茨の道
※真選組夢主

仄かに灯りが透ける障子を背に、暗く静まり返った庭園を眺めていた。部屋の中で何某かと伊東が会話する音が聞こえるが声の判別はつかない。

「君は土方派だと思っていた」

攘夷浪士との会合へ赴く伊東を侍衛すべくほとりと同伴していた篠原は暗闇から視線を外すことなく呟いた。

「この場にいるわたしにそれを言いますか」

「伊東先生が君を補佐に任命したのが不思議だ。局長・副長・一番隊隊長の3人と同じく君も武州の生まれだから、同郷のよしみだと思っていたんだが」

一括りに呼ばれているが武州は広くほとりと近藤らが生まれた場所は近くない。同郷といえばそうだが、よしみとは言えない。

「わたしが江戸に来たのは真選組が組織としてまとまってからだし、彼らと故郷が同じなのはただの偶然です」

真撰組を知り構成員の名前を聞いたのは武州を離れ江戸に来てからだった。

「とはいえ同郷なら話も盛り上がるだろうに。先日催された酒宴の席でも愉しそうにしていただろう」

「目上の人をたてれば色々やりやすくなるんですよ。昔の武勇伝を語って嫌な男性ひとは少ないでしょ?おだてれば機嫌も良くなるんだもの。悪い手ではないです」

ほとりの絆されず割り切った返答に篠原はやや面食らってそのまま返す言葉をなくし庭園に視線を戻した。庭園の中ほどにある池の水面に映る三日月が温い風が揺られて撓んだ。

「もう少し能天気な女だと思ってたでしょ」

「あ、いや」

「能天気で人懐こくて愛嬌があれば、ある程度は目をかけてもらえるから都合がいいんですよ」

声をかけられれば快く返事をし、仕事を頼まれれば少しばかりクオリティの高いものを提供し、現場では迅速な対応と報告を心がけ、気配りを忘れずいつも溌剌としていれば自然と仲間からの信頼は得られるものだ。

「自分の立ち位置を安泰にするための演技かい」

「だって仕事ですよ。ストレス少なく人間関係を築いていくささやか…って程でもないけど処世術みたいなものでしょう?」

自分に限らず篠原だって近藤だって土方だって沖田は微妙なところだろうが多かれ少なかれみんなやってる、と淡々と述べた。演技と言ってしまえば演技になるが円滑な人間関係と積み重ねられた信頼は便利で融通が利くし心地がよいものだ。ほとりはそう考えている。

「ちょっと気を遣うだけで立ち回り易くなるんだから、安いものですよ」

意図せず使っていた頃は違う。障子を隔てて僅かに聞こえる声に耳を澄ませながら、ほとりは伊東と初めて対面した日のことを思い出した。



男世帯である真選組に限ったことではないが書類作成や管理など細かい仕事は等閑なおざりにされがちである。監察方の山崎の仕事とされていたがあまりに膨大であり本来の業務を圧迫したため、後任としてほとりが仕事を引き継ぐこととなったのは3年ほど前のことだ。

「キャバクラって経費で落ちるんだよな?はいコレ領収書…え?出勤日と領収書の日付が一致しないからダメ?なんで俺のシフト知ってるの…。ちょろまかそうとしました。もうしません、ごめんなさい…すみませんでした…」

ある時は意中のキャバ嬢に貢いでいることを風の噂で耳にしていたほとりは、せこい手段で懐へのダメージを減らそうとした近藤を厳しく諭した。

「おいコラほとりてめぇええ!!公務執行妨害でしょっぴくぞコラァ!!」

ある時は土方がすぱすぱ四六時中煙を吐き出しているのが心底嫌で、ほとりは彼の持っているタバコを全てココアシガレットに差し替えた。

公務執行妨害で逮捕するには無茶ありますよ、と言い返しながら直ちに現場から脱兎の如く逃げ出し、そのまま半日近く逃走劇を繰り広げた。

「おかしいよ、ミントンやってただけなのに俺だけリンチされるなんて…。副長怖い、もうヤダ。転職したい」

またある時は、監察方は天職だから辞めない方がいいしここにいて欲しいと言って山崎を慰めた。だが素振りは休憩中にやればいいことで、訓練中にやったのならリンチを受けるのも自業自得だミントン中毒も大概にしろと、事務室前の縁側で落ち込んですすり泣くのも構わず突き放した。

