銃口と徒花
ロートン研究所が焼失した、という情報がもたらされて間もなくロックとともにその件の場所へ赴いた。メトロポリスの地下世界、場所によっては警察の力が及ばない階層、主に失業者が暮らす“ZONE-1”の奥まったところにあった研究所。ひどく激しく燃えたらしいことが、残骸から見て取れる。焦げ臭いにおいに眉を顰めながら目当てのものを探す。ロックと二人して捜索したものの焼け焦げて煤けた研究所の鉄屑以外、めぼしいものは見つけられない。

「最高水準の高精密機械といえど、残骸くらいは残るはずだ」

わたしのこじんまりとした住まいに足を踏み入れたロックはそう一人ごちた。なんのとこかと問えば「狂った科学の、邪悪なものだ」と抽象的な言葉を連ねて機械に対する嫌悪を隠しもせず露にした。件のロートン研究所焼失事件に関わっていることは明白、というよりあなたが犯人ね、と理解してしまった。

「ナタリア、今日一日同行してもらう。ZONE-1から3まで」

「別に構わないけど」

狭い部屋の中、デスクの上に置かれた拳銃の手入れを終わらせて腰のガンホルスターに収める。鳥かごの中の小鳥がピチチと美しい声でさえずった。

「公務は?」

「これは公務以上に重要な案件だ」

そんなはずはないだろうに。帽子を目深に被り、ガンホルスターを装着してボレロを羽織った。メトロポリスに新たに建設された超高層ビル群から更に頭一つ抜き出たビル、ジグラット。そのジグラット完成の祝日があと一週間続く。犯罪が多発しているため公務が最優先されて然るべき状況だというのに。いいのか、若手トップの実力を有するあなたが公私混同して。ロボットの警備は任されているんでしょうに。

レッド公を父と仰ぐロックが憎むのは機械だ。機械は邪悪だといい、役立たずだと見下している。その機械に対して異様な執着が垣間見える。高精密機械を完全に自分の手で壊すまではこの追跡劇は終わらないだろう。

これが数時間前の話。廃工場の近くにある下水がZONE-2と合流しZONE-3の処理工場へ行くことを知ったわたしたちは地下階層の管理責任者のハム・エッグの案内のもとZONE-2ゲートへ降りるエレベーターに乗る。週2回のロボットの修理・点検以外の行き来がないエネルギープラントエリアだ。不審人物がいたら一発で分かるという。人型ではない作業ロボットがあちらこちらで定められた作業をプログラミングされた通りに進めている。

「こいつらはアルバート2型といって今週最後の点検を受けるんです」

ロックに話かけつつも、歯が剥き出しの下卑た笑いを浮かべる管理者の視線が体を這う。マルドゥク党の党員に女は数少ない。物珍しさからこういった視線を向けられるのは慣れている。帽子の隙間からねめつけるように視線を走らせるとハム・エッグは萎縮したようにいそいそとロックの後をついて行く。

ZONE-3は下水処理施設だ。広い空間全体に充満するにおいはひどいもので、この施設で働くのはとても無理だろう。人間にはもたない仕事だ。故にロボットが従事している。ロボットたちが覚束ないような足取りで作業している中に、迷子のように行く宛てもないままふらふらとしている物をロックは見つけた。

「人がいる」

「どこ?」

目当てが見つかったと思ったのはわたしたちだけで、管理者はひどく驚いて声を荒らげた。管理局が目を光らせているはずなのに、人がどうやって入り込んだのか。場合によっては管理者責任にもなる。ハム・エッグが狼狽えるにも納得がいく。

「何をしている!ここは立ち入り禁止だ!」

金髪緑眼の少女と、同行するのは黒髪の少年と掃除ロボットであるアルバート2型が一基。黒髪の少年がこちらに向かって手を振り何か大声で訴えている。奇妙な組み合わせだ。ロックが銃を手にして照準を合わせる。

「あ、あなた一体なにを…」

狼狽する管理者に、あれは犯罪者だ、と銃口を向けるに値する理由を述べて引き金を引いた。銃声が一発轟き、金髪の少女近くの床に着弾する。ロックの唐突の行動に驚きつつも銃口を向けた相手―どこにでもいそうな金髪の少女だ―が国際的指名手配を受けていたロートン博士の造り出した高精密機械だ。レッド公を誑かす存在だとロックが言っていたもの。それに間違いないと理解した。

「ちょ、ちょっと!」

突然の発砲に、事情を知らぬ管理者は慌てふためいた。マルドゥク党の顔と名の知れた若い切れ者が、突如自分の前で乱暴を働き始め施設に危害が及ぶやも知れぬのだから気が気ではないだろう。

