一縷の光明
伊東の企てた一件が露呈し主犯格らが捕縛されたあと真撰組は忙しかった。隊士募集のため武州へ向かう電車が脱線して大事故を起こし複数の隊士が死亡、重傷者複数。
これが報道された内容だった。対外公表は必要最低限に抑えられたが嗅ぎつけるメディアは嗅ぎつけるものでありもしないことを事実のように伝えたり、視聴率を取ろうと面白おかしく囃し立てる番組もあった。テレビ番組や雑誌の取材には一切応じないと長官の片栗虎が直々に声明発表したが、効果があったのかはわからなかった。
「よし、これでオッケー。次の書類は……」
山崎は仕事に追われている。伊東に与していた隊士たちを失い人員が不足していた。
「おい山崎これ領収書な」
「山崎ぃ、焼きそばパン買ってこいよ」
「この間の窃盗犯逮捕案件の書類出来たか?」
「これ経費で落ちる?」
「ちょっと待ってみんな一斉に話しかけないでもらえますかね!?あとどさくさ紛れにパシろうとしないで!?」
机に齧りついている山崎のもとをひっきりなしに隊士が訪れては用事を取り付けていく。山崎も伊東派の隊士に斬りつけられ怪我を負ったものの他の隊士たちに比べれば軽傷ですぐさま仕事に駆り出された。
「猫の手も借りたいくらい忙しい!仕事復帰してからずっとこれだよ!」
「なんでェ。じゃあそこら辺にいる猫捕まえてきてやるぜ」
「沖田さんやめてください!そんな余裕あるなら焼きそばパン自分で買いに行ってくださいよ!」
人柄がそうさせるから山崎のところへ仕事が次から次へと舞い込んでくる。事務仕事だけでも至急案件に雑用、毎月の給与天引き処理に経理。当たり前だが大事が起きたあとでも通常時の業務は発生する。ほとりの抜けた穴は大きい、と山崎の脳裏をそんな考えが掠めたがそのほとりも渦中の人物だ。
「おい山崎。参謀室の掃除やっとけよ」
「えっそれ俺がやるんですか!?副長がやってくださいよ!」
「ぁあ?なんだてめえ口答えすんのか」
「すみませんでした今日中に掃除いたしますお任せください」
鬼の副長に睨まれ山崎は縮み上がってすぐさま仕事を引き受けた。凄まれて反論できるような度胸は持ち合わせていない。一呼吸で快諾の言葉を口にした自分を悔いたのも僅かな間で、すぐさま仕事に取り掛かる。
「なんだよ…アニオタだったのが嘘みたいじゃんか…」
ほとりの仕事を引き継いだのは前任者の山崎だった。他に事務仕事ができる者がいないため順当な人選である。幸い仕事は綺麗な状態で保管されていた。完了済み、仕掛かり、未着手とカテゴリ分けされ綺麗に整頓された書類や日報や提出書類一式。どれもこれも几帳面にまとめられている。
「俺がやると汚くなる予感しかしないんですけどお!」
隊士たちが持ち場に戻り一気に静かになった事務室で山崎は叫んだ。
「ほとりちゃん、あの子は一体どうやって仕事してたの…。事務だけじゃなくて参謀補佐の仕事までしてたんでしょ…。千手観音像みたいにたくさん腕生えてたの?」
他の隊士たちと市中見廻りをしたり攘夷浪士への討ち入りに参加したり、かと思えば伊東の外出に同伴したり山のような書類の作成をしつつ事務仕事をこなしていた。どう考えても一人でこなせる量ではなかった。単純な事務処理能力の差だが疲れ切った山崎の頭の中ではほとりが複数本ある腕で仕事をこなす図しか浮かばなかった。
「あ、そうだ参謀室の掃除しないと殺される…。なんだよ副長…アニオタのままなら俺がやらずに済んだかも知れないのに」
事務室同様、参謀室もいやに几帳面に整っていた。伊東の私物と思しきものはいくつかあったがプライベートな匂いを全く感じさせないものばかりだった。必要なものだけが置いてある。仕事部屋とはこうあるべきと手本のような雰囲気だがあまりに素っ気ない。淀んでいる空気を入れ替えるために襖を開け放って山崎は手際良く片付けを進めていく。
「なんだこれ?」
引き出しの中からぶ厚い封筒が出てきた。封は切られていて伊東が読んだ形跡がある。
「あのインテリメガネ、何を調べたんだろ。犬猿の仲だった副長のことでも調べたのかな」
送り元は興信所。重要証拠の一つになるかも知れない、と山崎は中身を確認する。興味本位で読み始めた書類をほんの数行で切り上げた。
「あれ…副長のことじゃなくて、ほとりちゃん?」
