綴り贈る
※大学生

花宮と私が同棲している。ということを知っているのはごく僅か、一部の人間だけだ。人の口に戸は立てられないし、別に隠す必要も、わざわざ言う必要もない。私とそこそこ親しい間柄となればいずれ知られてしまうことだ。年明けの講義で久々に顔を合わせた友人が、広い講堂の前方を指さしながら私に訊ねる。

「いいの?」

「なにが」

「空いてるよ、席」

花宮くんの隣、と促す。講堂の前方中央辺り、見飽きた後ろ姿は探すまでもなく判別出来る。

「四六時中そばに居られたら息が詰まる」

なんで二人で一つみたいな扱いなの。不満げに思いつつそれを口にすることはなく、「息が詰まる、だからここでいい。この場からは動かない」と、私が態度で示すめばきょとんとして首を傾げる。

「そういうもの?」

肩すかしを食らった彼女は好きな人とは四六時中でも一緒にいたいと思うものじゃないの?と不思議そうに目を丸めた。生憎そういう風に考えたことはない。家でも学校でも顔を合わせる。どこにいても花宮の姿があるわけだ。年末年始、常に同じ空間で、同じ時間を過ごしていたから視界から外れるといやに新鮮に感じる。あちらも同じだろう。滔々と進む講義に生徒が付いていく。みながみな真面目に受けているというわけではない。各々手を抜いたりしている。必修なのに出席しているだけで単位が取得出来る。そんな楽な講義。意味があるのか甚だ疑問だ。

「付き合って長いんだね」

「付き合ってない」

「…同棲してるのに?」

それどういう意味?っていうかどういう立ち位置なの。付き合っている、という事実を突きつけられてはたと我に返る。条件反射でそう言ったものの、第三者から見れば実質はそう見えるわけだ。とっさに否定はしてしまった。今までの経緯を思い返すと、これは付き合っているとは言い難い。

「立ち位置?」

「付き合ってないんでしょ…?」

じゃあどういう関係なの。あんまり詮索するつもりはないけど、とただただ不思議がる。彼女の言葉を反芻する。条件反射で否定した。それは感覚のずれに起因するものなのか。世間一般が思うような「付き合う」それとは一線を画す。少なくとも、馴れ初めからの出来事を思い返す限りでは、睦言を交わしたわけでも順序を経てああいった状態へ至ったわけでもない。ああ、思い返せば思い返すほど良いことではなかったと再認識させられる。

「それ、突き合うじゃなくて?」

後ろの席でやりとりを盗み聞きしていた別の友人は左右の指で卑猥なものの形を作り男女の肉体的関わりを下品に示す動きを再現した。講義の途中によくそんな真似が出来たものだ。幼稚っぽさに呆れながら一瞥くれてやると「講義受けなくてもいいのかしら?」とはぐらかす仕草をして大人しくなった。なにがしたかったんだ。返答しない私を見て言いにくいならそれでいいよ、と講義に集中し始めた。これは逆に怪しい関係であると言ってしまったようなものではないか。かと言って今更訂正なんて。ああ、しくじったらしい。



頭の中がぐるりぐるりとかき混ぜられている。何にって、それを認めるのはひどく悔しいが第三者から投げかけられた言葉だ。同棲までしていて違うというには余りに深い関係であるものの、ではそれに似つかわしい関係であるのかという疑問が降って湧く。本来やるべき課題を前に、その問いはひどく邪魔くさい。それなのにまずそちらを解決しないと先に進めない。頭と膝を抱えて唸る。

「付き合う、いやそういう感じではない。はず。それが的を射ているならこの違和感って」

「ぶつぶつうるせえな」

「放っておいて、あんたには関係ないから」

関係ないとは言い切れない。けれどもこれはただ単に私の受け取り方の問題。解釈の仕方の話。だから、花宮は関係ない。

「そうかよ」

「そうだよ」

もしかしたら段階を踏めばここまで悩まずに済んだのか。なし崩しではなく距離を徐々に縮めて時間をかけて互いを理解し合う。そう、一般的なそれであればもしかしたら。

「…………」

いや、そんな悠長なことに時間と力を注ぐ選択肢があっただろうか。あったとしても、選んではいないし、そもそも考えもしないんだろう。あのときの身の振り方、思考、人との関わり、人間関係の構築。花宮と俗に言う”一般的”な経緯を経て、こうなるか否か。まあ、あり得ないだろう。普通のやり方では。

