drunk
*社会人
*同棲


唐突に出張が言い渡されたのは先週のこと。本来出張に行くはずだった先輩の一人が急遽入院する事態になり、その代わりにと選ばれてしまった。定員ギリギリの人数で仕事を回していたため、全員が複数の案件を掛け持ちしていて誰か一人を出張に出す余裕はないに等しかった。が、タイミングが良いやら悪いやら、一件を残しすべての案件が手放しになった私に白羽の矢が立った。

「入社二年目社員に、新部署の立ち上げに際して事務関連の手順を教えるだのマニュアル作成だの、そういう根っこの礎の部分を一任していいのでしょうか」

出来るものなら回避したい。そんなことはおくびにも出さずに、自分の力不足を懸念している風に装う。が、相手は20年以上社会人をやっている人だ。難なく躱す。

「小さな部署だし、やることは限られてるから、経験だと思ってやってみない?」

持ちかけるような口調で説明されたものの、既に私の手には飛行機のチケットが渡されているのだから、逃げる余地など一ミリたりともない。

「現地の人はノウハウを理解している人たちだから。素人に一から教えるってわけじゃなし、話は通じると思う」

柔和な表情の上司の言葉に、本当に力不足でなければいいのですが、と謙遜の言葉を述べつつ承諾せざるをえなかった。

「本社でやってる事務処理の三割くらいだからね」

聞くと遣るとでは大違い、であることは想像にたやすい。一週間後、私は無事に仕事を乗り切れているだろうか。それが心底不安だ。

「選択や決定に迷ったら連絡ちょうだい。私が行けたら問題ないんだけど如何せん本社の処理から手が放せなくて」

経験はあるが豊富とは言えない社員を送るわけだからフォローはする。いつでも連絡ちょうだい。何事も経験、トライアンドエラーだから砕けない程度に当たってこい。ということだった。ゆるくフレキシブルな方針ではあるが、行動スケジュールはかなりタイトだ。一晩で荷物をまとめて翌日の始発で空港に向かい九州へ向けて発つ必要があった。

「というわけで一週間空けることになった」

「急だな」

「準備間に合うかな」

「ふうん」

「?」

会社に振り回されて、必死になっている私の様子をほくそ笑んで見ている。かくいう花宮も先日急遽出張で家を空けた。あとから話を聞くだけで胃が重たくなりそうなスケジュールで仕事を熟し、尚且つ、涼しい顔で、けろっとして帰って来た。これが地力の差か。わかってはいるものの、腹の底からムカつく。

「せいぜい頑張って来いよ」

高見の見物よろしく偉そうに言う花宮を睨んで、ドアを蹴飛ばして閉め、キャリーケースにスーツを押し込んで力任せに閉じた。



阿呆みたいに忙しかった。予想はいてはいたけど、遥かに上回る多忙さにやはり食事する時間もなかった。会社が指定したホテルに、締め切り前に缶詰をする小説家よろしく(今時缶詰する人なんているんだろうか)仕事をこなす。借りたノートパソコンにかじりついて資料の作成をして、上司にメールで進捗を報告して、息詰まったら気分転換にシャワーを浴びて、でもその間にも作成資料の山が脳裏をよぎって目が冴えて息抜きもそこそこにまたパソコンに向かう。

翌朝は出社するなり始業前から他部署から今後の部署間連携について照会の電話が立て続けに鳴り、ひと段落つく間もなく社員全員でのミーティング。処理の迅速化するための対応、コツ。そういう根本的な部分から咬み砕いて説明した。ノウハウはあるにしても大半が異動してきた社員で、社内部署にも関わらず異動先での仕事内容が同じであることなんてあり得ない。昼はコーヒーを流し込んで、すぐ資料とマニュアルの作成のためパソコンに向かう。終業後も、やっぱりパソコンにかじりつく。そもそも一週間で基本を叩き込めっていうのが無理は話だ。なにを考えているんだろう、うちの会社。

マニュアルを作成しつつ、九州に出張する羽目になった元凶の先輩を恨みたくもなったが、スケジュールを鑑みると恨む暇は一寸たりともない。状況を受け入れるしかない。手は淀みなくキーを叩き続ける。雪崩も起きそうな仕事の山を切り開くには、ひたすら同じ作業をこなし続けるしかない。電話はワンコールで出て、ミーティングでは素人にもわかるように一言一句に気を遣って、実際の処理と不整合がでないようにマニュアルを作成。息詰まる暇があったら手を動かさなないと終わらない。

起きている間は仕事をして、寝ながらも仕事の夢を見て。終わったと思った資料作成が途中で放置されてたり、本社に頼んだデータが手違いで送られて来なかったり(これには本気でキレそうになった)、毎日てんやわんやだった。

帰りの飛行機の中での記憶はない。座席に腰掛けた時点で既に眠り込んでいたようで、気がついたら東京に戻ってきていた。電話で無事戻って来たことを上司に連絡、休日出勤分の休みがある旨を伝えられて心底気が楽になったが、あちらの社員に持たされたお土産がスーツケースを圧迫してひたすらに重い。体が悲鳴を上げている。食事もまともにとっていないからすっかりスーツのウエスト部分が緩くなってしまった。体重はいくらか減っているんだろうけど、疲労感からか体が鉛のよう。鈍重な牛の如く、家までの道のりが果てしなく遠かった。



リビングの灯りがついている。こんな時間まであいつは起きてるらしい。なんて面倒くさい。疲れのピークを遥か斜め上にまで突き抜けている今、誰とも会話したくない。もういいか。起きてても無視しよう。

