フラッシュバック
※腹黒彼女
※暗い


悠。貴女はね、私の大事な子なのよ。言うこと聞かなくちゃ、駄目よ。恥ずかしくないように、しっかりお勉強しましょうね。お母さんの言いつけを守れば素晴らしい大人になれますからね。

間違いを犯すと、叩きながら母は笑って言う。

ねえ、悠。どうして言うことが聞けないの?さっき言ったでしょう?恥ずかしくないように、ってお母さん言ったでしょう?言われたことは破ったらいけないのよ。

私もお友達ともっと遊びたい。それを口にした瞬間、母は無表情にこちらを見下ろして料理の入った皿を叩き付けた。

悠、いい加減にしなさい。そういうことを言うのはみっともないの、よしなさいって何度言えば分かるの。恥晒しも大概にしてちょうだい。そんなことじゃご近所様に顔向け出来ないじゃない。私の顔に泥を塗るようなことはしないで。

そう言って何度もはたかれた。怖かった。ただ単純に、恐ろしかったのだ。切れ味の悪いナイフで、じっとりと肌に傷をつけられているようだった。こんな状況からは、誰も助け出してなんてくれない。同じ年頃の女の子が夢見て憧れているような所謂“白馬の王子様”なんて存在しないということを早々に理解した。いつか誰かが助けてくれる、なんてことはありもしないただの幻想だ。

自分の身は、自分で守らなければ殺されてしまう。閉鎖的な家庭の中に、他人の入り込む余地なんてない。助けを求めることなんて出来なかったし、仮に出来たところで何が変わったのだろうか。だから歪んだ。歪めて凌いでいた。泣きたい気持ちを必死に殺して、歪めた。



本を読んだままうたた寝なんて、珍しいこともあるもんだと思っていた。すー、と心地良いくらい深く寝息を立てていた。初めのうちは、いつも通り静かだった。それがしばらくした頃、苦しげな声を上げ始めて、何かから逃げるように顔を逸らす。表情は、寝ているというのに酷く険しくて不快感を前面に出している。

でも、その不快感の他に何か別のものが伺えるようでもあった。五分はそういう状態が続いた。が、悠は、突然弾かれたように勢い良く起き上がった。突拍子もないその動きに心底驚かされて、手に持ってたカップからコーヒーが零れた。こんなことで驚いた俺も俺だが、いきなり動くコイツも悪い。

「急に動くなよ。ソファ汚れちまっただろーが」

返事はない。過呼吸を起こしたみたいに肩で息をしていて、ぜえぜえと聞き苦しい音だけが聞こえてくる。

「…?魘されてたぞ、大丈夫か」

顔を覗き込んだら、足元一点を見つめたままぴくりとも動かないで荒く呼吸している。漆黒の瞳からは、涙が溢れ出してそれが頬を伝って制服に染みを付けていく。悠は、シャツの胸元をぎゅっと握り締めて必死に息を整えようとしているようだった。もう片方の手は、スカートの上で拳を作っている。

「悠?」

俺の声に体を一瞬硬直させたあと、ようやくこっちに気が付いて顔を上げる。泣き腫らす目元は赤い。そして泣いている筈なのに無表情で、ぽっかりと孔が空いたように暗澹とした瞳でこっちを凝視する。異常なその様子に、肝を冷やした。

「はなみや」

掠れた声でうわ言のように俺の名前を呼ぶ。こっちを見ているのに、見ていない。そんな感じだ。あやふやで頼りなさげな悠の様子に、何かに誘われるように頬に触れた。涙が指の間を伝う。その途端に“泣く”ということ思い出したように顔がくしゃくしゃになっていく。唇を噛み締めて、しゃくりあげて手で涙を拭う。

「はな、みや」

「悠」

「う、…っひ、」

「気にすんな。気が済むまで、泣け」

抱き締めると、堰を切ったように声をあげて泣き出した。慟哭と呼ぶには些か弱弱しく、袖を掴んでくるその手が酷く儚く見えた。


フラッシュバック
(押し込めた記憶の片鱗が、)


訂正:20121207
初出:20120914
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