咲いた恋の花
※苦学生夢主


「ああ、やっぱり甲斐くんだ」

春木屋に酒の配達で来ていたヘルメットを被った女に声をかけられて心底びっくりした。連れ立っていた金田と山形も訝しげに見ている。

「え?誰?」

「そっか、この姿じゃわからないよね」

そう言ってヘルメットを外すと、懐かしい顔がそこにあった。

「あっ」

「久しぶり、甲斐くん。わたしのこと覚えてる?」

元クラスメイトだった名前に、再会した。



「甲斐くんが中退したあとにお父さんが経営してた会社が倒産しちゃってね。学費払えなくなってわたしも学校辞めたの」

「名前が働かないといけないほど生活が苦しいのか?」

「そうなの。お父さん蒸発しちゃって」

「は?家族を置いて?」

「あー、違うの。物理的な蒸発」

何かの冗談かと思った。だって名前はそれこそ、冗談を言うようにえへへと笑いながら言ったのだから。

「ぶ、物理的?」

「そうなの。再就職出来たのが、ゴミを溶かす工場でね。すごく危険できついお仕事で、うっかり足を滑らしてタンクに落ちちゃって、骨も残らなかった」

だからお葬式は空っぽの棺を見送ったよ。中身はなにもはいのにさ、と名前は言う。父親の葬式は三か月ほど前に終わったらしい。

「いまは弟の学費を稼ぐためにも働いてる」

そう胸を張る名前は疲れていてもどこか誇らしげだった。もちろんそれは、見栄もあり弱い自分を隠すための演技だ。

「名前、おばさんは?」

「お父さんが死んだあと、めっきり元気なくしちゃって体調も崩しちゃって今は内職してお金入れてくれてる」

とは言え、弟の学費の足しにするにはあまりに少ない。生活費を切り詰めて回しているという。

「お父さんが入ってた保険がさあ、しょぼくてさあ」

春木屋が最後の配達場所であり後は職場に戻るだけのため、時間に余裕がある。ヘルメットを持ったまま春木屋のカウンターに俺と金田と山形の間にちょこんと座って頬杖をつきながらぼそりとこぼす。

「もうちょっとね、死亡保険金のおりる保険に加入してくれてたらなあって思うときもあるの」

名前ちゃん泣かないでよと慰める金田の声は猫なで声だ。それを隣でみている山形はぼやく。可愛い女の子がいると気安く声をかける、金田の悪癖が出た。

「でもね、考え方を変えたの。ないものの愚痴を言っても仕方がない。だから、雀の涙ほどの保険金でもあって有り難いと思うべきなの。お父さん、しっかり保険に入っててくれてありがとうって」

「わーお、名前ちゃんポジティブ!」

胸の前で握り拳を作ってその意志を確固として示す名前はタコおやじにメンチを切っているようにも見える。

「だから、最近はこう考えてる。雀の涙の保険金とバイトで家族を養っているわたしをあの世から応援しててくれって」

「お前、躁鬱の落差が激しくないか?さっきまでめそめそしてたのに」

そう言われ名前は「山形くん、それを言っちゃだめなの」と諭すように山形に向き直ってメンチを切る。

「あるものに目を向けないと、落ち込んじゃうばっかりだから」

雀の涙しかないものに目を向けても、逆にそれはつらくなるもんじゃないんだろうか。

「さて、そろそろ戻るね。店長に叱られちゃう」

「名前、そこまで送るよ」

「お前!甲斐!抜け駆けすんな!」

「そういうんじゃねからあ!」

いちゃもんに近い難癖をつける金田を椅子に座らせて、ドアを閉める。その間際にも「男はみーんな、オオカミだからね!名前ちゃん!」と喚いてみせた。お前が言うなと言い返すと、俺の後ろで名前はケラケラ笑っている。

「金田くん、面白い人だね」

「いやお調子者なんだよ。女の子にめっぽう弱くてさ」

「あはは。男の子そのものって感じだ」

階段を上りながら俺と名前は昔に戻ったように話した。

「そう。でもな、いざという時は頼りになるんだよ。度胸があってさ」

「金田くんのこと、信頼してるんだね、甲斐くんは」

「そりゃな!」

背がそこそこあって、顔も整っていてスタイルも良い方だ。表裏のないはっきりした性格で自然と集まってくる。リーダー然とした男。それが金田だ。

「なんつうのかな、人望というか持ってるものが俺とは違うんだ」

「そうなの?」

「そうさ」

ふうん。名前は納得いかないとばかりに鼻を鳴らしてスクーターに跨った。

「バイト忙しいだろうけど無理はするなよ、名前」

エンジンのかかる音がちょっと寂れた春木屋の前の道に響いて、物寂しさがある。

「さっきの続きだけどね」

「うん?」

「金田くんは度胸あって頼りになる人で凄いんだろうけど、でもわたしは、昔と全然変わらない優しい甲斐くんが好きだよ」

「え」

ヘルメットを被りながら言った名前は俺の方を見て、にっこり笑った。

「ちょ、ちょっと待って!」

笑ったかと思うと、そのままスクーターを結構な速さで発進させて行ってしまった。そんな名前の後ろ姿を見つめがら、言われたことを反芻する。

―甲斐くんが好きだよ。

「参った…」

ごめん金田、抜け駆けじゃないんだけどさ。煙草の吸殻や千切れたチラシが落ちている地面に蹲って頭を抱えた。今度会ったら返事しよう。俺も好きだって。


20200524
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