たがわず、いつものように
※モブがだいぶ出張ってます。
骨の髄まで凍える寒さではないにしろ、室内というのに吐き出す息が微か白い。
「ねえ、キネシオテープ借りたいんだけど、そっち余ってる?」
体育館を半分に区切る緑色のネットの隙間から、悠が少しばかり身を乗り出して備品の入ったプラスチックのボックスを指さしていた。そのくそ寒い体育館の中、あろうことか裸足で活動している空手部はこの気温では些か(いやだいぶ)心ともない恰好だ。道着の下はシャツ一枚くらいしか着てないんだろう。かくいう部員の一人である悠も例に漏れない。手先、足先が冷たさにやられて真っ赤になってる。いつも垂らしている髪を一つに結って首筋も風通しがよさそうだ。
「相変わらず寒々しいな」
「あるの、ないの、どっち?」
「ある」
「あるなら貸して」
「お前、自前の持ってるだろ」
「先輩が借りてこいって」
「パシリか。一年を差し置いて二年のお前が」
「うっさい。早く貸して」
「冷てぇ!」
脹脛に悠の足が押し付けられている。人の足の形をした氷だ、人肌の温度なんざ皆無の。張本人は悪びれる素振りもなく手中にキネシオテープがあるのをいいことにただただ涼しい顔してやがる。このクソアマ。
「なくなっても文句言わないで」
「なくなったら買って返せ」
「この辺りだけあったかいね、何でだろう」
ボールを手にしたわざとらしく原が「俺この気温なら練習頑張れそう」とのたまう。こいつだけフットワークを倍に増やそうか。手を離れたボールはパシュッと小気味いい音とともにゴールネットをくぐる。
「まだ正月ボケしてんの?」
「…いつもだけど可愛い反応してくれないよね、掛川ちゃん」
「する必要がないでしょ」
手足先だけでなく対応もかなり冷やかで、付け入る隙すら見せない切り返しをするだけして踵を返し戻って行った。
*
借りて来たキネシオテープを先輩に渡すと、なにやら言いたげにこちらをじっと視線を送っていた。
「…テープ足りませんか」
「いや、大丈夫」
「……巻くの手伝いますか」
「いやいや、ごめん」
言っていいものかと逡巡した素振りを見せつつもからかうように口を開いた。どことなく嫌な予感がする。
「なんかさあ、掛川って最近生き生きしてるよね」
「はい?」
「稽古中も前よりも更に頑張ってるというか、やる気が漲ってる感じ」
「それ、思ってた。私生活で何かいいことあったな?」
「はあ…ないですけど…」
「組手とか気合い入り過ぎだから。昨日の大会とか」
そりゃ気合い入れずに大会に臨む阿呆はいないでしょう。とは言え初戦の上段回し蹴りが綺麗に決まったのは我ながら気分が良かった。
「予選とはいえ強いところばかりだったのに二回戦まで進むんだもんな」
「その二回戦で負けたので誇れる点はないです」
「またまた。あれは当たった相手が悪かっただろ。それに善戦したし」
「演武は準優勝、組手は初出場で二回戦進出。今更ながら才能があったんだなお前は」
死ぬほど練習したから才能の一言で片付けされるのは不服だ。先輩達のやり取りが盛り上がってしまって謙遜の言葉も役に立たない。聴く気がないのか。あんたらの耳は筒か。
「顧問の稽古が厳しいものあるかも知れないけど」
まさか短期間でここまで伸びるなんてね、と一つ上の先輩、紅一点が背中を数回叩く。くっそ、この怪力女、加減しろ。
「じゃあ手始めに、掛川中心に組手を20本10セット」
「遠慮します」
「そう言うなって、受け取って置けって。先輩からのお年玉だよ」
そんな物騒なもの余計受け取りたくないです、と辞す前に「遠慮するって言いながらコイツがっつりこなすから手加減するなよ。一年は胸借りるつもりでやれ」と部長からヘッドガードを投げて寄越された。今日の稽古はリンチ確定だと腹を括りつつも、「先輩ペチャパイだから貸せる胸ないですね?」といった一年は特に重点的にミットになって貰おうとグローブをきつく握り締めた。