過ぎたことをあれこれ考えてみてもどうしようもないはずなのにそこを鑑みずにはいられない。先に、進めない。けれども課題の締め切りは延びないし待ってはくれない。ひとまずその問いには蹴りはつけられない。お預け、と自分の中で一旦手を離して顔を上げる。参考のテキストを片手にレポートを作成する。

―付き合って長いんだね。

ああ、だめだ。また邪魔をしてくる。ぐわんぐわんと頭の中で反響して、静かに確実に存在を主張する。無視出来る問題なのか、と視界の隅でそれをチラツかせる。これは先に片づけなくていいのか、と。にっちもさっちもいかない。

「うー、」

「蠅がいるな」

「………」

悩みに喘ぐ声を漏らすなり花宮から「課題は黙ってやれ」と圧力がかかる。無意識に漏れそうになる声を、喉元でぐっと堪えて黙る。言われるがままになるのは嫌だが、文句を言われるもの嫌だ。唸るくらい好きにさせてくれ。花宮、今すぐここからいなくなってくれないかな。なんて自分勝手な思考までも浮かんでくる。気が散りすぎている。

頑固で融通が利かない頭だ。無視するなり聞かなかったことにするなり出来るはずなのに、思考のフィールドのど真ん中に深々と突き立てられた言葉の楔は簡単には抜けてくれない。言葉の意味、花宮との関係、現状、第三者からの視点、現実、経緯、私の感情。思考を巡らせれば巡らせるほどに楔は更に一層深くきつく絞るように入り込む。付き合うということはどういう事を指すのか。花宮と私の関係がどういった経緯により構成され醸成され現在に至るか。同棲という事実はそれ以外に示しようがないのか。言い表しようのないマイナスに傾いたままの生の感情。考えた分、思考した分、分析した分だけ深く鋭く事実を突き立ててくる。

素直になってみれば。認めてしまえば。そう軽口を叩いてくるのはどこの誰か、なんてこれも陳腐な問い。答えは私自身だ。恐らく、誰でもない、私。でも私がそんな思考を受け入れられるとでも。つかみ所のない芯のない、流されるがままの柔らかい思考を、考えを易々と受け入れられるとでもいうのだろうか。堂々巡りだ。なんの進展もない。

抱えた膝をおろして背後を見遣る。花宮は本を読んでいる。至ってマイペースだ。自分のペースで、自分のこと以外にはからきし興味がなくてお構いなし。自分のすべきことを為している。シンプルで、今の私からしたら難しいこと。暇そうだな。暇なんだろう。暇ということにしていいか。暇なら私の問いかけに答えろ。なんて、傍若無人に振る舞えるはずもそう言えるはずもなく。

「話しかけてもいい?」

「俺は関係ないんじゃなかったのか」

「言ったけど、関係はないと言い切れなかったし原因はあんた」

「勝手だな」

「だめならいい」

「うるさいのは御免だ」

続けろよ。手をひらっと翻して促す仕草がどこか優雅で悔しい。余裕のある態度。自分のことにいっぱいいっぱいになっている私とは対極にいる。

「特別な関係なのか、って聞かれた」

付き合っている、その関係に至って長いんだね。私たちの関係が、それに合致するものなのか。その問いへの答えが出ずにいる。粗方の説明を終えると、数瞬の間を経て臓腑の奥から吐き出されるため息は長い。花宮は呆れている。

「くだらねえな」

「分かってる」

「それに頭が固い」

「自覚してる」

「だから考えているとでも」

「そうだけど」

「私なりに、か」

余計な一言だ。

「他人の考えなしの発言にそんなに気を遣ってどうする。時間の無駄だって跳ね除けるんじゃねえのか。お前らしくもねえ。そんなことより課題をさっさと片づけろ。たまってるんだろ」