「土方の野郎もう生かしておけねえ…。ほとり、マヨネーズの中に異物混入させるなら何がいいと思いやす?」

またある時は、自分から吹っかけたイチャモンに正当な仕返しをされたことを逆恨みして上司の好物に悪戯しようとする沖田に対し、自分もタバコの匂いに辟易していたのでちょうどいいから吸殻でもぶち込んでやりましょう、と提案し結束した。しかしあっという間に特定され2人して謹慎処分を食らった。

「寒河江は馬鹿やってるかと思えば真面目に仕事こなしてよくわからねぇな。お前、屯所の中でソリが合わない奴いねぇだろ?誰とでも上手く付き合える性根が羨ましいぜ。あ、一応は褒めてんだからな。悪い意味に捉えるなよ」

禿頭がよく目立つ、一見すると警察には全く見えない原田にそう言われたこともあった。自覚したことはなかったが、確かに表立って不和を生じさせた記憶はない。

嫌味を言われても上手く躱し相手を尊重し、陰口を聞いた時は聞き役に徹し決して同調せず、困っている者には気を配り、手を差し伸べる。当たりが柔らかければ嫌う者は少ないだろう。組織に属して仕事をするのが初めてだった故、ほとりはその特性を知る由もなかったわけである。

周りは自分を当たりの優しい誰とでも隔てなく接する人と認識しているだろうが、組織内の無駄な争いを起こさないため緩衝材としての立ち回りに向いていると自覚した。人間関係を見極めて軋轢が生まれそうなところに立ち衝突を防ぐ。

職業柄と中立的な態度を取るほとりの人柄も相まって上司の不平不満を漏らされることや組織体制の愚痴を聞かされることが多い。そこから自然と人間関係の良し悪しやらが浮かび上がってきたし、現場にいただけでは到底知り得ないような関係もうっかり知ることもあった。

「ほとりちゃん、伊東に会った?」

「それがすれ違いばかりで」

「そっか、まだ会ってないんだ」

山崎に問われたのは伊東が入隊して既に二週間過ぎた頃だった。結局仕事の都合で行き違いになったまま、ようやく顔を合わせることが出来たのは伊東が入隊してから三ヶ月ほど経ってから催された歓迎の席だった。

女中を除いて紅一点の隊士であり帯刀し現場を駆けつつ真選組の事務仕事を一任されるなかなかの敏腕なのだ、と既に酔いが回っていた近藤に盛りに盛られて紹介された。非常に照れくさかったとほとりは記憶している。自己紹介をした後、非礼のないよう頭を下げた。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。伊東先生のお噂は予々かねがね伺っています」

近藤が参謀という地位を用意していることは屯所内で聞き耳を立てるまでもなかった。この人物は遠くないうちに間違いなく真選組の高い地位に就く。組織内の均衡が慌ただしく崩れ動き出す予感がした。

「はじめまして。寒河江ほとりくん。僕も君のことは知っているよ」

思いがけない言葉に顔を上げて伊東を見つめた。細い縁取りの眼鏡をかけて理知的な雰囲気を纏うこの男性ひとが、何故わたしのことを知っているのか。

「君が作った書類を読んだよ。歌舞伎町界隈に於ける窃盗犯罪の報告書に麻薬売買人摘発の関係書類、あと供述調書をいくつかと日報を。無駄な情報がなく詳らかで痒いところまで手が届くとはこのことだ」

「恐縮です」

隣の近藤は原田から注がれた酒を飲み干した後、談笑を始めていた。皆が皆、伊東とほとりが話していることなど意に介さず酒を注いでは飲み料理に箸をつけて舌鼓を打っている。

「君は素晴らしいバランサーだ」

唐突に投げかけられる賛美の言葉に違和感を覚えた。顔合わせはこの場が初めてなのに何を以って自分を評価するのだろうか。ほとりは訝しく思った。

「しかしそれは無意識のもので飽くまで調和を保つため。それが悪いというわけではない。恐らく君は敵を作らないよう振る舞い、実際作っていない。相手を検分し判定して歩み寄り許される範囲内で一緒に無茶をやったり羽目を外せば相手はより深く君に親近感を抱く。日頃からの態度や振る舞いに加えて生まれもった人柄がそうさせるのだろうね」