「止めてください!設備に当たったら…」

大変なことに、と続く言葉は銃声と悲鳴に埋もれバランスを崩したハム・エッグは低いフェンスを易々と超えて仄暗い闇の底へ落ちていった。

「ロック!?」

管理者を撃ち殺した。肉の塊となったハム・エッグが落下していくのを追いかけ思わず身を乗り出した。目の眩むような高さだ。既に暗闇に飲まれ落ちきったのか、未だ底に体を打ち付けていないのかすら判別がつかない。一体何を、なんてことを。

「ちっ」

掃除ロボットが盾になり銃弾は目標に掠めもしない。落ちていった管理者などとうに忘れているかのように、金髪の少女を追いかけるべく突如走り出した。

「案内もなしに…ルートは知ってるの!?」

と文句を言ったものの案内人を手にかけてしまった以上は仕方あるまい。銃殺したことを黙殺したまま地上へ出られればお咎めなしだろう。

ZONE-2へと続くエレベーターは掃除ロボットでいっぱいで別ルートを探さざるを得なくなった。錆びた梯子を登り、長い廊下を右左に駆け回り、上階へ続くゲートへの階段を登り切った。

大勢の作業員がゲートを目指し歩いている中に、背丈の小さい二つの影。見つけた。少年はこちらに気が付いたが少女はぼんやりと歩いている。ここからなら足を狙える。ホルスターから拳銃を取り出すより数瞬早く、ロックは走り出していた。銃を構え、発砲する。彼には迷いがない。銃弾は金髪を掠めただけだった。

ロックの眼前に脇道から、掃除ロボットが二人を守る盾の如く躍り出た。身を挺すなんてひどいバグを起こしたものだ、と掃除ロボットを憐れんで一瞬目を閉じる。瞼を空けると、無慈悲に蜂の巣にされた残骸が転がっていた。頭部を撃ち抜かれてただの廃材になったロボットを横目にわたしは走った。少女たちが、作業員の合間を縫って身を隠そうする魂胆が見えたからだ。

「紛れるつもりだ!」

目前まで距離を詰めたがこのままでは逃げられてしまう。ロックも後を追った。銃器の持ち込みは違反だというゲートの守衛に、マルドゥク党の腕章を見せつけ黙らせると、作業員たちを押しのけてエレベーターを上がっていく。

ZONE-1には、夥しい数の群衆が道を行き来している。人と人との僅かな隙間から少女を見つけ出し更に走った。

「ロック、先に行く!」

ロックは巡回をしていた党員たちを呼び寄せ、少女の容貌を伝え逮捕するように指示をした。

「ナタリアを追え!犯罪者を逃がすな!」

寂れたビル街、廃れた露店などを蛇行するように逃げていた少女たちの姿を見失わず追跡していたわたしに、ロック以下6名はすぐさま伴走し、捜索の網を狭めていった。自警団の名は伊達ではない。

車いすと自転車を合わせた妙な乗り物で逃走劇を繰り広げていた少女と少年だが、大勢の追手に二進も三進もいかなくなり雑居ビルの中を抜け、失業者の溢れる区画の奥にある廃材置き場に行きついた。行きついた、というよりフェンスを突き破り落下していったのだが。

「くまなく探せ!」

ロックの指示のもとだだっ広い廃材の山を捜索したものの、金髪の少女らは見つからなかった。どこかに隠されたルートがあったのか、はたまた誰かが手引きしたのか。どちらにしろ定かではないが、彼女らは逃げおおせたのだった。



ロックはレッド公の実子ではない。レッド公の実子は女の子で何年も前に亡くなっているらしい。彼に関する情報は多くない。彼は自ら過去を、己の心情をあまり語らない。語らないながらも、彼の父親に対する忠誠心は並々ならぬものだとすぐさま悟った。

マルドゥク党内でも指折りの実力者ロック。その若手実力者の腹心は男と女の2人いる、という噂が流れている。名はパーカー。どちらも帽子を目深に被っていて顔つきははっきりわからないが、男の方は赤茶色の毛に右頬に大きな傷跡があり、女の方は長い金髪で足が速く、二人揃って拳銃二丁を携えている。声も背丈もそっくりでまるで双子のようだ、と。

「どっちもわたしなんだけどね」

鏡に映った自分の顔を見て出来栄えに納得した。赤茶色のウィッグに金髪を仕舞い込み帽子を被り、特殊メイクで顔の傷を作り、変声器をつけて男の声に寄せる。双子に見せかけているのは自分の身を隠すためでもある。

