3:45の断絶
※アンケコメ:切甘、擦れ違い
※幼馴染で彼女
※死ネタ注意
ふわりと浮いたような気がした。体験したことはないけれど、無重力ってきっとこんな感じなんだろうと思う。水の中に潜っているような、静かでとても穏やかで優しくて柔らかくて。ぐんぐん背の伸びていった幼馴染が、昔と変わらないように頭を撫でてくれる感触によく似てる。
こんなに体が軽いなら、どこへでも行けるに違いない。だから、涼太のところまで、泳いで行けそうな気がした。
*
昔から病弱だった節はあった。小学校の時から一年に何回も入院して、退院してまた体調を崩して入院しての繰り返し。今回も、またそうだった。悠は、風邪をこじらせて肺炎になってしまった。
「涼太」
「え、あ、悠?」
でも今回は順調に回復していて、人工呼吸器を外して生活出来るくらい。見舞いに来たら、病院のロビーで鉢合わせになった。陽に当たらないから悠の肌は青白い。でも今日はなんだかいつもより血色が良くてとても健康的だ。
「もう出歩いて大丈夫なんスか?」
「先生がだいぶ良くなったから散歩して来いって」
「じゃあそろそろ退院?」
「このまま行けば来週末には」
私も体力ついてきたのかな、と大きく伸びをしながら悠は嬉しそうに言った。その姿は、高校生と言うには細すぎてちょっと心許無い。昔から食も細くてご飯を残してばかりで、親にバレないようにこっそり食べてあげたりもしてた。
「涼太が試合に出てるの、まだ一回も見てない」
「あ、そういえばそうっスね」
「退院したら、真っ先に試合見に行く」
高校は違うけど、お互いに学校帰りに寄れる距離にある。高校に入ってから何度か悠を学校まで迎えに行ったこともあった(ちょっと女の子に囲まれて、面倒なことになってしまったけれど)。公園にあるコートで一度だけバスケを教えてやったことがあった。教えたというか、遊んだというか。細腕にはバスケットボールすら重いようで必死に放り投げてようやく、リングに何度もぶつかりながら入った。今度やるときは、涼太みたいに頭の上からシュート打てるようにする、とはにかんでたっけか。
「ゴールって、どんくらいの高さなんだっけ?」
「んー、3メートルッス」
「うわ、私の倍の高さじゃん」
「相変らずのチビ…プッ」
「違う、涼太が大きいの!」
筍みたいにグングン伸びちゃって!と怒る悠の顔ですらも愛おしい。家族ぐるみで仲が良くて小さいときから一緒に育った。昔は悠の方がちょっとだけ身長が高かったけど、今じゃ見事に逆転している。おりゃ、もっと縮めーっ。ふざけて触れる頭の形に髪の毛の柔らかさ。その全ての感覚が互いの距離を埋めるもの。忘れてしまいそうなほどに儚いけれど、決して忘れてはならない感覚。
「その身長ちょっとで良いから分けてよ」
「伸ばしたいなら牛乳飲むのが一番ッスよ、悠」
「豆乳の方が好き」
「たまに悠の味覚が理解出来ないッス…」
「涼太の趣味の利きミネラルウォーターってのも理解出来ないよ」
断っても断っても、意地でも譲らないから病院の前まで見送って貰った。別れる前に、一回だけぎゅう、とその細い体を腕の中に閉じ込めた。涼太、髪がくすぐったい、と言う悠に思いきり顔を擦り付けると幼子みたいな、無垢な笑い方をした。
「退院までに、また来るッス」
「うん、ありがとう。またね」
練習頑張って、と付け足して手を振った。明日、ちょっとだけ早く体育館行って練習しよう、と思って帰路についた。その日の夜、悠は感染症を引き起こしてしまった。親からそれを知らされて、病院へ急いだけど、意識はもうない状態で。名前を呼んでもピクリとも動かなくて、か細い手は脈打っているのにひんやりと冷たかった。
「悠」
ついさっき、約束したばっかじゃないスか。試合、見に行くって。シュート打てるようにするって、言ってたじゃないスか。来週には、退院出来るんじゃなかったんスか。ついさっき、またね、って。
「悠、悠」
深夜、悠は静かに呼吸を止めた。
*
ふわりと心地良い無重力の中を泳いでいたら、悠、と優しく呼ぶ涼太の声がした。涼太、すぐに行く。声のする方に手を伸ばした。そこで私の意識は途切れた。
3:45の断絶
(世界から消えた私を忘れて)
イメソンを教えて下さい、とのコメントを頂きました。凛として時雨の「am 3:45」です。
加筆:20121106
訂正:20121127
初出:20120828