賑やかさが遠のく。何故この人は初対面なのにそんなことを言い当てる?何故わたしの考えを知っている?誰にも話したことはない。例え酒の席で程よく酔っ払って愉快になっても、逆に尋問されたとしても自分以外の誰にも打ち明けず口が裂けても言わぬと腹を決めた。それを、何故。

「どうして」

言葉が出てこない。呆気に取られて放心しているほとりを横目に伊東は意味ありげな笑みを浮かべながら猪口を膳に置いた。

「良い観察眼だ、寒河江くん」

組織は生き物だ。権利や立場、人間関係のパワーバランスを察知してどこに重きを置けば秩序が保てるか。その方法を君は本能的に知っていて実行している。寸分違わず行動原理を言い当てられ圧倒されたまま言葉を紡げないほとりに伊東は囁いた。

「君は自分の能力の有効な使い方を知るべきだよ」

間を置かずほとりは伊東の補佐として働くようになった。肩書きは事務方兼参謀補佐。今までと変わらず現場にも赴くし仕事の密度は上がったが酷ではなかった。情報は力であると伊東はほとりに教えた。持っているものを漠然と使うのか、意図して運用するのか。

隊士として職務を果たし任務を全うし、気心の知れた仲間たちとの毎日に退屈の文字はなかった。だが伊東と出会い知識を得て世界が変わったと実感してしまえばもう元には戻れまい。魚が水を得たようだった。

「参謀補佐ってぇのになるとこれも弾むんですかい」

「いや据え置きですよ。ボーナスに期待ですね」

親指と人差し指で丸を作って懐具合を憚りもなく尋ねる沖田にほとりは答える。肩書きが増えてから残業が目立つようで仲の良い隊士たちからよく声かけられたが、こうやって踏み込むのは彼くらいだ。

「残業の邪魔をするなら報告書から沖田さんの名前消しておきますよー」

「そいつは困る。じゃ、今日は一足先に失礼しやす」

ボーナスに響くのは御免でさぁ、と沖田はそそくさと立ち去った。定時以降にやりたい仕事があった。人が多い昼間にやるのはリスクが高いからだ。

攘夷浪士一斉摘発の日程、市中見廻りの巡回メンバーと経路及び時間帯。伊東と繋がりのある攘夷浪士たちが有利になるような情報を集めて、秘密裏に彼に渡した。

派閥に属する気など微塵もなかったが根深く関わりを持てば、自然と伊東に傾倒していく。一年もあれば染まりきるには十分すぎた。ほとりは完全に伊東派の人間になっていた。そして今に至る。



「伊東先生には恩がある。だからわたしはこっち側の人間です」

会合は未だ続いている。庭園の池の水面が風で緩やかに揺れた。

「すまない、気を悪くしないでくれ」

「お気になさらず。水面下で動いているわけだしどちらにも見えるなら構わないですよ」

旧知の隊士から伊東に傾倒してないかと心配されることがあるが、謝辞を述べ参謀補佐として仕事をしている以外の関わりはないと説明している。両派閥に同じレベルで肩入れしているように行動しているのだ。篠原が受ける印象はほとりの思惑通りである。

「在籍歴も長い君がこちらに傾倒するとなると、伊東先生に受けた恩は相当のものだね」

「いい機会です。理由を聞いてくれますか」

聞けば篠原は伊東と同門だという。派閥内でも信頼を集めているこの男には経緯を話しても差し支えないとほとりは判断した。

「誰にも明かしていない行動原理を言い当てられてまして」

驚きはしたもののそれも最初のうちで、時間が経つほどに伊東に対する印象は大きく変容した。憧憬なのか敬愛なのか。ほとりの抱く感情はどんな言葉を使ってもしっくりこない。

「自分を伊東先生のために活かそうと、計画のために行動しようと考えました」

違和感のあるその感情はいずれにせよ判断を捻じ曲げる。伊東が成そうとすることに加担する方へと。それがどんなに非人道的であっても、士道を踏み外していても付き従う。善悪や正邪の類い、二元論的な話ではないのだ。

だから近藤勲暗殺計画を耳にして足が竦むでもなく動悸で目眩がするわけでもなかった。ただ「この人はそれを選んで実行するんだ」と考えただけだった。知っても尚、いつもと変わらず仕事をする。伊東のために働く。ほとりは暗殺に加担する自覚を持ちながらも邁進する他に選択肢を持たないし、持っていたとしてもかなぐり捨てるだろう。


20200421
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