「…………は?」

リビングのドアを開けて暫し呆然とした。散乱する空缶に酒の匂い。汚い。床に直接根転がっている短髪の男は顔を見なくても背格好で誰だかわかる。なんでこいつがいるんだ。なんでお前ら飲んだくれてつぶれてるんだ。なんで今日飲んだくれてるんだ。なんでここで飲むんだよ。バカなのか、いや、完全にバカなんだな。言いたいことが山のように溢れてはくるが、それをぶつけるべき相手はすっかり夢の中で。呆れと怒りが綯い交ぜになった感情の矛先は、まずドア付近に情けない格好で伸びている原に向けられた。肩を足で揺する。丁寧にしゃがんでやる気力・体力ともに余裕がない。

「おい」

反応なし。

「おい起きろ。寝てんな」

さっきよりも強い力で踏んでやったら、くぐもった低いうめき声と同時に頭がぴくりと動いた。見えてるんだか見えてないんだか、前髪の向こうの目と、恐らく視線が絡んだ。

「んが、あああ、掛川ちゃん…?」

格好も情けなければ声も情けない。その酒をしこたま飲んだ不抜けた声でおかえり〜今日は遅かったのね〜と宣う。お前はいつからこの家の住人になったんだ。床をごろりと転がって仰向けになって手に持っていた空缶を手放す。

「そのスーツ似合うね〜かわいい…リクルートも良かったけどそれもイイ…」

「なんで飲んでんの?こちとら連日連夜仕事で参ってるっつーのにお前ら酒浸りか」

「いやこれ不可抗力だからぁ…」

「不可抗力の意味調べて来い」

軟体生物みたいにぐにゃんぐにゃんの原を放って、ソファでうつ伏せになって死んだように寝ている花宮を見遣る。チューハイやらビールやらの空缶が転がっている。どんだけ飲んだんだアイツ。すー、と深い寝起きを立てる様子を見ているとふつりふつりと怒りがこみ上げる。人が寝る間どころか食事する時間すら惜しんで仕事してきたっていうのにお前は浴びるように酒を飲んでたってか。飲むのは勝手だけどよりによって、今日を選ぶとはいい度胸だ。

「いい身分だな、あの野郎」

「あ、あ、やめた方がいいよ、起こさない方がいいって」

「言いたいことがある」

「いやいやいや、掛川ちゃん、落ち着いて。悪いこと言わないから」

「今すっごい頭にキてるから邪魔しないで」

カバンを床に放り投げてソファに向かう。

「おいコラ飲んだくれ。ちょっと起きろ。」

出張帰りの人間がいることを忘れてたとは言わせねえ。言ってることが若干、いや、かなり支離滅裂なのは自覚しているけど、酔っぱらい相手だ。そんなことどうでもいい。どうせ覚えちゃいないんだから。怒りがおさまればこっちとしては問題ない。掃除はこいつらがやるんだから。当たり前だけど。

肩を揺すって後頭部を叩いてわき腹を小突いて足を蹴る。うつ伏せの花宮はその連続打撃を食らって数秒経ってから反応を示した。のそりと、ナマケモノの方がまだ俊敏な動きをしているくらいの、緩慢極まりない動作でようやく頭を少しだけ上げた。重たそうな瞼、目が据わっていて、視線が合っている割には肝心の意識は明後日の方向を向いているみたいだ。

「……?」

「大層飲んで気分がいいみたいね」

「悠?」

「寝ぼけてないでさっさと起きてくんない」

言いたいことがあるけどそれよりも一発殴らせて。顔を見たら小言くらいでおさまる気がしない。とりあえず座れ、正座で。

「悠…」

するっと、なんの前触れもなく腕が腰に回った。

「な」

なにする気だ。言葉が口から出るより早く、酔っぱらって足下がおぼつかない花宮の体重を支えきれず、そのまま床に雪崩込んだ。

「…!?」

急転直下した事態と姿勢に驚いている上、疲れきって腰に回った手を解くことが出来ない。

「あー…起こすなって」

言ったじゃーーん。語尾をだらしなく伸ばしながら原は近くにあったらしい缶チューハイを開けて飲む。起きがけに酒を煽るな。

「昨日から付き合わされる俺の身にもなって欲しいもんだね〜」

「昨日!?」

「俺も花宮も仕事有給使ったから二日酔いの心配いらないんだ〜」

気楽に言う様子からすると迎え酒をして、原は元気になったらしい。

「酒持ってこっち来いって言うから来てみたらこの有様だったから付き合うしかなかったんだけど、ちとこれは堪える〜」

「バカでしょ、本当。言葉がないわ」

「まあバカだけど、つまり要約するまでもなく寂しかったんだよ」

うめき声と一緒に「悠」と名前を呼ばれたが、返事などするものか。それよりもこの体勢をどうにかしたい。私は早く体を休めたいのに、この腕をふりほどきたいのに、全くびくともない。寝てるのになんでこんな腕の力強いの。酒を飲み、にんまり笑って原は言う。

「この一週間出来なかった分、じっくり添い寝してあげたら?」

「それ寝言?」

「ばっちり目覚めてるんだけどなあ」

あがけどもがけど逃げきることが出来なくて、もう最終的に私も自棄になって、目の前の缶チューハイを飲めた試しもしない癖に一気に煽った。



空きっ腹に流し込んだアルコールが利くのに時間はかからず、体がじんわりと熱を持ち始める。原が見下ろしながらちびちび酒を飲む。

「ねえねえ今どんな気分?」

「最高に胸糞悪い」

仕事の疲労にアルコールが体を巡り始める感覚、重たい下半身に花宮の体温。正直に言うまでもなく、ただただしんどい。


20150404
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