近藤がそばにいてくれた話
ほとりは近藤とともに屯所の重厚な門の前にいる。真選組で働くことが決まり諸々の手続きを済ませた出勤初日はよく晴れていた。

「今日からここがお前の職場だ。家だと思ってもいいぞ」

「家だと思っていいって……真選組はつまりアットホームな職場ですか?」

「そうだな。アットホームだな」

むい、と唇を尖らせてほとりは肩を落とした。

「近藤さん、私ね世の中で信じてないものが二つあるんですよ。一つ目は"君を理解してるよお"って体で説教垂れたり評価する人。大抵言ってること的外れだから聞くだけ無駄です。二つ目は求人票に書いてる“アットホームな職場です”ってアピールポイント。これはブラックな職場環境をほどよく濁して隠匿する常套句です。ニコニコ笑ってる社員たちの集合写真が載ってると殊更やばい。この文言を使う求人は地雷です。で、なんでしたっけ。真選組はどんな職場って言いました?」

「ちょっと!せっかく勤務初日だってのに貶さないでくれる!?」

「はあ。これで私も社畜の仲間入りかあ。残業時間どれくらいかなあ。残業代出るのかなあ。サビ残地獄の開幕かなあ?」

「あああもうこの子は!確かに真選組の労働環境はちょっとハードだけどブラックじゃないから!残業代ちゃんと出るから!」

ぶうぶうと口を尖らせて文句を垂れていたほとりは不意に表情を改めた。ふざけた色を見せない様子に近藤は目を瞬かせたが、次いで出た言葉に苦笑いを浮かべた。

「すみません。柄にもなく緊張しているみたいで口うるさくしました」

「誰だってはじめては緊張するさ」

比喩ではなくほとりは体一つで真選組に飛び込む。特別有用な資格を持っているわけでもなければ運転免許もまだない。手荷物も身分証明書や貴重品、打刀と脇差くらいで身軽なものだった。

「今までロクな仕事に就いてなかったんですよ。人間関係も芳しくなかったし時給も低空飛行だったし」

前職のガールズバーも例に漏れない。長時間拘束される割には給料は弾まず昼夜逆転の生活は心身ともに堪えるものだった。

「真っ当な仕事ができるかわからないけど…精一杯頑張ります」

「ほとり…」

「こうして職に就く手筈を整えてくれたこと、身に余る幸せだと思っています。本当にありがとうございます」

剣術の腕もまだ未熟なほとりの長所と言えば体力と物怖じしない胆力くらいだ。働けるのは近藤の推薦があってこそ。だから有能な集団の中に小娘がポンと放り込まれるのだとほとりは考えていた。治安を維持し市民を守る。何度も世話になった警察に自分が属するとは想像だにしなかった。

「紹介したのは俺だが、試験に合格したのはほとりの実力だ。胸を張っていいんだぞ」

「げっ、出勤初日にセクハラされたのもこれがはじめてです。うわっフケツ。近寄らないでください」

「これ慣用句だから!意味を履き違えないで!?」

仕事はやりながら覚えることばかりでてんてこ舞いだった。はじめての仕事。はじめての現場。真選組の面々との顔合わせも忙しなく顔と名前を一致させるには至らず、覚えられたのは隊長クラスだけだった。

「副長の土方だ」

第一印象は瞳孔が開きっぱなしのやばい人。整った顔つきで目元に鋭さに拍車がかかる。顔つきよりもタバコを四六時中吸っているのが気になった。煙たい匂いが土方漂ってくるのが腹立たしくほとりは受け付けなかった。土方が喫煙する姿を見かける度に心中で罵った。

「一番隊隊長の沖田でさあ。お前が新入りかぃ。どうしごいてやりますかね」

初対面の新人隊士のほとりに向かって不穏な挨拶をしたこの男は真選組の中でも特に若い部類に入る。顔つきは涼やかで某アイドル事務所にいても遜色ないようなルックス。黙っていればモテるのではないだろうか、と思ったが口にはしなかった。

「監察方の山崎です。よろしく」

地味な人だ。ほとりの山崎に対する印象はそれだった。粒ぞろいの真選組の中でこんなに影の薄い人物がいる。この環境でどんな働きをするんだろうかと気にかかったが山崎は有能な監察方だった。攘夷浪士が出入りすると噂される工場に作業員として潜入したり一ヶ月アンパンのみで張り込みしたり。真選組の良心とも言える人物に思えたし、なにかと貧乏くじを引く山崎に愛嬌を感じていた。

