昔の話
代々薬師を生業としていた燎の家にはよく村の者たちが訪れる。怪我の手当てや治療を願い出たり病人がいるからとこちらから出向くこともあった。燎はそれに応じて薬の授受を行っている。この日も燎の腕と薬を求めて老婆がやってきた。のんびりと歩いてきて畑仕事をしている名無しと仔太郎に声をかけた。

「燎さんはいるかね」

「ああ、いるぞ」

「薬をもらいに来たんじゃが……」

つい昨日、肩を傷めたと相談に来た老婆だ。今朝方、燎が黙々と薬草を薬研で細かくしていたと思い返す。名無しと仔太郎は老婆を案内したが、母家の板の間に燎の姿がない。

この時期にしては日差しが少し強い。薪割りを終えてやってきた名無しと仔太郎が、ずっと畑仕事をしていた燎のあとを引き継いだ。母家で休憩していたはずだ。二人は困った。なにしろ燎のやっていることは二人にはまじないのように見えて、手当てや薬のことはてんでわからない。

「どこに行った?」

「オイラが探してくる」

仔太郎の後ろを飛丸がついて行ってしまい、その場に名無しと老婆が残された。

「ばあさん、ひとまずここで待っててくれ。俺も行ってくる」

「はいよお」

土間の隅に腰を下ろす老婆を置いて母家を出て、名無しは裏庭の方へ足を伸ばした。

「おい、燎。いるか」

裏庭には小さな畑があるだけで持ち主の姿はなく、辺りの木々の過ぎる風の音がするだけだ。見当が外れた。納屋には仔太郎が向かっただろうと思い、名無しは納屋の方へ足を伸ばした。





納屋の近くに井戸がある。その前に膝をついて燎が手拭いで体を拭いていた。首周りや背中が見えてびっくりして咄嗟に手で目元を覆う。

「仔太郎? なにしてるんだそんなところで」

「あ、いや、その……燎を探してたんだ」

「目隠しをしながらか?」

「違うんだ、客だ」

用件を伝えようと口を開いた時、角から名無しが顔を出した。

「おい仔太郎。燎はいたか?」

「わーーー! 待て待て駄目だここから先は通せねえ!!」

腰の高さで慌てふためいているだけで通せないも何もないだろう。不思議に思いつつ、ふと名無しが顔を上げた先に燎のすらりとした背中が見えた。通すまいと小さな体を目一杯広げている仔太郎の頭上で名無しと燎の視線がかち合う。

