完膚なきまでに叩きのめす
※腹黒彼女
※アニメ二期DVD4巻のドラマCD、オンラインゲームプレイ後の話
部屋の中がそこそこ居心地の良い静かな空間だったのは、花宮がパソコンを罵倒するまでだった。
「ふっざけんな!」
「うるさいな」
「ちくしょう、出し抜かれた。クソゲーじゃねえか」
ああ、オンラインゲームか。どんなゲームをしていたかは知らないけど、まあ、いい思いはしなかったんだろう。上げた顔を再び本に戻しながら聴いていないだろう、その背中に向かって言ってやった。
「よく分からないけど、ざまあみろ」
「ちっ、とんだ暇つぶしになっちまった」
パソコンの前を離れて私の背後に直行して、冷蔵庫を開けて閉める音がした。何か飲むなら私にもくれ、と言おうと思ったが口から出たのは静寂を破ったことに対する八つ当たりの言葉だった。
「暇つぶしとは大層なご身分で」
「時間の使い方が違うからな」
やりたいこと全てやり終えて余り過ぎた時間を持て余すって非凡な方は哀れですこと、と皮肉を言ってやった。
「余裕があるんだよ。凡人とは違ってな」
「誰が凡人だコラ」
「この部屋には一人しかいねえだろ」
「お前、背後には気をつけて生活しろよ」
私の言葉に反応もしないでソファにドカッと座る花宮は虫の居所が悪いようで、ろくにこっちに視線を遣りもしないで言った。
「さっさと起動しろ」
「何を?」
「アプリ」
「何勝手にダウンロードしてんだ」
テーブルの上に置きっぱなしにした携帯のホーム画面に見覚えのないアプリが一つ。市松模様の背景の前に、馬の頭を象った駒が描かれているアイコンが表示されている。市松模様ではなかったことにすぐ気が付いた。これはチェスボードだ。
「チェスはやったことないんだけど」
「説明するから覚えろ」
「なんでお前の暇つぶしに付き合わないといけないわけ」
「悠、お前が白。先攻」
「話を聞けよ」
またもや私の言葉を無視したまま、花宮はアプリを開いてガイドページからルールを表示し、それを私に見せながら説明を始めた。
「まずはルール説明だ、初心者向けのな」
「そこ強調すんな」
「チェスの駒は全部で六種類。それぞれ動きが違うから全て頭の中に入れろ」
「威圧的でムカつく。今に始まったことじゃないけど」
「駒は全部で16。キングとクイーンが各1、ビショップとナイト、ルークが各2、ポーンが8。見た通り、黒の駒は白の駒を鏡に映したような配置になっている。特例を除いて、敵の駒が存在するマスへ自分の駒を移動させることによって敵の駒を取ることが出来る」
「ふーん」
「ルークは戦車。こいつは縦・横方向ともに何マスでも進める」
塔のような形をした駒を指差す。戦車とは言うが、塔も表しているらしいとの説明も付随した。次に、開きかけのバラの蕾のような形をした駒は、ビショップといい僧侶、もくしは象を表しているそうだがどう見ても象には見えない。これは斜め方向に何マスでも進めるそうだ。更に王冠の形をした駒。これは王冠というよりティアラと言う方が誤解はない。
「これはクイーン。ルークとビショップの動きを併せ持つ言わば、最強の駒。縦横斜め、何マスでも進める」
アイコンにも表示されていた馬の頭を象ったそれを指差した。
「これはナイト。動きは前後左右に2マス、進んでその左右。他の駒があっても飛び越し出来るし相手の駒も勿論取れる」
一番単純な形をしたそれは、駒の中で一番数が多いものだろう。
「ポーンは兵隊。駒としては最弱。だたし昇格出来るから能力的には大きい」
「昇格?」
「相手側、つまり一番奥まで進むことが出来ればキング以外の他の駒になれる。ゲーム終了まで昇格した駒のままでいられる。移動範囲が広いクイーンになることが多い」
で、そのポーンの動きだが、と花宮は続ける。
「移動する動きと相手の駒を取るそれが違う。最初の位置からの移動のみ、2マス、それ以降は前方向に1マス進める。ただし、目の前に他の駒があったら、進むことも駒を取ることも出来ない。斜め前に相手の駒があった場合はその駒を取れる」
「駒を取る時だけ斜めに前進できる、と」
「最後だ。十字架と王冠の形をしているのがキング。全方向に1マス進める。こいつが取られたらゲームオーバー」
「それくらい分かる」
「おっと、さすがの凡人もそれくらいは知ってたか」
「くどいようだけど、背後には本当気をつけろよ」
聞いたことくらいあるだろうが、とまた花宮は私の言葉を無視して説明を続行する。
「チェック、“相手のキングを攻撃している”状態だ。次の一手でキングを取れる。その状態のキングはチェックを回避する必要がある。その方法は三種」