「アクが強いメンバーだなあ」

個性的なメンバーが揃う真選組。かくしてほとりの新生活は始まった。



早朝。出勤時間にはまだ早い時刻だがほとりは屯所にいた。竹刀を手に道場に向かいながら伸びをして準備運動をする。

剣術の鍛錬を怠るべからず。

真選組は武装警察組織の独立部隊として行動するため剣の腕が立たないのでは話にならない。一に研鑽、二に研鑽。強くならねば攘夷浪士の取り締まりも自身を守り戦うこともできない。それは重々承知していたが、狭い自宅では竹刀も振れない上にここ数日は慣れない仕事に忙殺され稽古をする余裕がなかった。

「自主練したい?それなら朝がオススメですぜ。貸し切り同然で励めること間違いなしだぜぃ」

「始業前に使っていいんですね」

「夜勤もあるから終業も始業もあってないようなもんですがね。昼間より自由に使えるのは保証しますぜ」

「ありがとうございます」

一番隊といえば真っ先に斬り込みをする立ち位置の部隊だ。その隊長となれば腕前は真選組随一。忙しい業務の中でどのように機会を設けているのか。真選組で働き始めてたった数日ではあるが、沖田が仕事以外で剣を振るっている姿はほとんど見たことがなかった。目の届いていない場所で研鑽を積んでいるに違いない、とほとりは考えていた。

「よし、できなかった分を取り返さないと」

木戸を開けて板張りの道場に足を踏み入れた。緊張感が走り背筋が自然と伸びる。ふと視線を上げた先には近藤がいた。重りをつけた竹刀を無心で振り下ろし、額には汗が光る。違和感を覚えたのはそこからだ。道着を着ているはずなのに、いやに体のラインが出ている。

「お?おはようほとり。早いな」

「ぎゃあ!!!!」

挨拶をする近藤の姿をようやく脳味噌が処理した。タイムラグを経て事態を理解したほとりは悲鳴をあげて竹刀を手に近藤に襲いかかった。

全裸の男が道場で素振りしている。

驚愕と恐怖で体が一気に臨戦態勢になり渾身の面を近藤の額に打ち込んだ。立て続けに小手、胴と流れるように技を繰り出し華麗に竹刀を構えた。所作こそ整っているが、心情と表情は波立って崩れている。

「全裸で素振りしてんじゃねえよ露出狂か!!せめて褌つけとけや!!振るのは竹刀だけにしろクソゴリラ!!」

一矢纏わぬ姿で床に突っ伏している近藤に暴言を吐き捨ててほとりは道場を後にした。

「ふっざけんなよマジで。何がどう転べば朝イチから全裸の上司と鉢合わせする羽目になんだよ」

ブツブツと恨み言を吐き道場から離れたい一心で人気のない屯所を大股で歩く。口調が悪くなっているが構っていられる余裕はない。ドスドスと勇ましい足音を鳴らしながら廊下を歩いていたほとりはふと気がついてひとりごちる。

「近藤さんの体、かなり仕上がってたな…」

真選組局長。その立場から忙しさは他の隊士の比ではない。美しい流線型の肩のライン、流れるような影を落とす背中の筋肉、動く度に隆起する二の腕は雄々しい。ボディビルダーでもないのにあの体つき。どれほど鍛錬を積んだのだろうか。一朝一夕では手に入らない努力の賜物。ほとりは竹刀を担いだまましばし考え込んだ。

「全裸はともかく殴ったことは謝っておくか」

まだ修練が足りない。男所帯の真選組で働くのであればもっと頑張らなければ。それ以降、早朝に屯所の庭で自主練するのがほとりの日課になった。余談だが、沖田が全裸の近藤と鉢合わせさせるために早朝稽古を勧めたことにほとりが気がつくことなはかった。




ほとりが客に耳障りのよい言葉をかけ、笑みを絶やさず酒を注ぐ仕事をしていたのは三ヶ月ほどだった。夕方から明け方まで酒の匂いと煙草の煙が充満する部屋で酒の肴にもならない中身のない話を聞き笑顔で相槌をうっていた生活とはかけ離れた毎日。それがここにはあった。

「寒河江、見廻り行くぞ。C地区D地区まとめてやるからな」

「了解です!」

愛刀を腰に差し駆け出し見廻りをしたかと思えば屯所に戻って早々に事務処理をして提出する資料を作りながら食事を摂り日報を書く。真選組は人手不足だという近藤の言葉に偽りはなく手の止まる暇はなかった。山崎から引き継いだ事務仕事に加え見廻りや事件・事故の初動捜査などに駆り出され目が回るように忙しい。

「終わらない……」

真選組の一員となってから早半月。捌いたそばから降って湧く仕事を前に頭を抱えていた。もっと効率よく仕事を回さないと潰れる、と意気込んでデスクに向かうが疲労から全く作業が進まずほとりは仰向けに寝転がった。頭の中で終わらせるべきタスクがぐるぐると巡り始めて止まらない。

