伊東と二匹の猫と暮らす話
庭に住み着いていた猫が野良猫ではなくなった。

縁の下に住み着いた猫は気がつけば二匹に増えていた。家の改築に伴い一旦保護する予定でいたが、それより早く二匹揃って伊東にひどく懐いて家の中に上がり込んでくるようになってしまったのがきっかけだ。完全に野良猫のようだったことも手伝いこのまま家族として迎えよう、と話が落ち着いた。その元野良猫二匹を前にほとりは口をへの字に曲げている。

「この子たち、先生にはベッタベタに甘えるのに対してはえらく冷たいんですよね。特にもよぎさん。わたしだって世話したり餌をあげてるのに……」

「気がついてないようだから言うが……。君が居間で雑魚寝しているときは二匹とも一緒に寝ているんだぞ」

「えっ」

「猫に心配されるほど働いているということだ」

「そうだったんですか……」

感激のあまりほとりは猫の頭を撫でている。

「そうかあ、ありがとうねえ……痛っ! よもぎさん容赦ない!」

それが気に食わなかった猫が、ほとりの手に鋭くパンチを繰り出した。起きているときは近寄るのはだめなのか、としょぼくれていると「話は変わるが」と伊東が詰め寄ってくる。

「今月の労働時間は把握しているか? 残業時間が一般企業であればとっくに上限を超えているはずだ」

「でもわたし会社勤めではないですし」

「論点をすり替えないでくれ。そういう話ではないんだ」

「以前に比べたら勤務時間は短くなりましたよ」

「比較対象が悪いぞ。前の働き方が異常だったんだ」

「先生の言い分はわかりますよ」

それでも二言目には患者たちが待っている、とほとりは言う。きちんと休みを取った上で、以前にも増して仕事に精を出している。家族が増えたことにより、伊東とほとりの距離もだいぶ縮まり軽口を叩き合えるようになっていた。

弾む会話に入り込むように、猫が伊東の背中によじ登っていく。爪が服に引っかかってバリバリと音がする。

「ああ、そうだ。ごまさん、そろそろ爪伸びてきたから切らないと。よもぎさんはこの間切ったからまだ大丈夫でした」

「気になってたんだが、どうしてごまとよもぎなんだい」

ほとりは黒のハチワレにごま、サビ猫によもぎ、とそれぞれ名前をつけていた。暮らし始めた当初、紹介されて言われるがまま覚えたがよく考えたら見た目と名前に関連性が見られない。

「その子たち、わたしが縁側でごま団子とよもぎ餅食べてたら縁側の下から出てきたんですよ。それに因んでつけました。可愛いでしょう」

「安直だな……」

「みたらし団子も食べてたので、三匹いたら最後の子はみたらしさんになってますね」

「おはぎを食べてたらこの子たちのいずれかはおはぎになってたわけだな」

「ペットに食べ物の名前をつけるのは多いですよ? パスタくんとかチョコちゃんとか。それと同じです」

真選組にいた頃はよくペット捜索の依頼が来ていた。名前を聞けば大抵はお菓子や食べ物が多かった。その印象も手伝いほとりはなんら不思議ではないと思っている。

「はい、ごまさん、爪切りますよー」

「ンナァー」

伊東の肩によじ登ろうとする猫をヒョイと抱えて床に座り、手早く爪切りを取り出した。

「ごまさんは抵抗しないで切らせてくれるから助かります」

「よもぎは僕の膝の上でも渋々切られていたからな」

先日、よもぎの爪を切る時にひっかかれたほとりの手の甲は傷だらけだった。

伊東の膝の上がお気に入りで、そこ以外で爪を切るのは至難の業だった。膝の上にいてもほとりが爪切りを手によもぎの手を触ろうものなら途端に唸り出す始末で、爪を切る度に猫パンチがほとりの手に命中していた。

「伊東先生がいなかったら伸び放題ですよ。それに引っかかれるだけじゃ済まなかったと思います。噛まれて流血沙汰になります」

「爪研ぎは使ってくれているはずなんだが……。傷は痛くないかい」

「もう大丈夫ですよ」

ごまは大人しく、されるがままでほとりの膝の上にいる。パチン、と爪を切る音が心地良い。

「伊東先生ならなんて名前つけます?」

「そうだな」

猫を凝視しつつしばらく考え込んだ伊東は、ボソリと呟く。

「寿と鼈甲」

「硬いなー……」

ハチワレは末広がりで縁起がいいこと、サビの色合いが鼈甲色に見えることに由来している。伊東の感性に理解を示したものの響きに名前らしさがない。そして互いに名付けの才はないな、と笑い合った。





