そんな言葉、要らない
※同学年で彼女(三年剣道部所属
※灰崎が出張ってます


気安く触ってくるものだと思いました。ドレッドヘアの生徒。年上の者に対しての言葉遣いも態度もなっておらず、非常に不愉快な印象しか受けません。下卑た笑みでこちらを見てくるその様、まさに悪漢というに相応しいでしょう。

「止めて下さい」

「良いじゃん別に。硬いこと言うなよ」

手首を掴まれた状態でした。その体勢から、自分の方へ引き寄せようとする動きに反して、一歩身を引いて拒絶の色を表します。少し驚いたような顔でこちらを見てきます。

「お付き合い、している方がいますので」

「んん?もしかして、うちのキャプテン?」

「ええ。そろそろ手を離して頂けるかしら?」

名前を直接伺ったわけではありませんが、前々から噂は耳にしていましたよ。問題児の灰崎くん。人に対する敬意を欠いている、という時点で私の中での印象は最低に近かったです。実際にお会いして、と表現するより一方的に声をかけられて人の用事もお構いなしに話を進める人柄を拝見して、印象はより一層悪くなりました。君は、最低の悪漢です。

「お堅い印象とはエライ違いだ」

ぺろっと舌で唇を舐めながら、青年は言います。

「あの馬鹿がこんな良い女と、ねえ。世も末だぜ」

私がそしりを受けるのは、構いません。でも、彼を侮辱するのは、誰であろうと、許さない。肩から提げている竹刀に思わず手が伸びそうになるほど、カッとしました。それなりの覚悟があって、言葉を発しているのでしょう?それ以上続けるのであれば、容赦はしませんよ。喧嘩が強いとも聞きますが、だからと言ってここで逃げるのは名折れです。目の前の青年に、竹刀を抜こうとした、その時でした。

「何をしている」

「あ?」

「英輝さん」

声をかけてきたのは、練習着に身を包んだ英輝さんでした。

「灰崎、顧問に呼ばれていただろう」

「そうだっけ?忙しいからすっぽかすわ」

「駄目だ。次回大会のスタメンのことで話がある。今すぐに、行くんだ」

「けっ。俺に指図すんじゃねえよ、馬鹿が」

もう抑えられませんでした。礼儀を欠く傍若無人な輩はごまんと見てきましたが、ここまで非礼で、厚顔無恥で自分勝手な人は始めてです。後姿ですらも憎たらしく見える青年、痛い目を見ない限り更正なんて夢のまた夢でしょう。問題を起こすのは、いけないことだと重々承知していますが、英輝さんの後輩であるならば、背に腹はかえられません。ですが竹刀を掴んだ私の手をそっと制する感覚に、目が覚めるようでした。

「すまない」

「どうして、貴方が謝るんです」

「俺のためを思うなら、手を下ろしてくれないか」

練習を積んでいる貴方を、知っています。誰よりも早く練習を始めて誰よりも遅くまで残っていることを、私は知っています。この三年間の努力を、踏みにじるあの行為が許せないのです。それなのに、どうして、どうしてそこまで自分を押し殺せるのですか。

「頼む、悠」

些細なことで頭に血が上ってしまったことを、恥ずかしく思います。一番憤りを感じているのは、私ではなくチームメイトの英輝さんである筈だからです。それと同時に、あのような無礼者が、英輝さんと一緒にプレイしていることを考えると、言いようのない怒りが湧き上がって仕方がありませんでした。

でも、部外者の私に何が出来るのでしょうか。さっきしようとしていたことは、ただの暴力行為。それに気がついて申し訳なく、自分自身がまだまだ拙い子供であるように感じられて虚しくなりました。複雑な気持ちのまま竹刀から手を離すと、英輝さんは、優しい声で言いました。

「悠、ありがとう」


そんな言葉、要らない
(私は、ただ許せなかっただけなのに)


訂正:20121127
初出:20120911
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