心と名誉を手折るためだけに、何を根拠に己を優者とし他者を劣等と位置づけ、暴虐を振るうのか。彼が何かしたのか。否、その場に居ただけだ。ただそこに居ただけだった。

許し難い非道に対し、彼は叱責するでも拳を振り上げるでもなく真面目なまでに、感情を爆発させることなく寡黙でいた。耐えることしか知らないかのように、反論もせずに受け止めているその姿が痛々しいはずなのにどうしてか目が離せなかった。自分にない、凛とした何かを感じたのかも知れない。

「私はナマエ。ナマエ・ミョウジと言います。よろしく」

「アイン・ダルトンです」

黒髪の向こうに光る瞳、意志の強いそれに惹かれた。歩み寄りたいと、彼を理解し傍らに立ちたいと思った。有り体に言えば、彼に惚れてしまったんだ。


20160417
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