唇を味わえ
※陽泉マネージャー(三年)
すぐに触れられてしまう距離にいるのに、必死に避けようとするのは、本来の願望と乖離していることになるのでは、と疑問符が浮かぶ。腕を、頬を、彼の体に少しでいいから触れたい。そう思うがまま手を伸ばすと絶妙なタイミングと距離をとって辰也は言う。
「悠、だめだよ」
さわっちゃだめ、これはそういうルールの遊びだよ。にこりと微笑む辰也に面食らいつつ、言われるがまま手を引っ込める。ルールって、そんなの知らないよ。それでもやっぱり触れ合おうと手を伸ばす。あちらも頑なにそれを回避していく。手を伸ばしては避け、を繰り返すうちに、刷り込まれて触ってはいけないと認識するようになる。我ながらとても単純だと思う。
「触っちゃだめって言う割には、距離が近いよね」
「ん?これもルールの一環だよ」
視線を交えたり会話することは好きにやっていい。ただ、近くにいるけど決して触れてはいけない。
「これ、アメリカで流行ってる遊びなの?」
「いや、違うね」
「子供の、遊び?」
「いや、それも違う」
じゃあ何、と聞くのは愚問かも知れない。寝転がる私とマウント状態の辰也。これからの行為は想像つくけど、どうしてそれとこれとが繋がるんだろう。うっかり触れてしまいそうになるのを我慢しつつ、辰也とアイコンタクト。睦言にしては少し素っ気ない会話に、傍から見ればまさにそういう雰囲気なのに進まない行為。ちぐはぐだ。
「だめ?」
「だめ」
「ちょっとだけ」
「だけでもだめ」
痺れを切らして懇願してもするりと指の間を通り抜ける、つかみ所のないなにか。触れてはいけない、触れてはいないのに、声が、吐息が、体温が、辰也の存在が私を蝕んでいく。
「触っちゃ、だめだよ」
言葉は意味を成さない。成さないようになっていく。その唇からこぼれる単語は空気の震えとだけ認識されて私の耳を犯す。くすぐったいのに、どうしようもなく煽られて、体が、お腹が熱くなる。
「悠」
あ、名前を呼ばれてる。でもそれさえも空気の震え。存在の固有性を認めるものではなく、空気を震わす音。鼓膜に届くそれが全てそうだと思えてくると、ああ、なんか、気が遠くなりそう。
「たつや、」
好きな人の名前を呼ぶ。彼にはこれがただの空気の震えとしてではなく、愛するが故に呼ぶものだと理解してくれるだろうか。鼻の先に感じる存在。越えてはいけない境界線の内側に留まろうと努めて、触れもしないのに享受する得体の知れない感触に身を委ね始めた。足の先から?指先から?どこからかは分からない。這い上がってくる何かは、形容しがたいそれは、辰也の見えない手で私の体を撫で回しているみたいで。そんなことあり得ないのに、でもそんな気がする。
「あ、っ――、 」
不可視のそれに体を開いたんだと思う。自分のことなのに何がなんだか、判別がつかなくなっている。爪先に力が入り反り返って、呼吸が止まる。下腹部の奥の方が、きゅうと引き締まる感じ。体中の筋肉が心地よく収縮していく。不思議なことに、辰也と小指の先ほどの触れ合いもせずにイってしまった。でも熱が発散されることはなくて、体が余韻でいっぱいになっている。
「悠」
それを知ってる癖に、ここぞとばかりに辰也は私に触れた。触っちゃいけないんじゃなかったの?なんて口が利けるわけもない。指が髪を梳いてうなじの産毛の感触を楽しんでいるかのような手つき。そして文字通り流麗な目元を綻ばせて、また「悠」と呟いた。ああ、私の名前だ。辰也の一挙手一投足、私に触れるそのものの意味が、蜜のように甘い。意図して触れなかった先とは違って、思うままに望むままに触れ合う肌。指が、手が、足が、熱い。
「まだ、だよね」
さっきので満たされたわけじゃないよね。そう問われて、すぐさま反応は出来なかったけど、恥ずかしながらその通りで。辰也のバックルを指でつついて、みっともないと自覚しつつも強請ることは止められなかった。それを合図にしたかのように、唇に噛みついて舌なめずりする辰也の姿は獣じみていた。
20150411