*
「ありがとうございました、って先輩が言ってた」
こちらからすればほとんど顔も知らない先輩とやらからの伝言を携え、練習後にキネシオテープを返しにきた悠は酷い有様だった。
「…………」
数時間前の顔つきとはえらく違い、その落差に驚いて喉に引っかかって言葉が出てこない。
「要らないなら貰っておくけど」
「お前ひっでえ顔になったな」
「喧しい。要るの、要らないのどっち」
「要る」
打ち込まれたのか、打ち込んだ際に食らったカウンターなのか。道着から出ている肌がまだら模様に赤く、ところどころ既に紫色へ変色している。当たりが厳しかったようで、口の端がざっくり切れて血が浮んで、足の爪も欠けている。
「絆創膏要る?」
「要らない」
山崎の気遣いも先刻同様すげなく流していく態度は変わらずだ。寧ろ磨きがかかってる。そんな状態を知ってか知らずか空手部の先輩らしき人物が声をかけた。
「掛川、悪いんだけど戸締りだけ確認頼むな」
「分かりました」
「ていうかお前一年しごき過ぎ」
悠同様に打ち込まれた跡が痛々しい一年と思しき男子生徒が、こちらを気まずそうに見遣って会釈して体育館を出る。悠は体育館に部員が一人もいなくなったのを確認して髪を下ろしながら、悪態をつく。
「生意気な口叩く方が悪いっつーの。少しは身を弁えろ一年坊主」
「…お前、鬼だな」
「身体的特徴を揶揄されたら徹底的にやるでしょ、普通」
男子相手に容赦なく食って掛かった原因がそれかと得心がいった。が、自分も余波を受けることになるような予感がした。
*
風呂上りに酷く不満げな表情で湿布を貼って欲しいと申し出があった。筋肉痛で早くも腕が後ろに回らないらしい。
「痩せたな」
部屋着を抜いでキャミソール一枚になった悠の後ろ姿を見て口をついて出た。
「そう?」
今日の気分からして物理的制裁が予想されたので、ますます絶壁に磨きがかかったとは口にはしなかったが。年明けの稽古で早速しごかれたし、とまるで他人事のようにこちらに髪を耳にかけつつ、背を向けて座る。
「左右二枚ずつ」
「頼む態度じゃねえな」
後ろから髪を梳くように頭を撫でるとまだ僅かに水気の残るしっとりとした感触が、指の先を支配する。悠が視線をこちらに遣るまでの一連の動きが、水のように滑らかで。予期しない俺の行動を理解するまでに時間を要しているのか、唖然としてこちらを見ていた。肩を掴んで振り向かせざまに、べろ、と口の端を強く舐めるとまだ僅かに鉄くさい。
「痛っ…」
意表を突かれ若干きょとんとしつつも、べち、と掌で顔を押して牽制だけはちゃんとする。
「せっかく閉じたのにまた」
血が出て来た、と文句を垂れる悠を後ろ手に拘束してそのまま押し倒す。
「―!」
背中越しに、焦った視線がかち合う。昼間の氷の手足とは違い、今の自分より体温が高い悠の肌から熱が手に移るようだ。当の本人は体中が痛くてろくに反撃もしないから口うるさく吠えるだけだ。
「っ、湿布は、!?」
「剥がれるだろ」
こういう体勢になるまで予想出来なかったわけじゃあるまい。それともする気が毛ほどもないのか、まあどうでもいい事だ。
「嫌だったら徹底的に反抗しとくんだな」
中途半端はなしだろ。以前は触れただけでとてつもなく不快感を露にしていた。それはもう蛇蠍の如く。眼前を獲物がふらついているのに馬鹿正直に目を瞑れるか。裾から手を忍ばせて掌に収まっても余裕があるそれに触れる。途端に肌が粟立って、らしくもない甲高い声がもれる。
「つ、めた…っ」
「昼間の仕返しだ」
「ひっ」
脇腹を指の腹で撫でながら下降する動きに足を引き締めて、精一杯身を捩っているんだろうが侵入は容易かった。触れている肌より更に熱くなっている中は、言うまでもない。擦れる度に、押し殺そうとしつつも殺しきれずに声がもれた。久々に聞く、鼻から抜ける声に耳の奥が痺れる。つーかこいつこんな声だったか、なんて考えてたら悠のせっつくような声色に僅かながら現実に引き戻された。
