ロクでもない日の終わりに
※名前固定のモブがいる


朝から全くもって運がなかった。不具合なのか原因はわからないがスマホのアラームが鳴らず家を出る30分前に起き、いつもより遅く乗った満員電車に揉まれているうちにサラリーマンの鞄に引っ掛かったマフラーは制止する間もなく手をすり抜けていってしまったし、駅についてすぐに降り出した雨に折り畳み傘を出せば骨が折れて使い物にならなず止むを得ず傘を買って凌いだ。学校までの道程では嫌いな教員と鉢合わせしてしまい話を合わせる選択肢しかなく、一年か二年かは定かではないが女生徒から声をかけられこちらも対応せざるを得なくなり、教室に入れたのは朝礼三分前だった。

多少のアクシデントはあるにしてもここまで重なれば次は何がくるかと身構える気にもなる。所詮確率だが確率だから有り得なくはない。受けるまでもないが出席日数だけのために座して真面目に授業に臨む生徒を演じるのも今日は殊更に面倒くさい。

「ふん、ひどい顔」

辛うじて聞こえるような声に視線を隣に遣れば悠がこちらに視線を寄越していた。

「ただでさえ人相悪いんだから少しは取り繕えば」

「俺がどんな顔してようがテメエには関係ないだろ」

「視界に入るから関係ある」

悠の席は俺の隣。以前は教室の端と端くらいに離れていたが定期考査後に担任の気紛れで行われた席替えで最後列同士の真隣になった。引いたクジに何か細工でもされていたのでは。そう勘繰った悠は威嚇するようにこちらを睨んでいたのを思い出した。するはずもできるわけもねえだろ。バカか。

「人殺したみたいな顔で隣にいられると精神衛生上よろしくないんだよね」

「お前は人殺しした奴の顔見たことあんのか」

「物の喩え。揚げ足取りすんのダサい」

「下手な喩えをするお前が悪い」

「花宮、掛川。わからないところがあるなら言えよ」

声を潜めていてもずっと会話が続けば耳につく。老齢の数学教員は俺と悠を名指しで呼んだ。ちっ。普段は気にも留めない癖に今日に限って反応しやがる。どうやら虫の居所が悪いらしい。雰囲気でわかる。これは腹いせだ。すぐさま体裁を繕った。

「大丈夫です」

「私も大丈夫です」

「それならこの問題、解いてくれるか。設問三を掛川、四は花宮」

黒板を指で急かすようにノックした教員はこれ見よがしにため息を吐いた。態度が気に障る。席を立ちながら悠に向かって唸るように呟いた。

「覚えてろよ」

指名されたことを意にも解さない悠はまるで他人事のように口の端を上げて嗤って立ち上がって黒板に向かう俺の後をついてくる。

「ざまあみろ」

後ろから聞こえた嘲りの言葉で腑が煮えくり返りそうになる。ここが教室じゃなきゃ一発叩いているところだ。せめてもの憂さ晴らしすらできない。やり場のない怒りに眉間に皺が寄る。黒板に答えを書き込む間も苛立ちは治らず隣にいる悠を痛めつけたい衝動がじわりと湧き上がってくる。それを知ってかこちらを見て鼻で笑っている。

「手を出さないなんて明日は雪でも降るの?」

「場所に救われたな」

「遠慮せずやればいいんじゃないの。優等生の花宮くん」

妙に煽りやがるなこのバカは。ますます腹立たしくなって乱暴に力任せに書き殴っているとチョークが真っ二つに折れた。



昼休みに前の席に座っている和希がスマホをいじりながら呟いた。

「今日はやたらと花宮くんに絡むねえ悠は」

隣の席にいるはずの花宮がいないので和希は堂々と話を振ってきた。本人がいて話を振るようなら厚顔無恥が過ぎる。

「はあ?絡んでないけど」

日頃の恨みを晴らしているだけだ。イライラしているみたいだから追い討ちをかけるにはちょうど良い。一限の数学、二限の現代文、三限の英語、四限の物理。残りは五限の日本史と六限の古典だけ。今日の花宮は煽れば容易く乗ってくる馬鹿に成り下がっているようなので折を見て仕返しをしていけそうだ。

「誕生日だから?」

「誰の」

「花宮くんの誕生日だよ。今日でしょ?彼女なんだから祝ってあげ、ぐえ」

「彼女じゃねえんだわ」

悪気のない言葉を吐く和希の首を後ろから手で絞めてやるとあられもない声を出した。なんで花宮の誕生日を知っているんだと疑問に思ったが、和希のことだからクラスメイトの誕生日くらい網羅していそうではある。和希に発言を訂正させようとしているとふらりと原がやってきた。

