押しても引いてもだめなら
※軽音部夢主

体育の授業でうっかり白熱してしまった。野球なんて乗り気じゃないとみんな言ってた癖に、いざ始まってみれば全員本気でゲームに臨んでいる。授業が終わるまであと5分、更にツーアウト満塁というピンチとチャンスが混在する状況だ。

ゲームのクライマックスで対決しているのはソフトボール部の名ピッチャーと4番を背負うエース。授業だからとハンデを設けるべく利き手と逆の手でプレイしていたけど、こうなったらもう互いに遠慮はない。一球目、ボール。二球目、ストライク。三球目をバッターが振り抜いた。鋭いバッティングの音の割にはボテボテのゴロが一塁側を転がっていく。滑り込めば一点追加で逃げ切れる。わたしは三塁ベースを蹴った。

「悠ー!頑張ってー!」

味方の悲鳴に近い声援を受けてホームベースに足から突っ込んだ。



数学の授業が始まってから20分は過ぎた頃、ふらりと教室に戻ってきた掛川ちゃんにクラスメイトの視線が集まる。遅刻を咎めようとする先生に悪びれもしないで言い訳した。

「体育で怪我したので保健室行ってましたー」

数学の先生ってこういうところ細かいから嫌われてるんだよな。掛川ちゃんは堂々と教室を闊歩して、しれっと授業を受け始める彼女に数人が大丈夫?と声をかけている。体育着からすらりと均整のとれた足が見える。右足にはド派手にガーゼが貼られていてところどころ血が滲んでいる。できたばかりの生々しい傷だ。女子っていま野球やってんだよね。白熱しちゃったのかね。

先生が単元の説明をして公式を黒板に書いてそれを板書する。視界に入ってくる掛川ちゃんの足。あーあ。痛々しい。足に傷が残ったらどうすんのさ。

「もったいないの」

独り言が聞こえたのか、掛川ちゃんは俺の方を見てから黒板に視線を移した。2年で初めて同じクラスになった彼女は、女子にしては背が高くてスタイルもいい。マイペースで周りに流されず休み時間は友達とつるんだり一人で音楽雑誌を読んだりしてる。

とことん自分のやりたいこと優先で気が乗らないときは遊びの誘いを全部断って、でも竹を割ったような性格だからか男女問わず交友の幅は広い。たまにベースケースを背負って学校に来てる。軽音部なんだけど、どうやら学外でバンドを組んでるみたい。

なんでそんなに詳しいかって?そりゃね、掛川ちゃんが超好みの脚をしてたからだよ。見た瞬間から追っかけてたからね。久々にいい脚見てテンション上がったもん。とりあえず接点を持ちたくて足長いね綺麗だねーって話しかけてみたんだよ。照れたりして何かしらの反応があるかと思ったら「原くんの方が足長いよ。美脚じゃん」ってシレッと躱されちゃったファーストコンタクトは忘れもしないね。

「掛川ちゃんさあ、それ大丈夫?」

「ん、大丈夫」

数学の授業が終わった後、保健室に行ってガーゼを取り替えてもらった彼女にちょっかいを出す。体育で使ってたくるぶしソックスのままで過ごす掛川ちゃんの両足がよく見える。ああ、相変わらずいい脚してるなあ。

「なんでそんな怪我するかな」

「野球で盛り上がっちゃって。その場のノリでスライディングしてらこんななっちゃった」

その場のノリで足に傷つけないでくれるかなあー!たかが授業だよ?負けてもいいじゃん。



ホームベースに滑り込むのとキャッチャーがボールを取ってタッチするまでの差はほんの僅かで、先生のジャッジでわたしのチームに一点追加になって無事に勝ち越した。それはいい。

「悠、足がヤバい」

キャッチャーをしていた子に言われてから気がついた。右足のふくらはぎの外側に大きな傷ができていた。皮膚が破れて血が出て、砂利や砂がたくさんくっついている。うっわ、これはなかなかエグイ。授業の合間に保健室で何度かガーゼを替えてもらって放課後になってようやく痛みも治まってきた。

「なんでそんな怪我するかなあ」

隣の席にいる原くんはかなり不服そうにわたしの足を眺めている。見た目が良くないのが気になるみたいだけど、どうしようもないから見ないようにして欲しい。

「その場のノリで傷が残ったらどうすんのさ」

「残ったら残ったで別に…」

「はあーー」

でっっかいため息をついて原くんは机に突っ伏して貧乏ゆすりをし始めた。なんだかイライラしてる。

「掛川ちゃん。もうちょっと自分の体を大事にしくれる?」

「してるよ」

「いやいやしてないね。授業如きで足削ってるのがその証拠だよ」

「足削ってるってなんだそれ…」

「負けて成績が決まるわけでもないんだしさあ」

「あ、あとアイス賭けてたから負けたくなかったんだよね」

ゲームが始まる前に友人が「負けた方がアイスを奢ろーぜ!」と持ちかけてきた。結果わたしのチームの勝ち逃げになったのでハーゲンダッツを買ってもらうつもりでいる。

「アイスのためにとかますます有り得ないんだけど。マジもったいない」

「さっきからもったいないって言ってるけど何のこと」

「言わなーい」

原くんはさっきっから駄々をこねている。足に貼られたガーゼを見てはため息を吐いたり頭を掻いたり机を爪の先で小突いたり忙しない。理由がわからないから何を言えばいいのか見当がつかないし、わたしは一方的に絡まれてる。別に付き合ってるわけでもないのに体を大事にしろ、なんて言うんだ。ただのクラスメイトに干渉してどうするの。冗談を言って適当にはぐらかそうかな。

「わたしが怪我したの、そんなに気に入らないの?」

「そりゃもちろん」

間髪入れず原くんは大真面目に返答をして、飄々と笑っていた。



掛川ちゃんの無自覚なところがたまーに腹立たしく思うときもあるんだよね。話しかけてものらりくらり躱す回数の方が多いし、露骨に好意を示してもどこ吹く風だし、こうやって心配したって「君になんの関係が?」と言いたげに振る舞うんだもん。

「わたしが怪我したの、そんなに気に入らないの?」

だからこんなこと言われたらマジで答えてみたくなる。多分、掛川ちゃんからしてみれば俺の意味不明な言動が鬱陶しいから冗談言って否定させようとしたんだと思う。彼女の男友達の大抵は否定する奴が多いだろうから。でも俺は違うんだよね。

「そりゃもちろん」

超気に入らないんだよ。マイペースな掛川ちゃんの気持ちを混乱させられたら今日のところはオッケー。今までに見たことない顔して驚いてるんだもん。首尾は上々ってやつだ。


20200719
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