生 還 者と死 神
*トライデント所属夢主
*なんかの任務直前(深く考えずなんとなくで読んでね)
バラバラとヘリコプターの羽根の稼働音が腹に響く感覚だけがはっきりしている。まもなく任務地に到着する。いつものことながら緊張も不安も感じない。どこに行っても与えられた任務をこなし、邪魔を排除する。やることはシンプルだ。でもやることをやる前には準備がいる。
「よう」
「どうも」
スマホで動画を見ていると大男が私の横に座った。リターニングマン。生還者の異名をとる暁巌。彼が今回の任務の遂行にあたるこの行動部隊を指揮する隊長だ。強面に屈強な体。私も彼と同じオリハルコン製のプロトタイプスーツを着ているけどやっぱりというか、当たり前だけど体格が違うからふた周りくらいは大きさが違う。
同じ任務に参加するのはこれが初めて。私は彼を知ってるけど、彼は私を知らない。知ってるとしたらトライデントで保有されている私のこれまでの経歴くらいだろう。多種多様な人種の中で同じ日本人がいる。普通なら同郷だからと声をかけてくるだろうけど、この人は多分その類じゃない。それは視線でわかる。私を事細かに観察するように眺めているからだ。
日本人。女。それだけで奇異な目を向けられ非力だと嘲りを受ける。そういう扱いには慣れた。任務を終える頃にはみんな掌を返すように評価を変えるから別にいいんだけど。
「余裕かましてるじゃねえか」
「余裕あるように見えます?」
「少なくとも十分後に弾が飛びまくる血生臭い戦場に向かう人間の態度には見えねえ」
「ふうん。そうですかね」
初対面の会話にしては素気なく且つ値踏みするようだった。画面に目を戻して適当に答えた。
「スマホいじるくらい普通だと思いますよ。今時は傭兵だってインスタやってるんだから」
「そういうもんか」
「知らんけど」
「知らねえのかよ」
向かいの席に座っているスティーブンソンは少し顔色が悪い。彼は今回初めて任務に参加するアメリカ人で私より二つ年上。ビビっているのを隠そうと誤魔化そうと必死なんだろう。何をそんなにビビるんだろうか。不思議だな。
「十分あったら面白い動画一本くらいは見れますんで」
顎をしゃくってスティーブンソンを指して「ああやって緊張してビビり散らすよりはマシでしょう。任務に当たるなら好きなものをやってた方が精神衛生上にいいと思うんですよね」なんて持論を一蹴するでもなく隊長は鼻を鳴らした。
「で、お前は何を見てるんだ」
「ああ、隊長も見ます? AV」
「は?」
「アニマルじゃなくてアダルトの方ね」
スマホの画面には、大きな胸を露わにした女が足を開いて男に跨り艶かしく腰を前後に振っている映像が流れていた。モザイク処理なんかされてないから女のナニから男のナニまで丸見えだ。カメラワークは女の背中側に回って、男と女が繋がっている部分をアップに映している。ヘリコプターの稼働音でほとんど聞こえないが音量を最大にしているせいで少しは女優の喘ぎ声が聞こえる気がする。
暁隊長は眉間に皺を寄せて不可解そうに私と画面を交互に見遣った。「なんつーもんを見てるんだお前は」という顔をしている。そりゃそうか。これが普通のリアクションだ。
「これから向かう先には死しかないですからねー」
「だからってAVを見るのかよ。更にそれを俺に見せるか」
「あららぁ? もしかして恥ずかしいんですか?」
「ァあ?」
「照れる歳でもないでしょうに。暁隊長ってば意外とウブ?」
「絞め上げるぞテメエ」
「嫌だな。冗談ですよ」
「冗談に聞こえねえんだよ。実際見せてきやがっただろうが」
「この女優さん胸大きくて柔らかそうで可愛くてつい見ちゃうんですよねー。あとツルツルでハメてるところが全部見えててイイ」
「テメエの好みは聞いてねえ」
画面の中の女は押し倒され足を左右に広げられてあられもない格好で穿たれている。肉の棒が肉の穴に出入りして恍惚の表情を浮かべている。まあそれが演技だとしても別にそれはどうでもいい。行為自体に意味がある。
*
生と死は表裏一体。生と死が綯い交ぜになる戦場でいい精神状態を保つにはこれが一番合ってるのだ、と部下は唐突に真面目な口調になって言ってきた。
「だからこういう動画を見るルーティンが私には必要なんです」
部下は画面をスクロールして別の動画をタップする。同じ女優が誘惑するような目をしているところを倍速で飛ばし、行為が始まった辺りで再生し始めた。仰向けに転がっている男の竿を扱いたかと思うとさっさと挿入して腰を振り始めた。前戯も何もあったもんじゃない。
「隊長は何もしないんですか」
「んなもん必要ねえ」
生か死か、その瀬戸際のやりとりが愉しい。血が沸き立ち、アドレナリンが出る。意味するところを察したのか部下はふうん、と頷いた。画面の中では相変わらず女優がみっともねえ格好で喘いでいる。
「さすがですね」
そう言って視線を手元に戻し、一般的に人前で見るのは人に見せるのを憚られるような動画を無表情に観ている。
「精神状態か」