山崎はほとりの過去が事細かに記されていた書類を手にしたまま唸っている。罪悪感と誘惑が胸の中で相剋する。仮にも思い人だった女性の過去を覗き見て自責の念に苛まれる山崎だったが結局誘惑には勝てなかった。それにほとりは今や容疑者だ。伊東に与し事件のきっかけを作った一因でもある。事件がなければ山崎の体にいくつもあるじくじくと痛む傷もなかったのだ。害を被った事実に加え忙しさの原因である人物の過去を見たってバチは当たらない。山崎は書類を捲った。静まり返る参謀室に紙を捲る音だけが聞こえる。二枚、三枚。過去から現在にかけて、プライベートが明るみになっていく。
「トシから聞いたぞ。山崎、悪いな掃除頼んじまって」
「うおわ!!すみません局長そんなつもりはなかったんです!!」
「なんの話だ?」
反射で平謝りする山崎の手の中にある書類を見た近藤は状況を鑑みて咎めはしなかった。怪我を押して仕事している。怪我の原因を考えれば叱責する謂れはない。
「伊東先生の書類か?」
「まあ…そうですね、彼の私物です」
浮かない顔の山崎から受け取った書類を読んで近藤は顔を曇らせた。山崎の隣に腰を下ろして、手にある書類を読み込んでいる。詳らかに記載された一人の女の過去。近藤の知らないほとりの出生。知っていると思っていた人物の見えていなかった側面。目の当たりにして近藤は表情を暗くした。
「隊士の中でもゴロツキだった奴の経歴、知らないことだってあるじゃないですか」
「しかしな」
近藤は唸る。彼には娘がいるわけではないが、娘がいてもおかしくはない年齢である。ほとりを娘と呼ぶには歳は近い。娘とも妹とも言えない存在のほとり。
彼女と相対したときに真っ先に庇護すべき印象を受けた。その影響か近藤はほとりに対してとりわけ積極的に関わろうとした。実際、他の隊士より深く関わった。しょっちゅう謹慎を言い渡していた土方より、馬鹿をしでかした沖田や山崎よりも密に話した。
「俺はあいつのことをわかってたつもりで、何も知らなかったんだ」
あれだけ話をしていたのに。近藤は自分の不甲斐なさに書類がひしゃげるのも構わず拳を握り締めた。
*
傷だらけの伊東を腕に掻き抱いて、助けてくれと叫んだ。しかし周りの隊士たちは冷ややかにほとりを見下ろしていた。繰り返し夢に見る。止血をしても溢れ出す血が辺りを赤く染めて、苦しげに喘いだあと手当ての甲斐もなく伊東が絶命する夢を。
見たくない光景に魘されて日の出前に目を覚ます。毎日それが続いて精神的に参らない方がおかしい。恐ろしい悪夢のせいでほとりは日に日に痩せ細っていった。
刑務所古参の連中にリンチの洗礼を受けても反撃もせず呻き声もあげない。溜まった鬱憤を晴らすためのおもちゃにしたければすればいい、とサンドバッグよろしく殴られっぱなしで死んだように生気のない目つきで周りを見ているほとりを気味悪がってみな避けるようになっていた。
「独りか…」
伊東はもういない、と薄々思うようになっていた。毎夜魘されて自己暗示も呆気なく崩れ、信じることも考える意味もなくなった。反発せず反抗せず、粛々と仕事をして日々を過ごしていればいずれ刑期は終わる。終われば自由の身だ。身のふり方はもう決めていた。
「面会だ。来い」
ある日ほとりは刑務作業中に呼び出された。何かの間違いではないか。面会相手がまるで想像つかない。
もしかして故郷にいる家族が事態を知り江戸まで会いに来たか。あの親が?あり得ない。自身を育児放棄した人間が行方を知るはずも来るはずもない。ほとりは頭を振った。
怠い足を引きずって看守の後ろをついていく。半分しかない視界のせいで右目が疲れて仕方がない。断れないかと考えてる間にも面会室に着いていた。
「面会の時間は守れよ」
守るもなにもない。早く面会を済ませて作業に戻ろうと顔を上げた先に思いもしない人がそこにいた。ほとりは驚いて声も出せない。
「久しぶりだな」
「な、…なんで……」
真選組局長・近藤勲。伊東が企てた暗殺計画の標的だった男。そしてほとりが裏切った男。鳩尾辺りに重い物が込み上げてきて声が震える。
「こ、近藤さん……あの、」
どんな顔をして近藤を見ればいいのかわからない。気まずさからほとりは俯いた。何と謝罪を述べればいいのか。言葉に詰まっているほとりを見て近藤は言った。
「痩せたなぁ…体の調子はどうだ」
ガラス一枚隔てた向こう側にいる近藤は心配そうに眉尻を下げている。
「その目じゃ、辛い作業だってあるだろ。無理はするなよ」
言葉の代わりに涙が堰を切ったように溢れ出した。
この人を裏切ったんだ。大馬鹿者だ、私は。
「っ 近藤、さん……」
「ほとり…」
「私は、 あなたを殺そうと したんですよ…」