液晶画面を小突く指の先に、少し丸みを帯びた文字が現れた。
1 キングを安全な場所に移動させましょう。
2 チェックしている駒とキングの間に他の駒を割り込ませましょう。
3 チェックしている駒を取りましょう。
逃がすか犠牲を払うか反撃するか。さっきの説明だと、キングはそこまで広範囲に動けないから場所や駒の位置によって逃げられない可能性もある。2か3で手を打つべきか、と思案する。
「チェックされたらそれを防ぐ手しか打てない。その手が打てなかったらチェックメイト。そうすればお前の勝ち」
画面には斜め方向に進んだビショップにナイトが取られるシミュレーション動画が表示された。
「因みに双方ともにチェックされていないのに、動かせる駒がないときはスティールメイト。引き分けだ」
「引き分けがあるの?」
「パスは出来ないからな」
「逆に動ける駒があれば、例えチェックを防げなくても動かさないといけないわけ?」
「次の一手でチェックメイトされるがな」
チェックメイトされるのをわかっていて一手をうつ、まるで自死のようだと思った。
「相手の駒がキングのみになったとして、チェックメイトしに行くが、その際に持っていないといけない駒が」
これだ。そこまで言って、花宮はまた液晶画面を指差した。
キングとクイーン
キングとルーク
キングとビショップが二つ
キングとビショップとナイト
キングと昇格したポーン
箇条書きにされたそれを見ても、組み合わせは覚えられても実際どんな動きをするかなんて想像も出来なかった。
「最低でもこの組み合わせのうち、一つでもないとチェックメイトは無理だ」
「組み合わせがなかったら」
「スティールメイト。若しくは、相手が逃げる場所を間違えればチェックメイト出来る。かも知れないが」
「凡人でもない限りそんなヘマはしないって言うんでしょ」
「認めたか」
「認めてない」
「大体のルールは覚えたな。一戦だけ付き合ってやる。その次からは助言も手加減もなしだ」
ふん、と鼻で笑って花宮はガイドページを閉じて早速対戦画面を呼び出した。それに合わせて私も花宮のアカウントを選んで対戦ボタンをタップする。一戦だけ付き合ってやるって、付き合ってやってるのは私なんだけど。自分のこと棚に上げてなに言ってるんだ。
「そりゃどうも。受けて立つ」
ルールを知ったのもゲーム対戦するのも初めてだというのに、妙な自信があった。負ける気がしない、と。
*
一戦目、ゲームの流れを理解させるために悠がチェックメイトするようにゲーム運びをした。矢継ぎ早に説明した各駒の動きとルールを小声で呟き確認しながら慎重に駒を進めていたが、こいつはそこまで阿呆ではないから直に慣れたのかスピードが上がっていた。途中でルールを説明がてら、実際に駒を動かすと数手のうちにそれをやり返して来る。まあ理解の早いことに越したことはない。
「二戦目、ちょっと待って」
そう言って携帯の画面を睨むこと数分、妙にすっきりした顔で対戦に臨んできた。一手打つごとにしばし考え込んで駒を差す。その考え込む間は、新たに得た知識を反芻しているのではなかった。それに気が付いたのは悠の呟いた、ゲーム終了を意味する言葉を耳にしてからだった。
「チェックメイト」
チェスの99%は戦略だの、読みだのと言うらしいが、目の前のこいつはそれをやったっていうのだろうか。まぐれじゃないのか。余りに突拍子もないその勝敗に、しばし思考が動かなかった。二戦目であっさり黒のキングを取っていった悠は携帯を片手に、ほくそ笑んだ。
「手加減しないんじゃなかったっけ?」
この野郎。予想外の展開に徐々に苛立ちが募る。
「どうする、花宮。止める?」
「はあ?なんで止めるんだよ」
「いや、これ以上負けるの嫌かと思って」
心配しているんだけどねえ。先ほど受けた侮辱の鬱憤を晴らすかのように上から目線、“してあげてる”体を全面に押し出しての気遣い。おちょくってんなコイツ。
「悠、たかが二戦勝っただけでいい気になるなよ」
「“初心者”が、“上級者” 相手に、二戦二勝したんだもの。そりゃいい気にもなるわ」
一戦目は手加減したにしても、容赦のないはずの二戦目で凡人に負けるってどういう心持ち?至極意地の悪い笑みを浮かべて「ねえ今どんな気分?」と問うその言い回しは、俺のプライドを酷く逆撫でして刺激する。この野郎。売られた喧嘩は買ってやろうじゃねえか。
「ふはっ、そこまで言うなら三戦目やろうぜ。お前の望み通りにな」
実力差を思い知れ、凡人が。
この道に詳しいからいらっしゃいましたらご教授下さい。
20150802