「私に用か?」

「婆さんがまた来たぞ」

名無しはそっと視線を燎から外して畑の方に向けた。会話をしながら燎は着物を直し、髪を手櫛で整えて結わえる。

「分かった。すぐ行く。悪いけど右から三番目の棚にある薬を包んでおいてくれるか」

「一番下の?」

「そう、それだ」

名無しは返事を聞いてすぐさまその場を離れて母家に向かった。仔太郎は相変わらず顔を背けたままだ。身支度を整えて立ち上がったのを見計らって声をかける。

「……あの、燎」

「どうした」

「す、すまねえ、オイラが止められなかったから名無しが……その……」

服の裾を指先でいじりモジモジとしているのを見て仔太郎の言わんとすることを察した。

「肌を見られたくらいなんだ。そんなことで照れるような仲じゃないし、お前のせいじゃない」

「……照れるような仲じゃないってどういう意味だ?」

しまった、と燎は一瞬青褪めた。まだ子供には早い。どう誤魔化すかを考えあぐねていると仔太郎の明るい声がした。

「燎も名無しと温泉にでも入ったのか? オイラも一緒に温泉に入ったぜ!」

「あ、ああ、そうか。そいつは良かった」

短絡的というか思考が及ばずに助かった、と胸を撫で下ろす燎の背中に小さな手が触れる。仔太郎が心配そうに眉根を寄せて様子を伺っている。

「どうした」

「さっき、背中に大きな傷があった。名無しの体にあるみてえなやつだった……痛くないのか」

肩口から肩甲骨にかけて袈裟斬りにされたような痕がある。燎は痛みもないからすっかり忘れていた。細かいのも探せば二の腕やら足にもいくつも残っている。

「随分と前にできたものだからね。大丈夫だよ」

「そうか。ならいいんだ」

少し顔が和らいだ。人の痛みを想像できる優しい子だと燎は仔太郎の頭を撫でた。母家に向かう燎の後ろを仔太郎が付いてくる。

「名無しとはどこで会ったんだ?」

「大渡という国で金創医として仕官していた時だよ」

「医者ってことか?」

「そうだな」

「薬を売ってたんじゃねえのか」

「戦をやるのに薬があればいいってことではないだろう。怪我やら病気やらを看れる奴が必要だったからね」

戦という言葉を聞いて仔太郎の顔色が少し曇ったのを見て不味いことを言ったな、と燎は話題を変えた。

「ああ、赤鬼は昔から手強かったなあ」

「ん? 名無しと戦ったことがあるのか?」

名無しと手合わせしたと知り、興味津々に聞いてくる。仔太郎くらいの年頃であれば、仲間内の誰が一番強いかという話で盛り上がれるはずだ。

「何度かはね」

「勝ったか!?」

「まさか」

手合わせしたのは仕官している間に三度だけ。どれも最終的に名無しが勝った。地力の差が出た。

「しかしあれは面白い異種試合だった」

「いしゅ?」

「互いに異なる武器で戦うことだよ。赤鬼は木刀で、私は杖だった」

「へえ……」

「本気で打ち合ったせいで、試合が終わったあとは体のあちこち傷だらけ痣だらけで腫れも数日残ったままだったな」

「女相手に容赦ねえ奴だな、名無しの奴」

「女だからって手加減されてたら私はあいつを張っ倒してたよ」

本気で挑んでくる相手にはそれ相応に受ける。若かりし頃の姿が浮かぶ。木刀を構えて鋭く踏み込んでくる。早い切り返し、どこから攻撃をして崩せばいいのかわからないほど堅かった受けの姿勢。懐かしさから燎は手を動かす。杖を手にしているかのように突き、払い、薙ぐ。澱みない動作に仔太郎は目を剥いている。今まで暮らしてきて武術の心得があるように見えなかったから驚くのも無理はない。

「はあ……すげえや……」

「不思議なものだよ。体に染みついて離れないんだよ」

「今度教えてくれよ」

「いいけど厳しいぞ?」

談笑しながら母家に入った二人は、思いもしなかった光景に言葉を無くす。

「お前さんは死んだ亭主にそっくりじゃあ……」

「ばあさん、頼むから手を離してくれねえか」

土間で名無しが老婆に口説かれているのである。三人の視線が交わった。

「……」

名無しの表情が困惑から助けを求めるそれに変わる。なんとも言えない空気の中、燎は老婆にそっと声をかけた。

「トヨさん、こんにちは。待たせてしまってすみませんね」

「おや燎さん、いいんですよお」

「肩の調子はどうです。酷くなってないですか」

燎 が老婆と話しているそばをそろりと離れた名無しは包みに入った薬を膝下に置いてさっさと奥に引っ込んでしまい、顔を出したのは老婆が帰ったあとだった。言い寄られていたのがよほど可笑しかったのか、仔太郎はずっと笑いを堪えて肩を震わせている。

「オイラたちが来るまでずっとあんな感じだったのかよ」

「笑うんじゃねえ」

「少しボケてきてるからなあトヨさん。因みに旦那さんは赤鬼に全然似てない」

仔太郎はますます笑いを誘いとうとう噴き出した。

「去年だったかな。旦那さんを亡くされてね。それからずっと一人だったから人と話せるのが楽しいんだよ」

「そうだったのか」

「話を聞いてやるのも私の仕事だ」と言いながらも名無しが困っていたのも事実だ。

「しかし待たせたのも悪かったな」

「すぐ行くと言ったのは誰だ」

「つい仔太郎と話し込んでしまってな。すまなかった」

あんな風に言い寄られたのは初めてだとしたら対応に困るのも無理はない。謝りつつも燎も面白いのかどこか口元が緩んでいる。困っていたのに、それを話の種にされ笑われてしまったら居心地が悪い。名無しは口をへの字に曲げている。

「へそを曲げるなよ名無し」

「怖がらない人がいるとわかってよかったじゃないか」

それはそうだが、と名無しは口にしかけたが、燎が妙なことを言っていたのを思い出した。燎と仔太郎を見遣って首を傾げる。

「ところで二人して楽しそうに何を話してたんだ」

仔太郎と燎は顔を見合わせて昔の話だ、と声を揃えて答えた。



20230529
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