イイハナミヤ02
※社会人設定

前後不覚とはこのことだ。全体重をかけて組み敷いて後ろから容赦なく責めればなんのことはない。激しかった抵抗の色は穿てば穿つほど消え失せて、終いにはメス特有の甲高い声を上げて鳴く。まともに身動きできないにも関わらず突っ張る手足に仰け反る背中に、不規則に跳ねる腰。思いやりなんてもとより持ち合わせていないし、気を配ることも様子を見て加減するなんてこともしない。引っ掻き回されるがまま、悠は啼いて喘いで達した。それを何度も繰り返し死んだように動かない(息はしている)悠の体の中からそれを抜き出していると、項垂れながら起き上がろうとする悠が視界の隅に入った。起きた瞬間に警戒すべきだったと後悔するのは数瞬あとのことだ。突然、腹部に衝撃が走って息が詰まった。

「――っ!?」

起き上がり際、器用なことに悠はその体勢から後ろ蹴りを俺に向かって放っていた。こいつのことだ、肩か頭あたりを狙ったんだろうが大きく逸れて脇腹に食らった。その後ろ蹴りは成功というには距離が近すぎ、失敗というには威力がありすぎた。が、どちらにしろ俺にとっては不意を突かれた攻撃であって痛いことには変わりない。

「いっ  てえな…!」

てめえ、この野郎。そこいらのチンピラの方がまだマシなセリフを吐けるだろう、下等な言葉しか浮かばないほど息が出来ない。食らったダメージを上手く処理できずに混乱している俺に向かって今度は枕が二つ、剛速球よろしく吹っ飛んで来た。寸でのところで避けた先、肘鉄を食わらそうと腕を顏の前で振りかぶる悠の姿はまるで鬼のようだ。

「…っ!」

バランスを崩しながらベッドに雪崩れ込む俺を追いかけて悠は身を翻す。ようやく息を吸えるようになったのはいいが、背後は壁で完全に袋小路だ。こちらに足を踏み出す悠はやはり鬼のような気配すら放っている。―目を逸らしたら殺られる―なんて映画の中くらいでしか使い道がなさそうな台詞をまさかこんなところで使うとは思いもしなかった。

壁に膝蹴りが直撃する音が響いた。避ける際に後頭部を壁にぶつけたが、顔面潰す気か!と言いたくなるほどの鬼気迫った一発を避けられたのなら文句はあるまい。空手に膝蹴りはねえだろうと思いつつも攻撃の手が止んだ隙に、悠の手を掴んで取っ組み合いの姿勢をとった。脇腹へのダメージがある分、背中に壁があればいくらか心強い気もする。悠は下から恨めし気にこちらを鬼の形相で見上げている。

「っだよ、今日はやけに食いつくな」

「私も虫の居所がめちゃくちゃ悪くてね」

まともに食らわすことが出来たのは、一番初めの虚を突いた後ろ蹴りだけだという事実が悠には納得いかないんだろう。隙あらば俺を薙ぎ倒して何かしらの攻撃をするるつもりなんだろう。(どういうわけか今日は顏を狙いやがる)足を払う気なのか、足首や膝を執拗に小突いてくる。両の手を掴み合って互いに互いの足を蹴り合い、レスリングでもしてるのか、とツッコミが入りそうな小競り合いが数分続いた。

「阿呆くさ!」

取っ組み合いの無意味さに気がついたのはどちらも同時、揃いも揃って素っ裸でこんなことをしているなど愚の骨頂であるわけで。

「興醒めだ馬鹿野郎」

「そっくりそのまま返すわ大馬鹿野郎」

どちらが先に風呂に入るか、顔を突き合わせて食事できるかお前は他所で食べろと、寝るまで喧嘩と衝突を繰り返した。



憎いほど晴れだ。言う気はさらさらないが、よそさまに到底言えぬような喧嘩をした翌日の澱んだ腹の内とは真逆の晴天さが心の底より憎たらしい。なのに同じ時間に家を出なければならない腹立たしさ。悠も全く同じことを考えているようで眉間に深く皺が刻まれている。

「あら、お揃いで出社?」

ともしなくても、睨み合いが激化し玄関先で昨晩の続きが再開されそうになるのを隣人が防いだ。雲ひとつない晴天と似通った、晴れ晴れとした声の初老の女性だ。にこやかな笑顔と「いい人」がにじみ出るその声に俺らは幾らか背筋を伸ばし揃って挨拶をする。

「ああ、おはようございます」

「おはようございます、たまたまですよ」

よそ行きの、体裁を繕う。最低限の身だしなみと同様に最低限の体裁も必要なわけだが、それを取り繕うのも揃って同じタイミングでという狙ってないにも関わらず一致する心地悪いさに内心で唾を吐き捨てた。そんな俺(恐らく悠も内心で唾を吐き捨てている)を他所に女性は「そういえば」、と不思議そうに首を傾げた。

「昨日、模様替えでもなさったの?夜遅くに物を動かすような音が聞こえたけど」

夜遅く。模様替え。音がした。今朝のこの虫の居所の悪さの原因は昨晩の喧嘩というか取っ組み合いで、その原因というのは―そこまで考えて思考が停止した。これはただの世間話みたいなものだ。ただの質問だ。しかしなんと答えればいいのか、気持ちばかりが急いて思考が一切働かない。妙な沈黙が流れそうになった瞬間、隣にいた悠が口を開いた。

「え、あ、ああ、すみませんでした。煩くしてしまって。ご迷惑をおかけしました」

捲したてるように矢継ぎ早に謝り倒す悠は、「一刻も早くこの場を立ち去りたい」と視線をこちらに寄越しながらそう言っている。全くだ。同意する。

「申し訳ありません。今後は重々気を付けますので」

「いいえ、別に構わないのよ。子供がいるわけでもなし、ただちょっとびっくりして。普段そんなに物音しないから、いきなりどうしたものかと思ってねえ」

生活してりゃ物音ぐれえするだろうが、老婆心もいいが次は勘弁してくれと他人に八つ当たりしながらも自分らの行為自体に後ろめたさはある。逃げるようにエレベーターに乗り込み、一階の玄関エントランスを横切りながら悠をどついた。

「煩くしてしまって、って本当にな」

「私だけが悪いみたいな言い方だね」

「実際そうだろ。お前が黙って言うこと聞いて手出ししなきゃ、ああはならなかった」

「元を辿れば誰が悪いか、責任の所在がはっきりするんじゃないの?」

「元を辿っても原因はお前だぞ、悠」

「これっぽっちも辿ってない」

「責任転嫁か。お得意の」

「責任逃れも大概にしろ」

改札を通り一度視線が絡むと、当然のように一旦睨み合いながら逆方向へ向かう。憎いほどの晴天に、心臓に悪い隣人とのやりとりで鋭敏になった神経をどうにか落ち着かせようとコーヒーショップで濃いブラックコーヒーを注文したが、神経を逆なでするだけに終わった。
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