「手、花宮、手離して」
「あ?」
背中攣りそう、痛いと悠は蚊の鳴くような声で悲痛に訴える。この期に及んで、と逡巡したが切羽詰まった声と微かに滲む涙に手を解く。大人しく手を着いて、ひとまず痛みを緩和出来たことと異物が出て行ったことに安堵の息を吐いた。悠は涙を拭いつつ、観念したようで大人しく横目でそれを見ている。
「あんま見んじゃねえよ」
「……見てない」
「もっと上手く嘘吐けよ」
「痛っ」
ガン見してたじゃねえかと引き締まった尻を叩くとパンと小気味いい音がした。それがかなり堪えたのか悠は心底憎らしいと言いたげに、覚えてろ、と歯ぎしりする。あーはいはい、うるさいからちょっと黙れ。もういっぺん叩いておいた。ぐうの音も出ないだろう。恥辱で半分マジ泣きになりつつある悠の腰を掴んで押しかかる。頬を伝って汗が流れて滴になって落ちた。
「あー…」
「間抜けな声出さいないでくれる…」
「誰が間抜けだコラ」
白けるじゃねえか。乱暴に突き上げると相変わらず頑固に声を抑えてはいるものの、動きには従順に反応してくる。掌を握り締めて唇をきつく閉じながらも反応してくる。やり甲斐があるもんだな。
「この辺か」
「本当痛いから、止めて、そこ触らないで」
ふーん、あっそ。じゃあ背中以外のところは文句ねえよな。太ももの半ば、楕円形に変色したそこを指で加減なく抉る。
「あ っ、ぅ」
柔らかく硬いぬかるみが、ぎゅうっと締め上げた。
「よっぽど具合が、いいみたいだな」
「う っさい… っん」
嘲笑にいつもの口応えをするものの舌も引かぬうちにそれは嬌声になる。皮膚を穿つ鈍痛から益々正直になっていく様が愉快で堪らない。至るところにある痣で善がる悠の様子が可笑しくて堪らない。内またがえらいことになっちゃいるが瑣末なことですぐに気から逸れた。一心不乱に打ち付ける。反応がある度に背筋をぞくぞくと走るそれに急かされて飽きもせず肌を抉る。腰に爪を立てて血が滲んでいることには気が付いたが手を緩めるつもりも止めるつもりも毛頭なかった。脹脛の大きなそれがかなり痛むようで、しつこく詰るとまた締め付ける。泣いてるんだか啼いてるんだか、わからねえな。痛いという毎に嬲って悦ぶ様を目に焼き付ける。押し倒した悠の体が戦慄いて、か細い悲鳴と一緒に不自然に体を捩る。それと同時に張りつめた糸が切れた。
「ぅ 」
「あ っ」
緊張から解かれて突っ伏しながらどうにか荒い息を整えると、さっきまでの興奮が嘘のように引いていく。心地良い、と形容するには度が過ぎた疲労感がどっと押し寄せる。
「おい、」
ぐったりして動かない悠の肩を揺らすと、顔にかかっていた髪がはらりと揺れる。寝落ちでもしたかと顔を覗き込んで、咄嗟に顔を逸らした。這いつくばっているのが精一杯で上気して汗ばむ顔を視界から外すために。
*
悠は不機嫌そうに、眉間に皺を寄せて睨む。
「痛いって言ったんだけど」
「離してやっただろうが。それに貼ってやった礼がこれか?」
「加減されただけ良かったと思えば?」
「会話が成り立ってねえぞ」
済んだあと、もう一度風呂に入ってきた悠の背中にようやく湿布を貼ったところで、渾身の平手打ちを食らった。腕上がらないんじゃなかったのかよ。口の中が切れて血塗れだ。
「覚えてろって言ったでしょ」
尻を叩かれたことを根に持っているのか。一発や二発で口うるさいやつだな。
「本来なら二発食わらせないと気が済まないけど」
「けど何だよ」
「散々な誕生日で、いい気味だから」
それに免じてなかったことにしてやる。鼻で笑いながら舌を出す威勢のいい悠の胸倉を掴んで噛みつくとまた血の味がした。
2015.1.12 happy birthday?