「ケースバイケースでしょ。全てに対してそれが出来たら苦労しないしこんなに頭を抱えてない」

それに、花宮に発破をかけられるほど課題はたまっていないし切羽詰まってもいない。

「悩んでる私は健気ですってアピールか」

「得するならやるけど」

「してんじゃねーか」

「どこがそう見えるの」

人の悩みを自分の物差しで計るな。至って真面目に悩んでいること自体が不毛であっても私にとっては大事だ。でもどこかで下らない問答だと把握はしている。所詮不毛で取るに足らない、些細なことで人は悩む。消化してなくなってしまうまでは、どうしようもない。なくなるまでの過程で足掻いて藻掻いて必死になるその姿は、あんたから見たら滑稽なんだろうね。生まれた沈黙に、パソコンに向かってレポート作成を再開するが進むはずはない。意味もなくスペースを連打する。ワードの画面に生まれる不自然な空白。無駄。無意味な思考。先の見えない空白。埋めるべき溝。埋めなければここから一歩も動けない。

「悠、お前は俺が好きなのか」

「は?」

振り返って花宮を睨む。なにをほざいているんだ、あんたは。花宮は手元の本のページをめくりつつ私の返答を待っている。間の抜けた声を出したきり、継ぐべき言葉を失っている私を肩越しに見遣る。この期に及んで一体なにを。なにを今更。お前、花宮。自分でなにしたか、私に対してしたことを分かって言っているのか。花宮は、未だ私の返答を待ってこちらを見ている。四の五の脳内で捲し立てる前にまず否定だ。

「好きじゃない。全くもって」

だろうな、というような仕草をして再び花宮の視線は私から外れた。しなやかな髪が揺れる後頭部から伸びる首筋、肩がゆるりと動いた。またその所作が優雅に見えてしまう。

「もう少し詳細に」

「なんで」

「詳細に言え」

嫌いとなる原因を詳細に言えって、自分の傷口抉るような真似をしてどうする気だ。と、考えもしたが構うものか。私は先を促されるがまま、遠慮なく思っていることを矢継ぎ早に、端的に言う。

「どっちかと、って言うまでもなく、私はあんたが嫌いだよ、花宮。散々私を踏みにじってきたんだから。嫌悪とか、憎たらいとか持ってる気持ちはたくさんあるけど」

嫌いだ、花宮なんか。たったその一言で片づけてしまうには、だいぶ抵抗のある感情だ。出会った日から今日までの数年間、事細かに思い返し数え出したら両手の指が足りないどころではないだろう。憎いと、嫌いと思うに至る理由とやらが、山のようにうず高く積み上げられるから。

「ひでえ言われようだ。で、その嫌いな奴とこうなっている理由は」

「理由?」

「そう。嫌いっていう感情を差し引いても残るものは」

嫌いを差し引いて残るもの。

鬱々と暗い感情を押し殺していた頃。見るもの全てが嫌で仕方がなかった。周りに合わせて本音を隠して偽って演技していた頃。周囲の人間が嫌いで嫌いで仕方がない。演じていた癖に、諂っていた癖にそれを見下してきた、逃げようもごまかしようのない感情。その気持ちが揺らいだ。そんなものは要らない。そう思い決断して捨てて身軽になれた。差し引いても有り余る、花宮真という存在。知ってしまった。認めてしまった。自分が如何にそれを認めたくなかったかを、認めてしまった。でも、どこか安心する。僅かに唇が震えた。手に握りしめていたテキストが滑り落ちていく。足の甲にぶつかってひっくり返って、ページが乱雑にめくれていく。

「あった方が、いた方がいいから」

そういう選択をしたのは私自身だ。これから先も、きっと要る。もっと要るようになる。倒れないように必死に力を込めて立っていた私が、あれを経て、これからもしっかり立っていられるようにするためには、花宮が、必要だ。好意的な感情がなくても、隣にいるのが当たり前であって、こうしていることが私にとっては必要で、欠けてはいけないもの。

