蟠る本性
※ランサーを殴る話
※一流の魔術師でありながら魔術が嫌い、性格が若干歪んでる。
※成り代わりっぽいので注意


ナマエの人生は順調だった。八代を重ねる魔術師の家に生まれ、一子相伝の慣わしに従って二次性徴が終える頃に全ての魔術刻印を受けた。時計塔では主席候補生にも選ばれ、ナマエの人生は至って順調であったのだ。

しかしこれは傍から見れば、の話である。飽く迄ナマエにとってこの立派な家督も地位も何の意味もなさない。体に刻まれた魔術刻印を見る度、厄介事を生まれながらにして背負い込んだ己の出生の悪さを恨むばかりである。魔術師になることを拒もうとも、血統を絶つ方法はないかと思念したもののそれを実行するには至らなかった。幼く無知だった頃に、「魔術師になるのは、嫌」と零したことがある。その折に酷い折檻を受けたような記憶がある。いや、折檻ではなかったかも知れない。諭されたのかも知れない。言い方を変えれば教育だ。しかし教育と呼ぶには些か窮屈だった。

その時に己の考えが異端であると気がついて、表には一切それを出さず、隠れた願望を心の奥へ、奥へと深く押し沈めていった。「立派な魔術師になります」と教育の賜物と言える台詞を吐きながら、ナマエは仮面を被り続けた。しかし隠した思いは日に日に大きく膿のようにナマエの心の中に滞留していく。

―口を衝いて出そうになる、本心。

私は、魔術師になんてなりたくない。私は、普通の人として生きていたい。私が、魔術師の家になんて生まれなければ。魔術なんて、なければ良いのに。どうにかして、魔術というしがらみから、血統から逃げ出したい、解放されたい。常に繰り返されるその思考の末にナマエは、はと思いつく。

―魔術そのものを無くしてしまえば良いのだ。

魔術さえなければ私は解放される。その思いに至ったナマエはその方法を模索し、己の願望を叶える最たるものを知った。万物の願いを叶える聖杯。これが手に入れば、自由になれる。ナマエは高揚の余りに我を忘れた。思い立ってからの行動は、後で本人が思い返しても驚くほど捷足だった。聖杯さえ手に入れば、仮面を被り続け魔術師として生きてきたこの人生から報われる、そう信じてやまなかった。

だが、どこかで気がついていた。魔術師にならないという選択も、血統を絶つという暴挙にもうって出ることのなかったナマエは、このまま仮面を一生に渡って被り続けることだろう。心は酷くそれを拒絶しているのに、体は魔術そのものに染まりきっている。もう、逃げ出すことも叶わない。心に膿を溜め込んだままに魔術師として生を終えるのだ。

―苦しい。

誰かに、誰でも良いから、このどす黒く染まった心のうちを曝け出してしまいたかった。固まってしこりとなってしまった心の闇に、理解を示して欲しかった。誰かに知って欲しかった。ただそれだけだった。



「顔を上げなさいな、ランサー」

麗しい顔を恭しく上げたその刹那。視線が交わるその数瞬前。ナマエはランサーの肩に足をかけて、全体重をかけて思い切り蹴り飛ばしてやった。

「―っ!?」

突然の事に受け身もままならなかったランサーはそのまま後ろへと倒れ込む。蹴った勢いのままに馬乗りになったナマエはランサーの胸倉を掴み、冷えた瞳で見下ろしながら問い質す。

「聖杯にかける望みは?」

「、主よ…一体 何を」

「質問に答えて。ランサー、貴方が聖杯にかける望みは?」

「私は、聖杯など求めない…っ。私が、望むものはただ一つ。主への誓いを果たすことのみ」

ランサーの言葉が最後まで紡がれることはなかった。返答を半ばにして、ナマエが彼の美しい顔に一発の拳を見舞いしたのだ。頬に走った痛みがじわじわと効いてくるまでのほんの短い間に、彼はようやく状況を把握した。そう、状況は把握出来た。

しかし、“何故”とランサーの脳内を混乱させた。現状にただ呆然とするランサーは己の主を見上げる。蹴り飛ばされ、聖杯に何を求めるかと質され、本心のままに答えたら横っ面を殴られたのだ。訳がわからないランサーは酷く狼狽している。マスターは一体何を考えてこのような暴挙に出ているのか、理解に苦しんだ。

「マスターを欺こうなんて狡賢いサーヴァントがいたものね。もう一度聞こうかしら。ランサー、貴方の望みは何?」

ナマエは肩を竦めながら溜息交じりに呟く。胸倉を掴む手により一層力が加わり、ランサーの首を絞める。感情の篭っていない冷め切った瞳は虚ろでありながら爛れるような憤怒の色が窺える。