「ロック、今日はどこへ行く」

「ZONE-1の裏通りを中心にどろぼう市場、足が伸ばせればスラム街まで」

「金髪の少女と黒髪の少年なんてそこらにありふれた組み合わせだと思うけどな」

足で稼ぐのは骨が折れるぞと笑うとロックはサングラスの隙間からこちらをジトリと睨んだ。

もちろんZONE-2以下の階層に彼女らがいないと予想をつけていることに同意だ。ZONE-1を虱潰しに歩く以外に手がないのもわかっているが、如何せん広い。広大であり細々とした抜け道やら怪しげな店がごまんと存在している。追われていることを自覚している彼女らはどうにかして逃げおおせようと必死になる。追う猫より追われる鼠の方が知恵を絞ることは十二分にあるのだ。

「やりにくいな、ナタリア」

「今日はその名前じゃない」

やりにくいのは追跡の話ではない。性別を男として装っている本日のわたしの振る舞いが、だ。男の名前で呼んでくれ。そう言うとチッと舌打ちをした。

「俺だって、隠れる鼠なんだよ。ロック」

家は代々演劇の家元で家族親戚が皆、有名であれ無名であれ役者だった。幼い頃から稽古をつけられ朝から晩まで厳しく躾けられた。息苦しさから逃げたくて仕方がなかった。どうにか家のしがらみから逃げ出す方法がないかと思案していた矢先、大戦で家族と離散した。家族は、わたしが死んだと思っているし世間的にもそうなっている。

大戦で死んだということになったからには、見つかりたくない。顔を変え、名前を変え、演劇とは程遠い生活をしている。が、こうして身を隠す手段は、厳しく稽古をつけられた賜物である部分があり、なんとも皮肉な人生を歩んでいるなと我ながら思う。

「特殊メイクも男としての身のこなしも振る舞いも、全て稽古のお陰」

「何?」

「いや、独り言だ」

さて裏通りに向かうとしようか。ロックの憎い機械を探し出すべく歩を進めた。



雪が降りしきる中、ようやく金髪の少女と対峙する。私立探偵と名乗る男性と、ここ数日のあいだ少女とともに逃げていた少年ケンイチも一緒だった。目当てが少女であることを知っている両名はわたしたちを視認すると警戒心をひどく強めた。

ティマという名前の機械人形の純粋無垢な表情は、人によっては美しさの象徴と映るだろうが、悪く例えれば感情を伴わない仮面だ。彼女は紛うことなき機械だ。無垢な顔をした機械は雪の上に転がっているロックの銃を手にしている。

「撃てるのか?俺は人間だぜ」

ロックに銃口が向けられる。機械少女は己が手のうちにあるものの使い方を知っているのだろうか。人の命を簡単に奪える代物と理解しているのだろか。彼女が引き金に指をかけるならわたしがその心臓を撃ち抜く。緊張が走る広場に太い声が響いた。

「ロック!!」

レッド公。いま、この場に一番現れて欲しくない人物だ。話が拗れる。なんとタイミングの悪い。ロックのサングラスの奥、瞳の色は窺えないが不味い気分であることは違いないだろう。

レッド公は機械人形の姿を見ると信じられないものを見ているかのように恐る恐る近づいた。存在していることの信じがたさ、ロックが公務そっちのけで犯罪者を追っていたこと、「ティマ」を知っていたこと。全てを知ったレッド公は息子の行いを小賢しい真似だと一蹴した。可愛がれば増長しおって、と苦々しく吐き捨てたのだ。

ロックは敬愛する父を見据えたまま言った。ジグラットの天頂にある超人の椅子に座るのは父上、あなたであり機械如きにメトロポリスの未来を任せるわけにはいかないのだ、と。

しかしその心中を曝け出した叫びはレッド公の気にひどく障ったようだ。横っ面を叩かれた後、レッド公はロックの腕に手を伸ばした。わたしはロックのマルドゥク党腕章が引き千切られるのをただ見ているしかなかった。

レッド公の創立したマルドゥク党からの除籍。この瞬間、ロックは何者でもなくなった。



“ケンイチ”を装ってティマを誘き出し誘拐をして解体してやろうとしたところ、何者かに妨害されしこたま殴られた上、ティマを奪取された。それを聞いたのは公務が終わりZONE-1の隠れ家に帰って来たところだった。隠れ家に入った瞬間に違和感を覚え銃を構えたが、暗闇の中で机に力なく突っ伏していたのはロックだった。

廃バー“Nemo”はロックのアジトだったが、何者からに捕捉されたのだ。もう行けないだろう。行く宛てがなく、ZONE-1にあるわたしの隠れ家に転がり込んだというところか。

「なんだってそんな無茶をしたの」

「……………」

答えない。まあ、そうだろうな。「邪悪な機械から、狂った科学から父上を守る力が欲しい」と神に祈るほどの信心深さだ。父のため、父だけのために己を使うことを正義とした男だ。

