心臓破り
※アンケコメ:ちょっと酷い氷室
甘いマスクに雰囲気のある所作、本人にその気がなくてもそれとない態度を取られて勘違いしてしまう子なんてごまんといる。こいつに少しでも優しくされれば大抵の女の子は落ちてしまうんだろう。隣の席の帰国子女を盗み見て思った。
「さっきから視線が痛いね」
「本当質が悪いよアンタ」
「何のことだか」
「しらばっくれんな」
問題集に並ぶ設問を目で追いながらシャーペンを器用に指先で回す。その指先の動きにさえ目を奪われてしまう。学年に一人はこういうやつがいる。何をしても様になって佇む光景を切り取ればそのまま美しい絵画にも見劣りしないような、普通の高校生とは一線を画した何かを持つやつが。
「そんないちゃもんつけられたら堪ったもんじゃないよ」
「泣かされて黙ってられるほど穏便じゃないんだよね」
「泣かされた?」
「記憶にすらないなんて言うならその綺麗な顔ボコボコにしてやる」
「ちょっと待って」
「言い訳すんの?」
「話の流れが全く読めないよ」
そこまで啖呵切るなら詳しく説明して貰いたいものだね。氷室は困ったような表情を浮かべつつも、それとは裏腹にどこか自信に満ちた声色で言った。自習の時間で教室内が賑やかだけど、声を大にして会話をするのも憚られる。机を少し寄せた。
「ここ何ヶ月か、後輩によく話かけられたでしょう」
「色んな人に話かけられるからな…」
「いちいちはぐらかすの止めて」
「別にはぐらかしてるつもりはないよ」
「割かし細くて色白な、茶髪の子。週に何回も部活の終わりに待ってた子がいたでしょう?覚えはある筈だよ」
頬杖をついて考え込んでる氷室が色っぽく見える。鼻から唇にかけてが酷く流麗。ぼんやり見とれそうになる寸前で、我に返った。目に毒だ。
「…ああ、あの子。君の後輩だったのか」
「厳密に言うと友達の後輩。それは別としてさ、氷室」
一拍置くと、その妙な間に氷室が一瞬だけこちらを見遣った。
「その子、試合を見たいって、言ってなかった?」
「試合?」
「是非見たいから公式試合の日、教えてくださいって。言ってなかった?」
「…言ってたね」
「覚えてたならどうして教えなかったの」
「今、思い出したよ」
「信じられない」
この顔面なら言い寄る女の子は星の数ほど居るんだろうけど、その中でも休日にお金をかけて試合会場にまで足を運ぶ子がどれくらい居るのか。少なくとも私が氷室の立場にいるのならそこまで考える。そこまで考えれば記憶に残るだろうに。
「アンタそれでも男か」
「俺は歴とした男だよ」
「意味を履き違えるな」
性別の話じゃない。
「無碍に出来ない、とかそういう風には考えられないの?」
「気持ちは有難いけどね」
前髪で隠れた左目。顔の向きからは見えない右目がゆっくりと瞬きする。その様子が、睫毛の影が動くので確認出来た。
「どんなに好意を寄せられても関心のない対象に対してそこまで気を遣わないといけないのかな」
スローモーション。言葉を吐き出す氷室の唇の動き、クラスメイトがふざけて教科書で小突き合って椅子から立ち上がる、机に突っ伏してる女子の手からシャーペンが滑り落ちる。視界の全てがコマ送りで動く。氷室の言葉を、脳がようやく理解すると何もかもがいつものように滑らかに動き出す。怒りが込み上げた。
「関心のない対象って、どういうことなの」
「言葉通りのままだよ」
「あの子も部活で忙しいんだよ。自分の時間を削ってアンタに会いに行ってたんだよ。それでも何とも思わないの」
「それはその子が自分で選択してやったことだろう?どうして俺が詰られないといけないんだ」
「最低」
声を荒らげてしまうのを必死に抑えた。平静を装ったけど予想以上に低い声が出た。威嚇をする犬のような、唸り。私が怒っているのに、氷室は私の様子を見て愉快そうにしている。どういう神経してるんだ、こいつは。ますます怒りが込み上げる。
「初めてだな」
「は?」
「そんな風に無遠慮に怒られるのは」
「そりゃその顔ぶら提げてれば女の子に対して多少のオイタは許されてるんでしょうよ」
「酷いな」
「自分のこと棚に上げて何を言ってるの?」
「ふふ」
何で笑ってんだ、そう言いながら思わず手が出そうになる。でも、私のビンタが氷室の頬にヒットしなかったのは、その後に続いた言葉があったからだった。
「きっかけがどうであれ、怒りの対象が俺であって嬉しいよ」
怒りや批難はいずれ形を変える。好意も愛情も同じように、と付け足す。言わんとしていることに気がついてしまった。呆然とする私を横目に、氷室は意味ありげに憎たらしいくらい淫靡に微笑んで、私の名前を呼んだ。
「悠」
細められる目元を見ていると、心臓が痛くなった。
「その憤りがどんな風に変わるのか、楽しみだね」
心臓破り
(憎いのに、その顔から目が離せない)
20130327