「まず明日の幹部クラス会議の資料仕上げたら給与データ送信して、手付かずだった備品の在庫確認と整頓…終わる気がしない」

ぐおお、とあられもない唸り声をあげるほとりのもとへ近藤が訪れた。

「よお、どうだほとり。…その様子だとだいぶ疲れてそうだな」

「毎日大運動会してるみたいですねー。体力はそこそこ自信あったんですけどなにやっても後手後手でついていくのがやっとです」

「ついていけてるだけ上々じゃないか。今日はもう帰って休め」

「帰ると明日の私の首が絞まるので今ある分だけ終わらせます。皆さんの足を引っ張るわけにはいかないので」

現場の仕事に慣れないため他の隊士たちを追随する以外ない。背中を追いかける日々の連続。加入して日が浅い以上は仕方ないがほとりは自分が不甲斐なかった。

「引っ張るって言ってもなあ。仕事覚えるのが早いってみんな言ってるぞ?」

「まーたそんな適当なこと言って。気を遣って優しいこというとためになりませんよ」

「嘘言ってどうする。急な指示にも慌てず落ち着いて対応するとか煩雑な事務処理を一度で覚えるとか、肝が据わってるとか、いい評判しか聴こえてこんぞ。有能すぎるだろう」

自分の評価を聞くのは初めてだった。驚きのあまり言葉を失っているほとりに近藤は笑いかける。自分が褒められたかのように誇らしげな笑みだ。

「お前が思ってる以上にお前はすごいんだ。そしてそれをみんな認めている。自信を持て」

本当にそうなんだろうか。

かけられる言葉に疑いを抱きつつも近藤の裏表のなさに疑念を持つ意味はない、と結論つけた。嘘を言う人間はこんな表情カオはしない。ほとりも笑った。

「はい。ありがとうございます」

「さ、残業はもう終わりだ。お疲れさん。早く帰るんだぞ」

「わかりました。近藤さんもお疲れ様でした」

促されるまま荷物をまとめていたほとりは近藤が部屋を離れたのを確認したあと、手を止めてデスクに再び向き合って髪を束ね直した。早く帰れと言われた手前、少し後ろめたさはあったが称賛の言葉が嬉しくて元気が湧いてきた。ほとりは近藤の言葉を反芻した。

お前はお前が思ってる以上にすごいんだぞ、か。なんかくすぐったいけど嬉しいもんだな。

「よーし、もう少しだけ頑張るぞ」

そう呟いて仕事に取り掛かる。ほとりが雑務も含めて一通り片付けてようやく帰路についたのは二時間ほど経ってからだった。



事態が逼迫した、緊急性が高い通報もたくさんあった。

夜半前、「隣の部屋から子供の泣き声がして止む気配がない」と通報を受けて現場に急行してみれば、三歳くらいの女児が一人部屋の中に座って泣き続けていた。物が散乱した薄暗い部屋に親らしき人物はいなく、貴重品がなくなっていた。事故・事件性を鑑みてすぐさま女児は真選組に保護されたがほとりの腕の中でぐずぐずと泣き続けている。

「この体力は一体どこから湧いてくるんでぃ」

「子供ってそういうもんですよ、沖田さん」

「それにしたって……こりゃすげえ声だ」

そこまではよかったのだが施設に受け渡そうにも女児がほとりにしがみついて離れるのを拒み大声で泣いた。あまりの声に沖田は辟易して耳を塞いでいる。仕方なく屯所に連れ戻り諸々の世話はほとりがした。何日も風呂に入っておらず不衛生な上に食事もまともにできていなかったようで食べ物を見た表示に顔色を変えて飛びつくほどだった。

「おら、ゆっくり食えよ」

「なんでほとりちゃんの膝の上で食べてるの」

「私が離れると爆音で泣くからです」

屯所の食堂、黒服の男の前でがっつくように食事をする様は痛々しくてほとりは見ていて胸が切なくなった。満足するまで食べた後は途端に大人しくなってほとりの腕の中で熟睡する女児を抱えながら事務室で仕事を進めていた。

