境界線を彷徨う
※調査兵団夢主
※KC6巻辺り


想像通りであった試しなどただの一度でもあったか。答えは否。予想の範疇を易々と越えて血飛沫はあがり断末魔を耳にした。己の考えなど、乱暴で残虐で陰惨な自然の摂理の前には否定されて当然だと思っていなければ、乗り越えられるものではない。予想外の状況、惨劇を目の前にして理性をどう保つか。

一つは自分の身を案ずること。

次は自分がああなる番だ。考えたくもない想像だが、これが思いのほか視界を広げるのに役立つ。頭に血が上って仇だのなんだのと吼えるだけ吼えて食われるのだけは避けられる。

二つ目はパニックに陥らないこと。

どうしよう、なんて考えたらそこで終わりだ。目の前の出来事をただ見て理解するだけでいい。あれこれ考えずに見たものを理解すればいいのだ。同期が食われたとか、向こうで巨人が一体討伐された、とか。要は深く考えるなということだ。パニックになったら死を意味すると思うべき。私はそう考える。

三つ目、感情を捨てる。

悲哀も憤怒も諦観も倦怠も、全て排除する。戦場ではその全てが邪魔になる。正常な思考を阻害し、冷静な判断を下せなくなる。時として大きなエネルギーになるが、私はそれを上手く使いこなせない。コントロール出来るようになるために要する時間と、私自身が巨人の胃袋に収まるのとでどちらが早いかという時系列的な問題に差し掛かるのだが、これは言うまでもない。そんなもののために時間を割くのであれば、初めからそれを放棄して然るべき。私は全ての感情をなげうって戦場に出るだけだ。



こいつは徹底した俯瞰主義者のようだ。隣で誰が死のうと微動だにしない。全てを客観視して、その状況を理解する。私情を持ち込まず目の前の地獄をただの情報として認識する。

「妙な動きはするな!人類に敵意がないことを早く証明しろ!」

地獄を潜り抜けて生き残って功績を立てている奴らが酷く動揺している。無理もない。巨人と対峙し、不明確な状況下で数少ない情報の中で戦わねばならない。長い間そうして神経をすり減らしてきたのなら、この反応はあって然るべきなのやも知れない。

「その腕を動かしてみろ!てめえの首が飛ぶぞ!」

「何か喋れ!」

「エレン!答えろ!」

「近すぎます兵長、離れて下さい!」

落ち着かなければならないのはその場の全員が理解していただろう。が、理解しているからといってそれを実行出来るとは限らない。各々が口々に叫ぶ。自分の中の恐怖を、焦燥を不安感を払拭しようと必死だった。一触即発。誰かが動きを見せれば事態が悪化する可能性もある。

「離れるのはお前らの方だ。下がれ」

「何故です!」

「俺の勘だ」

「みんな焦り過ぎ」

足元から聞こえたナマエの声に全員が虚を突かれた。エレンの巨人化の際の爆風で椅子から転がり落ちつつもカップを死守し、腹這いになってのうのうと紅茶を啜っている。のっぴきならない状態の中、ただ一人涼しい顔をして。

「ナマエ、貴方も離れるべきよ!」

「その必要はない。巨人になれるエレンが巨人化したことに一番驚いてるみたいだし。危害を加える気なんて毛頭ないと思うけど」

ていうかめちゃくちゃ熱いんだけど何これ。胡乱な表情を浮かべたのもほんの一瞬、巨人の大きすぎる肉片の傍で相変わらず腑抜けた顔をしている。

「それに妙な動きもなにもないでしょ、グンダ。本人の狼狽っぷりを見てみれば分かる」

小鳥のさえずりの穏やかなことよ、と何やら呑気なことを言ってるかのような口ぶり。周りと比べて、こいつの脱力っぷりはどうしたものか。

「お前は落ち着き過ぎだ。少し緊張感を持てナマエ」

「それは無理です。エレンが巨人化したという状況があれども、彼が暴走でもしない限り私はこのまんまですよ兵長」

全てを客観視し、その状況を理解し、決して私情を持ち込まず現状をただの情報として認識する。だというのに、どうしてこいつは人を信頼する?会って間もない巨人化するこの新兵に何故ここまで敵愾心を抱かない?信頼の上に成り立つものじゃないのか、そういうものは。ナマエの底が知れない。



みんなが巨人化したエレンを目の前にして緊張するのは分かるつもりでいる。でも力が未知数で、不可解で一番不安に感じているのは彼のはずだ。彼は、エレンは困惑している。その困惑している者に手を差し伸べずにいてどうする。化け物だとしても人間には恐らく代わりないのだから。

「落ち着けと言っているんだ、お前ら」

人の死を目の当たりにして動揺一つ表さない私だって、傍から見れば化け物みたいなものじゃないのか。人の皮を被った別の何か、なんて陰口を叩かれたことがあったような気もする。人には出来ることと出来ないことがある。そんなの分かりきったこと。私に出来ないことがペトラには出来て、エルドに出来ないことが私には出来る。そんなものだ。

精神的に疲弊することをあまり感じないのなら、疲れた兵士の八つ当たり役にでもなんでもなろう。ナマエという人物が他者から見れば鈍感な代わり者と映るのが普通だ。他者にないものを私が受け入れ、私にないものを他者に受け入れて貰う。それでいい。それで誰も死なずに済むなら、それでいいんだ。

「ちょっとみんな深呼吸でもしたらどうかな」

命よりも肉体よりも、気持ちを、心を消耗していく様子を見ていられない。

「エレぇン!その腕触ってもいい!?」

遥か向こうの方からハンジさんの興奮しきった声が聞こえる。まああの人がこの息苦しい空気を中和してくれるだろう。事の収集を変人分隊長に任せてしまえばいいだろうと、紅茶を啜る。味など、あってないようなものだった。


20130512
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