不服だが同行してやる
※腹黒彼女

あるはずのものがない。一瞬、思考がフリーズして即座に理解するが認めたくないから二回は周りを確認した。諦めながらないことの確認をしないといけないのは阿呆くさいとわかっていながらも万に一つでも見つかるかも、なんて希望を持ってしまったのがいけない。三度目の正直なんて言葉があるんだ、と柄にもなく考えた私が阿呆だった。もちろんその希望は砂のようにあっさり崩れた。大学の図書館の入り口は静かで恨めしい自分の声がいやにはっきりと通る。時間は七時半、学生はほどんどいない。

「盗まれた……」

買ったのはつい三日前だ。三年ほど使っていた傘の骨が先日ポッキリ折れてしまった。強風に煽られたのもあったしそもそもだいぶガタが来ていた。代わりに、と買ったのは白地に淡いクリーム色で花が刺繍されていた傘。シンプルで一目見て気に入った。基本、物には頓着しない質である自覚はあった私が愛着を抱くほどだから大事にしようと考えていたというのに。間違いならまだ許せるが生憎と取り違えて残された傘などない。どこの誰だ、っていった奴は。場所も構わず舌打ちをする。

「最悪」

空を見遣る。雨は数時間前と変わらず、それ以上に強く忌々しく振り続けている。どこぞの盗人のせいでまた傘を買う羽目になった。なんて腹立たしい。新品の傘を我が物顔で差している人物が痛い目に遭うことを祈ると同時にこの雨の中をどう帰るか考えているとふと隣に人の気配がして目を遣った。

「ひでえ雨だな」

「……そうね」

顔を見るだけ、声を聞くだけでも神経が逆撫でされる。そんな存在が隣に立っている。このやり場のない憤りを花宮にぶつけてやりたくなった。が、完全に八つ当たりなので握り拳を作るだけに止めた。

「…呆けて突っ立てると思ったらそういうことか」

傘を持たずに立ち尽くしている私の手元を見て花宮はフン、と鼻で笑う。今日は朝から雨だった。どんよりと暗い空に湿っぽく纏わりつく空気。嫌でも雨だということを認識せざるを得ないというのに、うっかりにも程度があるだろうと花宮は言っている。

「置き忘れるとか間抜けかよ」

「違う。盗まれた」

「……買ったばかりのやつをか」

「そう」

普通ならここで慰めの言葉の一つや二つかけてくるのが然るべき流れなんだろうが、(慰めの言葉をかけて欲しいわけではない、決して)生憎なことに相手は花宮だ。傷口に塩を塗り込むような言葉で済めばいくらかマシな方。言いようによってはやり返してやる。これなら八つ当たりにはならない。

「そいつは気の毒なことだな」

きのどく?聞き間違えじゃないのか。予想外の言葉に花宮の顔を見遣った。

「珍しく機嫌良かったからな、あの傘買ってから」

「いつも不機嫌で悪かったわね」

「本心で言ってるぜ」

私の冷たい視線を疑心と受け取ったのか花宮は弁明した。どうだか。言葉ではそう言っているけど、お前の目付きは私の状況を見て嗤っているようにしか見えない。気の毒の言葉の裏に込められた意味は真逆のものだ。

「この雨の中を傘も差さずに帰る羽目になるとはな。本当に気の毒だな。悠」

やっぱりな。

「馬鹿じゃないの。弱くなるのしばらく待つけど?」

「この様子じゃなりそうもねえな。お前の言うしばらくってどれくらいだ。明日か」

花宮の手前だからそう言い張ったが、この雨が朝まで降り続くなんてこと知ってる。校内の売店は閉まっているし、まだ図書館に残っている学生のうちで気心の知れた仲の者は恐らくいないし、仮にもいる可能性に賭けてこの場で待つギャンブルはできない。浮かんでは消える選択肢に苛立ちを覚える。八方塞がりだ。傘を盗んだ奴が心から憎い。そして私を嘲笑う花宮のせいで状況が悪化しているようにさえ思う。傘を差して歩き出す花宮を睨みつけていると振り返って、どんよりした雨空を見ている私を一瞥した。

「入れてやってもいいぜ」

「…………遠慮する」

「頑固もほどほどにしとけよ。風邪ひかれたらこっちが迷惑だからな」

移ったらどうしてくれるぼやいてこっちに引き返して来る。なんで風邪ひく前提で話をするんだこの男は。雨音に、一本の傘を共有せざるを得ない状況に対する回答を急かされる気分になる。花宮と傘の共有。濡れて帰った方が何百倍もマシだ。

「余計なお世話。これくらいなら走って駅まで……」

そう言いかけた途端に空気が騒がしくなった。断固拒否の声を掻き消し、共有以外の手段がなくなる無慈悲な激しい雨音。いくら走っても駅に着く頃には下着までびしょ濡れになっている。さすがにそれは躊躇われる。

「これくらいなら……へえ」

わざとらしく空と私を交互に見て花宮は口の端を歪め上げた。考え得る限りの選択肢が悉く挫けて、最終手段として残ったのが花宮との相合傘。そんなことにならないように回避したくて仕方がない心情を分かっているからこそ花宮は言う。心底私が嫌がるのも分かっているからだ。

「入れてやってもいいぜ」

諾と答える以外にない状況になってしまった。バタバタと傘に打ちつける雫の音、蒸された温い風が頬と髪にまとわりつく。開きたくない唇を噛み締める。花宮に申し入れをするなんて私が一体何をしたというのか。傘は盗まれて雨には一層酷く降られ、仇敵に頭を下げなければいけない。最悪の日だ。

「なあ、聞いてるか悠」

せっつく花宮を睨み上げて歯噛みする。ふざけやがって。唸るように声を絞り出す。思った通りにならず苛立った花宮と傘の奪い合いをして、二人してずぶ濡れになったのは言うまでもない。


20210704
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