ティマを破壊すること以外、ロックの行動理由はない。わたしに手助けできることと言えば、彼を限られた条件下で自由に行動できるようにするだけだ。

「父上は、超人の椅子にあの木偶人形を座らせるおつもりだ。座らせる前に壊すしか、もう方法はない」

超人の椅子。ジグラット天頂にある、秘密軍事兵器を掌握できる機能を有するもの。そこにあの機械人形を据えることで世界制覇を成そうというのだ。レッド公を心酔しているロックの手前、こんなことは言えないが馬鹿げた目標だと思う。

しかしかつてないほどに参っているロックを前にすれば、そんな馬鹿げた目標が達成されようがされまいがどうでもよかった。ただ、彼を助けたい。彼を救いたい。彼の力になりたい。それだけだった。

「ロック。わたしにできることはある?」

自分だけで成し遂げたかっただろう。誰の手も借りず、機械人形を壊し、機械狂いしている父親の目を覚ましてやりたかっただろう。何某かに助けを求めるのは屈辱だっただろう。逡巡したロックは項垂れながら呟いた。

「ナタリア、頼みがある」

それでも、差し伸べた手を振り払わず縋ってくれたことが、何にも代えがたく幸せな気持ちになった。ロックに惹かれたのは、身の上が似ていたからでも顔の造形が素晴らしかったからでもない。凛としていて、凄絶なまでに生き方がまっすぐだったからだ。逃げることばかりを考えていたわたしとは真逆の生き方。ないものを持っている彼が美しく見えた。

ただ、そばにいる理由を作るためだけにマルドゥク党に入党した。私情を挟んだ上でのロックの頼み事は珍しい。その珍しさから気が高揚して何が何でも応えよう、手助けになるべく手を尽くそう。

「うん、何でも言って」

そう思い嬉しさを胸の内から溢れさせないよう、ポーカーフェイスを装った。しかし心は高揚し歓喜に震えていた。それが誤りだと気が付くには冷静さを欠いていたし、今更悔いてもどうしようもない、代償があまりにも大きすぎた。



昨晩の大爆発でジグラットは崩壊した。メトロポリスの権力者であるレッド公も死んだ。大惨事だったにも関わらず一夜明けた街からは自分たちを抑圧し続けた権力が折れたことにどこか晴れ晴れしい雰囲気が漂っていた。

姿を現さない―否、見送った時点で戻らないだろう覚悟はしていた―ロックは死んだのだろう。でももしあの大爆発を免れて生きて帰ってきたならば思い切りその体に抱き着いて、一緒に生きていこうと口説くのに、などと夢想を浮かべながら眩しい青空を見上げた。なんて未練がましい。

“ティマの侍女として働いているエンミィに成り代わる。”

ロックの計画の手段はなりふり構わなくなっていた。そういう印象を受けた。まるで捨て身だ。侍女として潜り込み、計画通りにティマを破壊し得たとしてもロックはレッド公に断罪される。

わかっていて、承諾した。その上でわたしはエンミィに大金を渡しロックと入れ代われるように算段をつけて小細工をした。わたしは、ロックを自殺へ追いやった。死を早めた。

「お前はこうやっていつも成り変わっていたんだな、ナタリア」


この計画はわたしの技術なしに成功はしないだろうし、変装の出来栄えは素晴らしかった。特殊メイクで顔面を作り変え、変声器で女の声が出せるようにし、ドレスを身につければ誰もが疑うはずもない、いつもと変わらぬエンミィが出来上がった。その技術にロックはひどく驚き感嘆していた。

わたしはその様子に、この上ない充足感を得た。間違いだった。ロックを死に急がせていることに、彼の目標達成のために手を貸すことが命を縮めることになると。このときに気が付くべきだった。

「わたしも連れて行ってと言ったら、何か変わってた?」

止めようとしたら止められたのだろうか。憎き機械を破壊しに行くその終焉には断罪しか待っていない道をともに歩みたい、と申し出ていれば、まだわたしはあなたの傍にいられたのだろうか。こうして一人で青く美しく晴れた空の下であなたを思い虚ろにならずに。

姿を隠し身を変え、銃を手にロボットを取り締まり、ロックの腹心としてマルドゥク党で活動した。ロックの近くにいた。誰よりも長い時間一緒にいた。

しかしロックにとって憧憬の眼差しを向けていたのはレッド公ただ一人で、彼の心に入り込む隙間などなかった。彼の頼みに心が躍った自分を、なんて馬鹿な女だと心のうちで罵った。

わたしは、全てをなげうって入党した。隠れ偽り、それで得た立場もマルドゥク党が解体したいまでは既に意味を成さない。マルドゥク党のロックの腹心ナタリアという肩書きだったものが、辛うじてわたしの正気を保っている。

ぽっかりと胸に空いた穴が、ロックの面影を瓦礫と化した街の一かけらにでも見出そうとしている。どこにもありはしないのに。


20190922
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