ヘリコプターの音に遮られたのも手伝って、俺の呟きは動画に集中している部下の耳には届かない。こいつの名前は苗字 名前。三ヶ月前にトライデントに入隊した日本人の女。事前に上層部から連携された情報で苗字の経歴を知った。
きっかけは幼少期。海外旅行でテロに巻き込まれ母親と兄を亡くしたせいで苗字の心は壊した。テロの凄惨な現場を目の当たりにしたせいで恐怖というものに疎くなり刺激を求めるようになる。平和ボケした日本にはいられないと高校を卒業したあとはアメリカの大学へ進み国籍を変更し、そのまま軍人になったがある日突然、一身上の都合で退役。退役後はいくつかの組織を転々としトライデント所属になった。
「おら、時間だ。玩具はしまえ」
「ちぇ。いいところだったのに」
苗字はスマホの代わりに装備を手に立ち上がって俺を見上げたあと周りを見て「帰って来れるかな」と言った。部隊全員がヘリから降下した直後から激しい銃撃戦が始まった。四方八方から銃弾が飛んでくるような状況で正気でいられる奴など多くない。
もとより苗字を妙な部下だと思っていたが実践を経て評価は変わった。苗字 名前はまるで死人のようだった。地雷で吹き飛んだ仲間の手足や臓物が降り注いでも動じず、昼夜問わず長時間続く銃撃や砲弾の音の中でも居眠りをする。緊張感の欠片も感じさせず「お腹空きましたね暁隊長」だとか「すげえ眠いです暁隊長」などと抑揚なくほざいた。人らしい感情の起伏というものがない。
過酷な状況下、隊員たちは一人一人減っていき結局、部隊の中で生き残ったのは俺と苗字の二人だけだった。
「マジで死なないんですね、暁隊長」
「お前もよく生還できたな」
任務に赴く時と同じようにヘリに乗って苗字は俺の隣で力なく座っている。
「私が死なない代わりに仲間が死んでいくのか、仲間が死んでいくから私が死なないのか。どっちなんですかね」
苗字は不意に呟く。血と泥に塗れて汚れた横顔は疲れている。汗と硝煙の混じった匂いで鼻は麻痺していた。
「なんだそりゃ」
「私はどういうわけかやばい状況でも死なないんです。このせいで軍から除隊されたんですよ」
「ああ? テメエの都合で退役したんじゃねえのか」
「それは軍側の建前ですね。隊長が知ってる経歴と実際のそれとは違うんです」
苗字が赴いた任務で苗字以外の隊員が悉く全員が殉職。あまりの異常さに直に死神と揶揄され恐れられ避けられるようになった。上官にも同期にも煙たがられ使い道のない兵士と烙印を押され退役するよう促されてしまったのだという。
「同じ任務についた仲間の親族に罵られたこともあったかなあ」
壊れた心の均衡を保つように軍で任務に従事していたがその場を無くした。崩れたバランスを取り戻そうと傭兵稼業に足を突っ込みそのままズブズブとのめり込んでしまったと苗字は淡々と話した。
「で、トライデントにいると」
「そうです」
ふう、と深く息を吐き苗字は俺を見上げてきた。
「私と一緒に編隊されて死ななかったのは暁隊長が初めてです」
「実を言うとな、俺も部下が死ななかったのは今回が初めてだ」
「へえ。そうなんだ」
俺を見つめる苗字の顔つきが少し明るくなった。「初めて」という言葉と共通の体験をした仲間というか、似たような境遇に立つ者を見つけたという表情を苗字は浮かべた。
「ねえ隊長。ずっとついていっていいですか」
「何?」
「死なない部下が要るでしょ。私は死なない仲間が欲しい」
「落ち着け苗字。お前ずっとロクに寝てねえだろ」
「それは隊長も同じでしょ」
AVを見ても淡々としていた苗字は異様な興奮っぷりで俺に詰め寄ってきた。クマのある目元はギラついている。任務の最中でも生気の少ない目つきをしていたのになんだその目は。疲れきってるはずなのに今から新たに任務に赴けるほどの熱量があるように見える。
「ねえ暁隊長」
「近えから離れろ」
鼻と鼻が付きそうになるくらいに身を乗り出して苗字は目を輝かせて笑った。
「隊長は絶対死なないよね。私も死なないからいいペアになると思うよ」
「何が言いてえんだよ」
「絶対死なないバディってことにならないかな」
「あ? 寝ぼけてんのか」
「バディじゃなくてもいい。暁隊長の指揮する行動部隊付きになりたい」
「お前の要望なんざ知るか。俺の権限で決められるもんじゃねえよ」
しつこく懇願して詰め寄ってくる苗字の頭を掴んで引き剥がしながら俺は吐き捨てた。
「じゃあ本部に戻ったら私からラリーさんにお願いしてみる」
拒絶されたにもかかわらず苗字は思いがけず出会った同類である俺を見てにっこり笑って目を閉じた。
「隊長が好きなんだなあって今気がついたよ」
「はあ?」
「めちゃくちゃ好み。死なないから」
「意味わかねえこと言うんじゃねえ……くそ、寝てやがる」
安心しきって眠る子供のような寝顔にどうしたものかと対応に困ったのも、入隊したてのド新人に一方的に振り回されたのにも腹が立ったのもあり、寄りかかってくる苗字の頭を小突いて俺も目を閉じた。
20230227