見えない色を見せて
※Fate/Zero
※綺礼妹、代行者
暗い廊下で鉢合わせになった綺礼は、血の匂いを身に纏った名前を見て眉を顰めた。血の塊が目の前にあるかのような錯覚に陥った。そんな綺礼にようやく気がついた名前はいつも通りのさっぱりとした声であっけらかんと挨拶をした。
「あら、お兄様」
「酷い匂いだ。鼻に付くな」
―鉄臭い、とその醜穢さを忌む。よく目を凝らせば、名前は頭の先から靴の爪先に至るまでびっしょりと血で濡れそぼっている。それなのに、その表情は活き活きとして笑みすら浮かべている。そのギャップに益々綺礼は不快感を露わにする。
「そうでしょうか。女子には月の物がございます故、この類には慣れっこですので…そんなに酷いとは感じませんが」
「もういい、シャワーでも浴びて早く匂いを落とせ。いつまでも汚らわしい匂いを立ち込めさせるな」
噎せ返るようなこの薫りを流してしまうのは勿体無いですが、お兄様がそう仰るのであれば仕方ありません、と言い残して名前は廊下の暗がりに歩を進めた。体が、細胞の一つ一つが物足りないと叫ぶ。まだ殺せる、まだ血を浴びたい、と本能が疼く。
数刻前まで堕ちた魔術師を狩っていた名前の戦闘本能はぞくぞくと昂ぶりを高めるばかりで治まる気配がない。この疼きをどうしてくれようか。体に付着した血の匂いに昂ぶっているのであれば、その血さえ流してしまえばなんてことはない。この薫りを纏っていたいと思う反面、疼きの対処には困る。この矛盾に悶々としながら名前はひたすら思念する。そして唐突に、そういえば、と名前は思い立つ。
―お兄様は魔術師を狩った時もほとんど血を浴びていない。それどころか傷一つすら見当たらない。
彼が血塗れになったその姿とはどのようなものなのだろうか。魔術師の血があの精悍な顔に飛び散るのであれば、表情のあまり読み取れないその顔はやはり歪むのだろうか。傷を負わずにいられるのは、あれほどの強さ誇るから。その強さに魔術師も彼に傷一つつけられないのかも知れない。
名前は血塗れの綺礼を見たい、と湧き上がった渇望に思考の全てを費やし、妄想に耽る。黒鍵を握る手にべったりとこびり着いた血、禍々しく染まった僧衣、足元に広がる血の海、肉片と成り果てた魔術師を見遣った綺礼の頬には深い切り傷。名前の妄想の中の綺礼は血に塗れながらも相変わらず無表情で、それがまた現実味を帯びる。頬を伝う血が一滴、顎を伝って落ちていく。
いつしか妄想は、“血を浴びた綺礼”ではなく“血を流す綺礼”で形を成す。そこを流れる血は魔術師の血ではなく、綺礼の鍛えられた逞しい体から溢れるもの。
―お兄様の血の色こそこの世で一番美しいのでは?
踵を返す名前に目は最早ただ純粋なまでの追窮の色が浮かぶだけであった。魔術師の血なんて汚らわしいと思えるほどのそれが、目の前にあるのではないか。先刻まで美しいと信じてやまなかったそれがあっさりと覆るほどの事実がそこにあるのではないか。知りたい、ただそれだけが名前を突き動かす。狂痴だと蔑まれようとも構わない。本能が欲する、その色を求める名前はひたすらに綺礼の背中を捜した。
これも2011年に書いたものかと。