噎せ返るような
※”待て”は出来ませんの続き
※陽泉マネージャー(三年)
意識的に避けた。それでいてさりげなく、わざとらしくないように。
「昼食まで各自自由行動だ」
監督の指示を最後に、合宿は終わった。バスに荷物を詰め込んで昼ご飯を食べたら、もう帰るだけ。その前に借りてた体育館の戸締りを確認しないと。ロビーの一角にさっさと荷物を放り投げて体育館へ走る。私の仕事はまだちょっとだけ残ってる。ちょっと手伝って欲しいとは思ったけど、練習で体を酷使したからゆっくり休んで貰おうと思って黙っていた。
「悠ちん、まさ子ちんがスカウテイング別の日にやるって言ってた」
「うんわかったー。ありがとう」
すれ違う紫原の顔を見もせずに返事をした。いちいち振り返るのもちょっと面倒で、小走りで廊下を突っ切る。
「どこ行くのー?」
「体育館!」
「ふーん」
一応一年だから手伝います、とか一言あっても良いんじゃないかな紫原くん!何事もなかったかのようにスルーするのはいつも通りだね。ま、紫原も練習頑張ってたからゆっくり休んで貰おう。
*
風通しが良いのは有り難いけど、ここの体育館の窓の数はおかしいと思う。うちの学校の倍はあるんじゃないの。鍵と安全ロックがかかってるのを何回も確認してからカーテンを纏める。最初は面倒くさいとか色々考えていたけど、雑務をこなうすちに機械的にこなした方が楽なんじゃないかって思い始めて今じゃもうボーっとしながらでも出来る。一人で黙々と鍵を閉めていたら、目の前に大きな壁みたいなのが突然現れて顔を上げた。よく見たらそれは人で、しかも氷室で。何食わぬ顔してカーテンを束ねていた。う、わ、いつの間に。ビックリして声が掠れた。
「ひ、むろ」
「手伝いますよ」
「い、良いよ、みんなと一緒に休んでて」
「先輩は働いてばっかじゃないですか」
悠先輩こそ休んで下さい、と氷室はにこりと微笑む。わ、忘れてないぞ、昨日のアレを!私が今日一日何のために距離を置いたと思ってるんだ君は!でも面と向かってメンチを切る勇気はない。ていうか、なんでこっちに歩いて来るんだ君は。思わず後ずさる。
「ま、マネージャーの仕事だし、ね」
「だからってなんでも背負い込んでいいわけではないでしょう?」
「背負うって大袈裟な」
「大変そうなので、手伝います」
人の話を聞けぇ!というか、いきなり女性の唇を奪うなんて、なんて教育を受けていたんだ!アメリカではそうなのか!あ、いや、挨拶にチュッ!とかしちゃうんだっけ?なら仕方ないか。あ、いや、ここ日本だし!郷に入ったら郷に従えし!ここ日本だしね!大事なことだから二回言った!
「手伝うっていう申し出は、とても有り難いんだけども」
「はい」
「どうしてこんなに寄ってくるの」
二階席のギャラリー、しかも端の方の窓際に追いやられてしまった。ひい!逃げ場なし!笑みを湛える氷室が悪魔に見えてきた。いや狼みたいな獣にも見える。どうでもいいことで頭が一杯になってる間に、とうとう腕を掴まれてしまった。どうしよう。
「俺、男なんですよ」
「そう、だね」
「好きな女性を目の前にして、理性飛ばないわけがないです」
あ、もう駄目だ本当に逃げ場がない。立場的にも男女の仲的な意味でも。答えを示すことを迫られてる。足が床につっくいてしまったみたいにピクリとも動かない。
「俺は悠先輩が好きです」
「…ひ、氷室」
「先輩」
いつもは涼しげな目元が、酷く鋭い。はた、と目が合った瞬間に腹の底まで見透かされたような、考えてることを素直に言わないといけないようなそんな気になってしまった。顔から火が出るような思いになりながら、ようやく声を発する。
「嫌なら、昨日の時点で、抵抗してる…」
もう最後の方は声になってなかった。言うと氷室は少しはにかんだかと思ったら私をぎゅうと抱き寄せた。ちょっと、苦しい。苦しいよ氷室。頭の上で氷室の少し嬉しそうな声がする。柔らかい声だ。
「じゃあもう我慢しなくて良いんですね」
「はい?」
「堂々としていられるし、気持ちを抑える必要もない」
「ちょ」
何の前触れもなく唇が重なった。相変らず突然だったけど、昨日みたいに噛み付くようなものではなくて。湿っぽくて冷たいようで熱くて、荒々しいけど優しくて。しつこいくらいの接吻に体育館の暑さも相俟って、頭の中が蕩けてしまいそうだった。
噎せ返るような
(熱さと抱擁)
訂正:20121127
初出:20120830