裏工作で土方を陥れ、大勢で囲い沖田と近藤を殺そうとした。土方派と思しき隊士たちはみな何かしらの形で害を被っていた。裏切り者。謀反者。離反者。人殺し。生き残った隊士たちはみな各々そう捉えている。憎まれはしても心配されなどしない。
その元凶を気遣う。この人はなんて真人間なんだ。
ほとりは自分の行いを恥じた。後悔から涙が溢れて頬を伝って落ちていく。
「局中法度を破った件はもう裁いた」
左目だ。沖田と対峙したほとりは目を失った。もう罰を受けているからこれ以上は裁かない、と近藤は言う。
「今日はな、辞表を書いてもらうために来たんだ」
「…辞表?私は懲戒免職になるはずじゃないんですか」
「依願退職なら、出所後に警察庁に掛け合って他の部署の仕事を斡旋してもらえるはずだ」
懲戒免職になると仕事に就くのが難しくなるのは周知の事実。情けをかけているわけじゃない。近藤はほとりの今後を本気で気にかけている。自分の命を狙っていた人間を心配するなんて。理解の範疇を超えた行動にほとりは驚きながらも涙を拭う。
「だめです近藤さん。懲戒免職にしてください」
「仲間の過ちを罰してばかりいちゃあ…」
「いいえ。あなたが罰せず誰が罰するんです」
ほとりは頑として首を縦に振らない。
「何のための局中法度ですか。規律を守るためでしょう。本来なら切腹です。左目が潰れているからと貴方がここで許せば示しがつかなくなる。だから書けません」
罰を受けるべきだ。厳しく、犯した罪相応の罰が下されて然るべきである。暗殺計画を聞いて咎めるどころか計画に与した。主犯ではないからと罪が軽くなるわけでもない。ましてや左目だけで帳消しになる問題ではない。
「刑期を終えたあとを気にかけていただく必要はありません。出所次第腹を切ります」
「!」
「私が犯した罪は死でしか贖えない。腹を切って詫びる以外に道はありません。法度にもそう記されているはずです」
「おい、待てほとり」
立ち上がり面会を打ち切ろうとするほとりの背中に近藤は叫ぶ。
「先生は生きてる。だからそんなこと考えるな!」
弾かれたように顔を上げて振り返りったほとりの目にはいくらか光が宿っていた。
「……本当ですか?あの大怪我で…」
「完治してないから今後どんな生活になるかはわからん。しかし峠は越えてる」
メガネのブリッジを押し上げる仕草、レンズの向こうに見えた少し神経質そうな瞳。色素の薄い髪の色と冴え渡る剣技。仕事中、何が起きても崩れなかった表情。伊東の姿が脳裏を過ぎる。ほとりは声を震わせながら小さな声で良かった、とまた溢れ出した涙を拭きながら俯いた。
生きている。伊東先生が生きている。
「ありがとうございます…それが分かればもう十分です」
「ほとり…」
「私のためを思うなら、もう来ないでください」
ここで突き放さなければ近藤はほとりの身を案じて何度も会いに来る。仲間だと評した人物を蔑ろにするはずがない。近藤はほとりの意図を察して小さくため息を吐いた。
「なあ、どうしてお前は伊東先生についていこうと思ったんだ」
ほとりは顔を伏せたまま答えない。
「一人の人間として話を聞きたいんだ。逮捕寸前だったお前を助けてくれた寺子屋の先生のこととか、話してないことたくさんあるだろ?聞かせてくれよ」
「なんでそれを…」
近藤は懐から分厚い封筒を取り出して二人を隔てる分厚いガラスに押しつけた。ほとりは出所がわからない文を訝しげに見遣る。
「伊東先生の持ち物だ。送り主は興信所だった」
「興信所…。まさか」
「お前のことが書いてあったよ」
「伊東先生、知ってたんですね…」
愕然とすると同時に何故か安心感が湧き上がった。ほとりの過去が判明しても尚、部下として仕事を任せ使い続けた。その結果がこれだ。
「昔話なんて聞いてどうするんですか…」
上司。父。兄。近藤の存在を形容する言葉は浮かぶがどれも少しずつ違って当てはまらない。
「どうもしねえよ。なんだろうなぁ…俺はお前のこと知ってるつもりでいたんだけどよ。何も知らなかったからよ」
「話してませんでしたから…」
「最後の機会だ、お互いしこりは残したくはないだろ?」
最後の機会。今生の別れと思えば何もかも話した方が後腐れはない。重い足取りで椅子に腰掛けてほとりは近藤の顔を見た。相変わらず安心したような困ったような、眉尻を下げ優しい笑みを浮かべている。
「わかってると思いますけど、面白くとも何ともないですからね…」
20211130