「女子二人でプロレスごっこでもしてんの?」

「ぐええ、原くん〜何もしてないのに絞められてるの〜助けて〜」

「掛川ちゃんの握力じゃ粉砕骨折しちゃうから止めたげて」

「口挟むな。ぶち殺すぞ」

「うわマジおこじゃん。こわ」

粉砕骨折はあり得ないとして苦しそうなので手を離してやった。首を絞められた経緯を説明する和希の背中を摩りながら原はうんうんと相槌を打っている。彼女って言っただけなのに首絞められた、と泣きついている。彼女というワードは禁句だ。それを口にした時点で“何もしてない”には当てはまらない。

「ふーん。彼氏の誕生日に彼女がちょっかい出しただけでしょ。普通に微笑ましいじゃん?掛川ちゃんは照れんなよ。和希ちゃんは飛び火してドンマイ」

「絶っっっ対殺す」

「落ち着いて悠」

数秒前まで私に首を絞められていた和希が原に殴りかかろうとする私を必死に制止している。私が花宮の彼女であるはずがないので訂正させる必要があるんだ。離せ。仕返しをちょっかい扱いされてたまるか。

「これは正当な理由に基づいた仕返しだから断じて祝いなんて浮ついたもんじゃないわけよ。見りゃわかるだろ」

「ええー。知らなかった掛川ちゃんがこんなにツンだとは。花宮も男だから程よくデレてあげないと他の女の子に逃げちゃうよ」

「だからそういう関係じゃねえって言ってんだろ」

「火に油注がないで原くん〜!」

鎮火しようと必死に押さえ込もうとする和希を引きずっている私を見て原はうーんと唸っている。自分に殴りかかろうとしている相手を見下ろすのは身体的アドバンテージがあるからだ。腹立つな。

「煽るだけが仕返しっていうかなあ」

「は?」

「掛川ちゃんならもうちょいココ使ってやり返せるんじゃないの?」

ココ。人差し指でこめかみを指した。原に頭を使えと言われるのは腹立たしいが冷静になればそうだ。あまりにも幼稚すぎたのではないか。荒立つ気持ちを抑え、振り上げていた拳を下ろして襟を正す。

「人間が一番堪えるのは無下に扱われるでもなくバカにされるでもなく自身の存在がないものとされた時よ」

誕生日だかなんだか知らないが日頃の鬱憤を晴らすにはターゲットの情緒が不安定な時を狙うのが定石と言えるだろう。今まで散々、いや現在進行形で人の生活を引っ掻き回している花宮という存在に馬鹿正直に対応していたのが阿呆らしい。煽りに煽りで対抗してどうする。

「残り半日は全身全霊でガン無視してやる」

掛川悠の認識する世界には花宮真は存在しない。そんな態度を貫き通してやろうじゃないの。

「ガン無視されても全然気にならない人いると思うけど。まあ花宮には効くんじゃない?つーか半日限定の無視なんだ。もう残りちょっとしかないじゃん」

「午前中の授業全部でちょっかい出してた癖にいきなり無視するってのは無理あるよね。今日の悠は知能指数下がってない?」

原と和希がそんなことを言ってるのは私の耳には入ってこなかった。



肩透かしにも程がある。昼休みのあとから悠は突然素気なくなった。素気ないのはいつものことだし愛想良くしてきたとしたら頭をしこたまどこかに強くぶつけて健忘症にでもなってる可能性が高い。

「瀬戸。来週のバスケ部が体育館使う日で相談なんだけど」

「俺じゃなくて花宮に聞けばい」

「私はアンタに聞いてんだよ答えろ」

「妙に強気だな。被せてきたの掛川が初めてだ」

午後の授業でも嫌がらせの一つや二つ三つくらいあるだろうと思っていたが素振りさえ見せなかった。つまりは黙殺。予想を裏切る行動。恐らく誰かの入れ知恵。じゃなきゃ無視を決め込むわけがない。悠の思考回路じゃ思いつくはずがない。前の席に座る友人か、もしくは他の誰かに諭されたと考えるのが妥当か。日本史と古典と間に意味深に肩を小突いていたから事情は知っているだろう。俺と関わりがあり、尚且つ悠とその友人に対して踏み込んだ助言もとい唆すことが出来うる人間といえば数は多くない。朧気に候補が挙がる。

