鏡合わせでも相反するようで
※真選組夢主

剣術の稽古に勤しむ寒河江は活き活きとしている。近くにいる隊士がこちらに気が付き彼女の肩を突いた。

「おい、寒河江。行かなくていいのか?」

「参謀様がお待ちだぜ参謀補佐。どうやって取り入ったんだよ。女ってのは武器があっていいよなあ」

下世話な問いかけをした隊士を見遣って寒河江はきっぱりと言い放つ。

「それセクハラですよ。ムカつくので一発失礼。懲りたら二度と言わないでください」

「痛え!」

去り際に軽口を叩いた隊士の太腿に蹴りを食らわし颯爽とこちらに駆けてきて、寒河江は姿勢を正し一礼をする。

「すみません、お待たせいたしました」

「稽古の途中に悪いが、夕方から江戸城で会議がある。同行してくれ」

「上層部への防犯予算掛け合いの件ですよね。確か篠原さんと岸田さんが同行するはずだったのでは…?」

「岸田は出れなくなった」

「わかりました。準備しておきます」

稽古場を出て僕の後ろを歩く寒河江は汗を拭う。稽古着から覗く腕にはいくつか痣ができていた。女だからと稽古の手を抜かれては何の意味もないのだろうが、少しばかり目立つ。

「腕が痛々しいようだが…」

「あ、すみません。少し打ち合いで白熱してましたので…。色がすごいだけで大して痛くはないんです」

そう言いながら腕を引っ込めて袖で痣を隠した。赤紫色の痣は今日できたものではない。数日に渡り打ち合いをしているらしい。仕事が忙しい中でよく時間を捻出していると感心した。

「寒河江くん。君はこのような男世帯で苦労することはないのか」

「はじめのうちは気を遣うことが多かったですが、もう慣れました」

住めば都でもあり仕事が忙しいのもあってそこまで気に揉むことはないという。

「でも、ここに着任したばかりの頃は多少の嫌がらせはありましたよ。わざといかがわしい本を置いたり大きな声でその手の話をされたり。言えば止めてくれましたけど、口で言ってわからない時は稽古で手を打つ感じでした」

嫌なことがあればその場で指摘すれば繰り返し言われることも、されることもない。どう取り入ったのだという軽口への対応がそれにあたるのだろう。

「先程のように?」

「はい」

太ももを蹴られて悶絶していた隊士の姿を思い出す。蹴られた本人は呆気に取られていた。何もそこまでやらなくても、と顔に書いてあったが自分の発言の意味を理解していたため反論も反撃もしなかった。

「遠慮せず主張ができるのも君の長所だな」

「いえ、そんなことは…」

「見た目によらずきっぱりモノを言うんだ。意外と図々しいと言われることもあるんじゃないのかね」

僕の発言に寒河江は目を瞬かせている。

「今のは失言だったな。忘れてくれ」

「いいえ。その通りです、伊東先生。わたしはこう見えて狡くて図太いんです。そうでないとここではやっていけません」

踏み入った礼を欠く問いに寒河江は戸惑いもなく返事をする。これも彼女なりの主張か。野蛮な連中をのさばらせてはつけ上がるだけだと寒河江はその都度反論して潰していた。自分を貶める言動や考えを持つ隊士の意識を。しかし僕の問いには反論の気配を見せない。

「ですから、手心を加えずわたしをお使いください。わたしはあなたの部下で、狡くて図太いのが取り柄の参謀補佐です」

寒河江は何故か誇らしげに笑っていた。嫌味に近い言葉を掛けられた直後にも関わらず。

「どこへでもついて行きます。それがわたしの仕事ですから」

仕事での外出や攘夷志士との会合如きに何を大袈裟な。喉まで迫り上がった言葉は寒河江の表情を前に出ることはなかった。いや、言う気が失せた。仕事で円滑にするための他所行きの笑顔ではなく、年相応の飾らない自然な笑顔にしか見えなかったからだ。



打ち合わせも攘夷志士との密会がもっと増えればいいと思っている。伊東先生とともに行動できる回数と時間が増えれば、近くにいられる。意見を交わせば彼の考えていることを少しでも多く理解できるはずだから。

「寒河江くん、同行してくれ」

そう指示されると心が満たされる。二つ返事で彼の後ろを歩き、任された仕事をこなして渡し、意見を交わす。それだけで満足感がある。近寄りがたいし仏頂面だから伊東先生は苦手だという同僚がいた。確かに彼は取っ付きにくいところはあるけれど、話すうちに笑顔をこぼすこともあるし何より聡明な人だとすぐにわかる。

「情報は力で武器だ。些細なものでも使い所や出すタイミングが大事でね。君は相手に譲歩して与えなくてもいい情報を与えすぎている」

持っているものの価値を理解しろ。君の観察眼は優れている。伊東先生の言葉はわたしの誇りになった。厳しいことを言うときもあるけど、それは仕事ができるようになる上では欠かせない苦言だ。彼の考えは論理的で無駄がない。