「花宮が、要る」

私の出した答えを聞いて、満足げに、且つ至極当たり前のように笑う。ようやく分かったか。ようやくたどり着いたか。どうとでも取れる態度だ。

「そう。それでいいだろ。好きでもないけど必要だから。それで事足りるだろうが」

その通りだ。まさしく正鵠。

「あとな、宙ぶらりんで都合がいい時期ってのもある。慣性に抗わず重力に従ってなすべき時が来るまで待つ。時宜ってもんがある」

黙ってそのままになっていればいいのにな。お前がバカスカ考えすぎる。言われたことを一から十までまともに受け止めて処理しようとする。花宮は言う。

「好き嫌いで飯を食ってるわけでも息をしているわけでもない。ただ生物が生命機能を維持するためにするもんだ。それと同じようなもんだと考えりゃいい」

「本能って言いたいの」

「後天的だけどな」

私が花宮を求めるのは後天的であれ本能。なんだそれは。こじつけじゃないのか。

「話がやけに大きくなってるし、逸れてるけど。なんでそうなるの」

「例え話は大げさな方が分かりやすい。お前はバカだからな。こうした方が理解が早い」

「バカじゃない」

アンタには劣るけど。苦虫を潰す思いだ。一緒に過ごす時間が増えてよく実感するようになった。花宮は頭の出来が違う。根本から。逆立ちしたって敵わないと思う時が多々ある。

「俺からすれば十分バカだ」

まあ、世間一般的には水準並だろうがなと花宮は鼻で笑う。誉められているのか、貶されているのかは分からない。

「必要だから居るんだろ。ごちゃごちゃ考えるな」

関係ないと始めから決めつけてかかった相手の一言でこうもたやすく納得できてしまう。関係を指摘されて混乱している気持ちに、感情に、整理をつけて昇華させる。それを易々と為したのは、ほかでもない花宮だ。自分の受け取り方の問題であると決めつけて同じところを何度も何度も行き来して出なかった答えが、たった数分の会話で出てしまう。救われた。それなのに、まだまだ、素直になりきれない。凝り固まった思考は、そう簡単には変われない。

「癪だね、本当に」

「解決して貰ってそれを言うか」

喧嘩売ってるのか?と冗談めいてふっかけられるそれには返事はしない。解決して貰って癪なのは事実で、素直になれない私の感情の機微で、今はそれしか言えなくて。

「それ以外に何があるって言うの」

でもそれを言ってちゃだめなんだろう。

「そうだろうな、お前のことだ」

「でも、あっさり片づいてびっくりしてる」

そのままで、それでいいだろう。白黒つけない曖昧な答えにこんなにも気が楽になる。私は相打ちをうちながらこぼした。

「ねえ」

言うにふさわしい場面なのか、空気なのか、それは気にしなくていい。

「誕生日、おめでとう花宮」


綴り贈る


どんなにつまらない問答であれ、それが大きな度合いを占めれば捨て置くことはできない。悠が意地を張って一人でどうにかしようと頭を抱えたのは意固地故だ。迷惑をかけまいとしたのか、自分で解決しないといけないと思ったのか。もちろん後者だ。自分でやるのは勝手だが、手に負えないものを扱おうとするのなら手を貸せと申し出ればいい。手に余ると自覚しているのであれば、尚更だ。どうせ一人なら、悠程度の思考なら堂々巡りするのが関の山だ。

他者にいともたやすく導き出された答えに反発することもなく、受け入れるだけまだよくなった。生意気を言っても、所詮口だけだ。解決出来て安堵しているのが第一で、自分の気持ちに余裕が生まれたことが何より、といったところなんだろう。俺からふっかけた喧嘩には総じて噛みついてきた悠の反応がないのを見れば火を見るより明らかで。どこか物足りなさを感じつつも、干渉されず静かに本を読み進める。

「誕生日、おめでとう花宮」

耳を疑った。ページをめくる手が止まった。一体どんな顔してそれを言ったんだ、お前は。振り返ったときには既に、悠はパソコンに向き直って課題を片づけるべくキーボードをリズミカルに打ち始めていた。先ほどまでの問答などなかったかのように、存在しえなかった時間のように。

「ったく」

悠に背を向けてソファに凭れ掛かって深く沈み込む。めくりかけたページが指にかかったまま動かない。なんの脈絡もなく、そんな言葉を一体いつから吐けるようになった。どんな心境の変化っていうんだ。なあ、悠。不意打ちもいいところだ。


20160112
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