「人に聞く態度ってもんがあるだろ?」

「私はちゃんと尋ねたけど?“来週のバスケ部が体育館使う日で相談なんだけど”って。いつでもいいから一日だけ半面貸して欲しいんだよね」

「わかった。俺一人で決められないから明日答える」

瀬戸と悠のやりとりを盗み聞く。我ながら趣味の悪いことだ。俺に聞くよう誘導するのを遮ったが瀬戸の一存で決められないことは承知済み。ただ単に俺との接触を絶っている。なるほど。メニューが書いてあるホワイトボードを手に考え込んでいると声がかかった。

「花宮。メニュー終わった。次は?」

「シャトルラン。全員並ばせろ。1分後にスタートだ」

「さっきダッシュ50本やっただろ…」

「つべこべ言うな」

「八つ当たりしなくてもいいじゃん」

「原、お前だけダッシュ50本追加。シャトルラン終わったらすぐやれ」

「鬼畜!」

原の文句は聞き流した。鬼畜だろうがなんだろうが好きに罵れ。ダッシュを増やしてやるだけだ。

「おい悠」

道着に裸足の寒々しい格好ですぐ近くを通り過ぎる悠に声をかけるが案の定無視して体育館を出て行った。

「花宮、お前なにしたの掛川に」

「何もしてねえよ。してきたのは向こうだ」

「喧嘩するほど仲がいいってやつか」

「ヤマ。お前も50本追加」

こっちは朝からトラブル続きで気が立ってんだよ。いつものように噛みついてきていれば良いものを。普段は耳を傾けもしない助言を受け入れて黙殺するたあいい度胸じゃねえか。鬱憤を晴らすために今日の練習時間の大半は体力作りのための走り込みと筋トレに費やされた。

部活が終わる時間は大体どの部活も似たようなもんだ。度を超えた走り込みのせいで生まれたての子鹿になっている原と山崎の横を悠が通り過ぎる。鉢合わせした瞬間こそ視線が絡んだがすぐに目線を外して俺と距離を取った。露骨な態度に場の空気が、気まずさとおもちゃを見つけた時のような高揚感が混じったものに変容する。奇異の目を向けてくる四人を睨んで追い払って悠に歩み寄った。

「文句があるなら直接言ってこい」

「…………」

「おい。無視すんのも大概にしろ」

「来週いつでもいいから一日だけ体育館半面貸してください」

「その話じゃねえ。掌返しやがって。あとその他人行儀な喋り方止めろ」

「なんのことですか。貸せるの何曜日かだけ答えてもらっていいですか」

「てめえいい加減にしろ」

「いい加減にするのはアンタだ。しつこいんだよ質問に答えろ馬鹿」

「木曜」

必要最低限の情報でも悠にとっては納得するには十分だった。コートのボタンをしめてさっさと革靴に履き替えている。

「ちっ。最後の最後で話をする羽目になるとは。惨めな誕生日にしてやろうと思ったのに」

「誕生日?」

舌打ちする悠の言葉に疑問符が浮かんだ。思い当たる節がある。カバンから取り出した携帯の液晶に文字が浮かび上がる。

1月12日 水曜日

「……ああ」

こいつの言葉で思い出すとは。完全に失念していた。だからと言って問題があるわけじゃない。祝うわけでもなし。

「……今の今まで忘れてたの?」

「つうか覚えてたのか、お前」

「違う。誰がアンタの誕生日なんか覚えるか。図に乗るな」

「図に乗ってんのはお前もだろ」

自分が無視を決め込むことで俺に影響を及ぼせると勘違いしていたんだから。人に言える立場じゃねえだろ。吹き込んでくる凍えるような風でマフラーの存在を思い出したが今朝の通学途中でリーマンに持って行かれたことも同時に思い出した。仕方なく悠が手に持っていたマフラーを掠め取る。

「なにしてんの」

「お前コートあるからいいだろ貸せ」

「ふざけんな男ならこれくらい耐えろ。返せ」

「差別発言。撤回しろ」

後ろから口煩く文句を言いながら悠がついてくる。売り文句に買い言葉。罵詈雑言にはそれ相応の言葉を返し暗い空の下を早足で歩く。

「おい」

「返す気になった?」

「いや。お前の頭はめでたいなと心底思ってよ」

「は?喧嘩売ってんの?」

全く酷い一日だった。嗤えるほどに。悠の声を聞きながら息を吐いた。


20220112 Unhappy birthday!
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