――ごまでも寿でも、どちらでも構わないけどね。

ほとりの膝の上にいる猫はそう思った。この家に上がり込み住み始めた猫、もといごまは二人の家主の様子を観察するのが日課になっていた。くあ、と欠伸をするとほとりが「もう少しで終わるから待っててね」と頭を撫でる。

――この子は朝から晩まで働いて、ちゃんと寝てないのに大丈夫かしら。あと仕事通しで手が荒れてるのよね。

二人と一匹が集まっているところへ、のそりと姿を現したのはもう一匹の家族のよもぎである。

「よもぎが爪切りしてるのに寄ってくるのは珍しいな」

「引っ掻いたこと謝りに来てくれたんでしょうか」

少し目つきが悪いのがよもぎの特徴だ。膝の上で爪を切られているごまを見遣ったあと、チラリとほとりを盗み見る。よもぎは三白眼の瞳を逸らした。

――ンなわけねえだろ。

――気に入らないからって引っ掻くのはよくなかったわね。実はやり過ぎたと思ってるんでしょ。

――うるせぇな。

「よもぎさん、わたし怒ってないですよ」

「傷が少し深かったようだが、仕事に支障はないのかい」

「全然問題ないですよ。そういえばよもぎさん、爪切りの後におやつあげてなかったです。ニャオちゅーるまだありましたっけ?」

「あるよ。好物のかつお味がまだ残っている」

「良かった。あとであげるね、よもぎさん」

――催促したみたいになっちゃったわね。

――貰えるものは貰っとく。

猫たちが会話しているとは梅雨知らず、爪を切りながら二人は話をする。和やかな雰囲気は猫たちにとっても心地がよかった。前足と後ろ足、しっかり爪を切られてようやくごまは解放された。

「はい、お疲れ様ごまさん。爪切り終わったよ」

――丁寧にありがとう。もう仕事しないで休みなさいよ。

――顔色が悪いぜ。

猫たちの心配をよそに、ほとりは仕事を再開した。

――まだ働くつもりなのね。全くこの子は。

お客さんに猫アレルギーの人がいるといけない、と作業場には立ち入り禁止にされているためごまは遠くから眺めている。本人に言ってもだめなら周りの人間に言うしかない、とごまは伊東の足元で鳴いて訴えるが伊東は家事に忙しくあまり構ってやれない。時折頭を撫でて宥めるだけだ。ごまに加勢するように、よもぎも伊東のあとをついて回る。

――あなたから休むようにもっと言わないと。

――鴨太郎の言うことは割と素直に聞くんだ。ちょっと強めに言ってやれ。

――それはだめよ。強引なのはよくないわ。

――一回ぐれえガツンと言わないとわからねえだろ、ほとりのやつは。

「君たち、お喋りはいいが寒河江くんの仕事の邪魔をしないようにするんだぞ」

伊東の耳には猫同士はうにゃうにゃ鳴いているようにしか聞こえない。休めと言え、と催促しているとは思いもよらない伊東は猫たちの頭を撫でている。

――倒れないといいんだけど。

――目に物言わせてやるしかねえな。

――賛成だわ。

その後ごまとよもぎは一日中、伊東の後ろをついて回ることになった。熱烈な視線を浴びつつも伊東は淡々と家事をこなし、ほとりの仕事の雑務を片付けて本を読む。ここがチャンスとばかりに座椅子に座る伊東にたかったが、陽当たりの心地よさに負けて二匹とも昼寝を始めてしまった。





夜半。伊東の部屋から明かりが漏れているのに気がついたほとりはそっとノックをした。

「先生、まだ起きてるんですか」

「君もまだ仕事かい」

「いいえ、キリがいいので終わらせてきました。……何を見ているんですか?」

伊東の机の隣にはクッションが置かれていて、その柔らかい膨らみの上に、猫が二匹仲良く重なって寝ている。

「あらら、可愛いですね」

「寝ようと思ってたんだが、つい見入ってしまってね」

「この子たち、姉妹なんですかね」

「どうだろう。柄が違うからそうとは思えないが」

「それにしても……幸せそうに寝てますねえ」

大きな瞳は閉じられた瞼に隠れ、音をいち早く聞き分ける耳も寝ている。呼吸に合わせて静かに上下する腹部。熟睡している様子を見て、伊東とほとりは顔を見合わせた。

「寝ましょうか」

「そうしよう」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

普段は遅くまで点いている弥生義肢製作所の明かりも、この日は珍しく早く消えた。


20230427
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