「ほとり、布団持ってきたからそろそろ休め。泊まりがけになっちまって悪かったな」

「ありがとうございます。子供を放って置けないでしょう。夜勤くらいどうってことないですよ」

市民を守るのも職務も一端だ。こんな幼い子を放って家になど帰れるものか。

「ところでこれ、夜勤手当てつきます?」

「…………」

「聞いた私がバカでした」

ほとりの問いに答えず近藤はプイと顔を横に逸らした。布団に寝転がりながらもしがみついている子供の背中をさすってやる。

「手慣れたもんだなあ。弟や妹がいたのか?」

「いいえ。私は一人っ子です」

「そうだったのか」

「江戸に来る前にいた寺子屋の生徒たちはみんな私より年下で。もちろん同年代はいたけど私が一番上だったからよく面倒みてたんですよ」

血の繋がりのない弟や妹はたくさんいた。どの子も家庭環境に問題があって行く宛がなく流れるように、もしくは拾われて寺子屋に居付くようになった。

「この年齢くらいの子はさすがにいなかったですけど」

制服を掴んで離さない子供の頭を撫でながらほとりは布団をかけてやる。本来であればこの役割は親が担うものだ。この子もそれを望んでいるはずだが叶わない。だから手を差し伸べる。

「全員にできるわけじゃないってわかってます。でも目の前に困って泣いてる子がいるのに無視はできないので。昔、私がしてもらったようにしてあげたいだけです」

「昔?」

「さっき話した寺子屋の先生がね、すんごい世話を焼く人で色々気にかけてくれてたんですよ。手のかかるクソガキだった私を見放さずに育ててくれました。ま、それは今も変わらないけど。別の形で恩返しにと誰かに同じことができたらいいなと」

「ほとりは自分をクソガキだと言うが、それは過去のことだろう。お前はもう立派な真選組の仲間だ」

近藤が使った言葉に少し面食らった。ほとりにとって真選組は職場だった。シフトに合わせて出勤して仕事をする場所。隊士たちは同僚や先輩、上司だと認識していた。仲間。近藤はほとりをただの部下としてではなくそれ以上の評価をしている。じわりと胸の奥から湧き上がるむず痒さと照れくささから逃げるように布団を被った。

「…ありがとうございます。でもまだまだ若輩者ですからね。精進しないと」

ほとりは一時的に保護施設に引き取られた子供に何かしら理由をつけて会いに行った。ある時は菓子を、ある時は流行りのキャラクターのぬいぐるみを携えて。せめて年相応の子供が体験し得る楽しみを教えてあげたい。その一心だった。


件の女児は無事親戚に引き取られる予定だ。

そんな報せが入ったと聞かされたのは局長室に茶菓子を持参した時。事件発覚から一か月ほど経った頃だった。

「親戚の夫婦は里親として問題なしと判断されたようだ。ひとまず安心だな」

「ええ本当に。今度会う時はお別れの挨拶しないとですね。悲しいけど」

「で、母親の方なんだがな」

「何か進展があったんですか?」

女児に父親はいなかった。母と娘の二人暮らし。母親は蒸発したのか、子供を置き去りにして新たに関係を築いた男のもとへ駆けていったか。消息については調査中で明言されなかったが恐らく後者の可能性が高いだろう、と言葉尻から汲み取れた。

「全く、親ってのは勝手ですね。お腹を痛めて産んだのだから愛せるだろうとは言わないですけど、どうして放り出していけるんでしょう」

苛立った声をあげたのはほんの少しの間で、ほとりは盆を手にしたまま座ってぽつりとこぼした。

「近藤さん、私ね、あの子に自分を重ねていたと思います。あれくらいの年齢から親に優しくされた記憶がなかったから、して欲しかったことをしてあげただけなんです。子供だった頃の私を慰めてやってただけ。ひどいエゴですよ」

だから立派なわけがない。ほとりの言わんとすることを察した近藤は頭を振って優しい声で諭す。

「エゴだろうがなんだろうが、それでもお前はあの子の望みに応えてやったんだ。誰がお前を責められる?悲しさや寂しさを知ってるほとりだからこそできたんじゃないのか」

「そうかなあ…」

「あの子もお前といられて寂しさも紛れただろうさ。少なくともずっと寂しい思いをせずに済んだ」

噤んで目を伏せていると近藤が身を乗り出す。ほとりの頭を大きく厳つい手が撫でた。

「辛かったな、ほとり。頑張ってきたんだな」

近藤の言葉で胸が詰まる。鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなって涙が溢れて止まらない。いつ以来だろうか、泣くのは。ほとりは気持ちが乱れて取り繕えなくなった。そんなに離れていない年齢差なのにまるで父親のような態度。この男は度量が違う。ほとりは涙を拭いながら心底、近藤の懐の深さを感じた。

「俺だって褒めて欲しいときくらいある。こうやってお前を気遣うのも褒めるのもエゴだって言うか?」

「いいえ。それは近藤さんに失礼です」

「だろ?それと同じさ」

近藤はぐすぐすと鼻をすするほとりの側に座り、取り止めのない話をずっとしていた。


20211130
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