「全く、理解に苦しむな」

江戸城での会議が終わってから伊東先生はだいぶピリピリとしていた。当たり前だ。

「こんな侮辱は生まれて初めてだ。腹立たしい。とんだ無駄足だった」

ふとした時、言葉の端々に底の見えない飢えに似た気配を感じることがある。充足感を得ていない人がとる相手を見下すような、馬鹿にしてそれでいて哀れむような感情が言葉尻に滲む。

「先ほどの交渉、上層部はどうして頑なに拒んだのでしょう」

同行してた篠原さんも解せないようで、会議の最中で密かにわたしと顔を見合わせては首を傾げていた。予算を二割増しにすることで歌舞伎町のみならず近隣地域の犯罪を抑止できる試算もあった。子供が説明を受けても納得できる内容だったというのに、その案は却下された。何故。どうして。それ以外の感想が出てこない結果となった。

「伊東先生の説明ほど分かりやすいものはないのに…」

理路整然と語られる言葉に耳を貸さなかった上層部の顔を思い出すと、腹の中に不快感が湧き上がった。頭が硬いジジイどもが財布の紐を握っている事実に腹が立つ。予算を寄越さないからではない。根拠ある数字を示しても首を縦に振らない脳みそをしている奴らが、わたしたちの上に座している。それが疎ましい。

「解るはずがないのだろう。目先のことしか考えられない奴らには、どれほど言葉を砕いても伝わらない。下等な連中だ」

憤怒の色を強く示した伊東先生の言葉には、どこか悲しさが滲んでいた。見たくないものに蓋をして押し殺しているような雰囲気がひしひしと伝わってくるし、その背中は切なそうだった。

「解るはずがない」

伊東先生はもう一度、絞り出すように拒絶の言葉を吐いた。



寒河江が不正経理を行った件はどう考えても引っ掛かった。真面目で従順、敵を作らずに土方派の連中とも上手くやっている彼女が自発的に裏金を調達した理由に得心がいかない。だから調べたのだが、真選組内で保管されている書類では限度があった。寒河江の履歴書に偽りはなかったものの語られない部分がある。江戸に来るより前、生まれてから寺子屋で学ぶまでの間に長い空白期間がある。

身辺調査をしたのは完全に個人的に興味を抱いたからだった。駒の経歴を気にするなと僕らしくもない、と自覚しつつも興味には勝てなかった。違法スレスレで生い立ちを調べる興信所を選んで調査を依頼した。数ヶ月後、興信所から届いた書類には彼女の生い立ちが記されていた。

寒河江は武州のさほど裕福ではない家庭の一人娘として生まれる。3歳になるより前、父の勤めていた商家が取り潰しとなり仕事先を失くす。これを機に父の酒癖が悪くなり、酔う度に母に暴力を振るった。母はその鬱憤から元からあった浪費癖が悪化した上に寒河江をネグレクトした。ほっぽり出された上に家にいるだけで暴力を振るわれる寒河江は年が10を超えた頃より、片田舎で燻っている不良グループに迎え入れられますます家に帰ることが減った。年齢を理由に仕事に加わることはなかったが、それも初めのうちだけだったようだ。初犯は万引き。それから窃盗、無免許運転、住居侵入、詐欺。田舎で出来うる限りの悪事を働いた。

寒河江が14の時だった。車上荒らしをしているところを武州の治安維持のために組織された自警団に見つかった。常習犯として目をつけられていた彼女を救ったのは寺子屋を営む男だったという。ここで彼女は人生の転機を迎える。難を逃れた寒河江はその男が営む寺子屋に通いだす。初等教育をろくに受けてこなかった寒河江はここで文字の読み書きから始めた。体を動かすのは元より好きだったようで勉学そっちのけで剣術の稽古に励んだ。

寒河江が16になっても家庭環境は一向によくならず、日雇いや短期の仕事に従事しながら金を工面し家を出て江戸へ上京した。小さな部屋を借り細々と暮らしていた寒河江だったが、間もなく困窮して夜の仕事を始めた。勤めていたガールズバーで麻薬摘発があり、そこで近藤と出会い真撰組へ来たのだという。

優秀に見受けられた人物の思いも寄らない過去を目の当たりにしながらも、彼女の言動を思い返した。真面目で勤勉なだけでなく自発的に仕事を探している割には、手の抜きどころを理解している。男世帯でもうまく渡り歩き、身の程を弁える態度に嫌味はない。言いたいことを抱え込まず、不当な扱いを受けた際には主張する胆力もある。

「なるほど…」

そして指示したわけでもないのに、以前から複数回に及んで行われたと思しき不正経理。

「更生したとは言え根っこは生粋の不良のまま、か」

厚みのある書類から顔を上げた。物理的にも精神的にも当てがなかった幼子が拠り所としたものは全く違うものではあれ、僕と寒河江の境遇には少なからず類似点はあった。しかし彼女には救いの手が差し伸べられた。悪事に手を染め犯罪者だった彼女は寺子屋で学び今や立派に事務仕事をこなすまでになっている。良い教師と出会いを果たせたのだろう。

「救いなど…」

どす黒い感情が湧き立ちそうになりすぐさま否定する。伊東鴨太郎の器を天下に示すのにそんなものは必要ない。

「僕は僕自身の腕で成り上がり生きた証を人々の心に刻み込んでみせる」

折り畳んだ書類を引き出しに放り込んだ。


20200702
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