「聖杯は、求めない」

再び走る痛み。二度目の衝撃に口内が切れたのか、口の端から鮮血が一筋伝う。無抵抗なのを良いことに、ナマエの二発目の拳は先ほどよりもずっと重たかった。その細腕のどこに力があるのかと、ランサーは思慮する。猶も口を割らないランサーに向かって感情の一切を取り払った静謐な声でナマエは言い放つ。

「令呪を使う手もあるけど、無駄遣いしたくないのよ。だからこういう手段に出ているわけ。貴方が本当のことを言うまで何度でも繰り返すわ」

そんなマスターを、ランサーは悲痛な面持ちで見上げる。山吹色の瞳には哀訴の色が浮かぶ。

「主よ…私の言葉に嘘偽りはありませぬ。騎士として貴女に忠誠を誓ったことをお忘れですか」

「貴方の言い分を聞いていると、虫唾が走るわ」

三度目の衝撃。頬の感覚は最早麻痺し、口の中に一層血の味が広がるのだけが感じられた。

「騎士?忠誠?笑わせないで頂戴。万能の願望機に願うものがないなんて、有り得ないでしょう」

ふふふ、とナマエは失笑する反面、ランサーの胸倉を掴む自分の手が震えていることに気がつかない。抑えきれない感情が堰を切って溢れ出そうとしている。

「主に聖杯をもたらすだけが聖杯戦争に臨む理由だなんて、貴方の望みが本当にそれだけなんて、信用できないわ!」

現界したサーヴァントが無条件でマスターに信頼を置き忠誠を誓うなど、考えてみれば浅はかだった。ナマエは矢継ぎ早に責め立てた。

「何故、解って下さらないのです…っ」

「解るわけがない…!」

「私はただ、騎士としての誇りを全うすることだけが望み!貴女に聖杯を捧げる、それだけのために戦いに臨んでいるのです!」

「黙れ!」

主従関係に於いても、態度こそ優位に立ちながらも決して言葉遣いだけは崩さなかったナマエが初めて言葉を荒らげた。冷えていた瞳はもうなく、ただただ憤怒一色に染まった双眸が見開かれるだけだ。

「何故そこまで誠意を尽くせる…何故忠誠を誓える…何故己の生い立ちに後悔すらない!これだけの仕打ちを受けながら何故理解を乞うことが出来る!」

ただ「忠誠」を守り抜くためだけに戦うというのか。過去の過ちを悔やむこともせず、ただ誇りを全うするだけで悲願が達成されるなど、話が破綻している。魔術を忌み嫌っておきながらもそれしか縋るものがないナマエにとって、ランサーの在り方が理解出来なかった。後悔の念も持たず過去も否定することがないランサーが、信用ならない。

「…何故…」

痛みに顔を歪めていたランサーの頬のぱたり、と何かが触れた。

「…主?」

「――っ」

二つ、三つと雫が落ちてくる。ナマエの瞳から静かに涙が零れている。目尻から溢れ、流麗に伝いおとがいから滴りランサーの頬を濡らした。

「望みを持たないなんて、建前としては最適…土壇場で裏切るのは目に見える」

「違う、そのようなことは」

「ならばっ…貴様が騎士であるならば、詭弁など弄するな!!」

悲鳴に近いそれは苦しさに耐えかねた訴えだった。彼をランサーとして現界させた時も今回のように強硬手段に出て問い質しても返ってくる答えは同じだった。何をもってしても頑なに返答を変えようとしない。現界し彼がナマエの望みを聞いた時、微かに狼狽した。魔術師が魔術を滅する。敢えて始めから己の本性を晒せば、或いは何らかの形でランサー自身の本性が見えてくる筈だった。しかしその意図に反し、彼女に示されたのは理解ではなく、唯々諾々として従う姿勢だった。

「本心を、ここで明かせ…上辺ではない、その本心をっ」

搾り出すように声を張り上げたのを最後にナマエは嗚咽を漏らす。小さく痙攣する華奢な腕にランサーはそっと手を添える。胸倉を握り締めていた指はあっさりと解けナマエの腕は力なく垂れ下がった。

「ナマエ殿」

床にぺたりと座り込んだナマエにそっと触れ、抵抗の色がないことを確認しながらランサーは腕の中にその体を抱きこむ。

「なんと言えば、私の言葉に嘘偽りがないと解って下さる…忠誠を誓うことこそが本心であると、どうすれば…」

はらはらと涙を流しながらナマエはようやく気がついた。このサーヴァントはどこまでも愚直なのだと。愚直過ぎるが故に本性を隠したり小手先の利いたような小細工はしないのだと。


蟠る本性


二度目人生があるのならば、誇りを全うするためだけに槍を執る。その言葉に虚偽はない。言葉では通わないのがもどかしい。意図が思うままに伝わらない。それがもどかしい。


多分アニメ放映時の2011年に書いたものです。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -