なんて、受け入れ難い
※腹黒彼女
※雰囲気でお楽しみください。
※若干社会人っぽい描写あり。
着信音が鳴り始めると、条件反射で頭と体が活動を開始する。真っ先に動き出したのは頭で、体の方はまだ置き去りになっている。
一回のコールで鳴る鈴の音は4回。8回鳴り終わるまでには出る、と頭が考えれば体がそれに従って緩慢に動き出す。音を頼りに枕元辺りに手を忍び込ませて目当てのものを引っ張り出す。ようやく探し出した携帯を見もせず、感覚だけで画面下側に表示される通話ボタンに触れながら上半身だけ起こす。まだ目は開いていない。声を発するまでに少しでも体を起こさねばならない。目を擦りつつ、携帯を耳にあてた。
「はい、掛川です」
『あら?』
寝起きであることと、もとより視力が悪いためにぼやける視界。昨夜読んでいた本の表紙の文字も、締め切ったため揺らめきもしないカーテンの柄も不明瞭だ。そんな視界で物を捉え起きている実感を覚えつつ、半覚醒の意識を受話器の向こうへ傾ける。電話の向こうの相手の反応が芳しくない。私が電話に出たことに違和感を覚えて、確認の言葉をかけられる。
『ごめんなさい、かける相手を間違えたかしら?』
電話をしてくる人は限られているし、私はこの声に覚えがなかった。数少ないのだから、思い違いもないだろうに。会社の誰かだろうと深く考えもせずに出たものだから、イレギュラーな事態に全く対応出来ない。
「えっと…」
言葉が出てこない。喋っている相手は誰だ。それは向こうも同じだし困っている。
『電話番号登録するときに間違えていたのかしら。長らく電話してなくてね』
一方的ではあるものの喋り続ける相手は、この状況を汲みつつ時間を稼いでくれているらしい。つまり寝起きであることが分かっているいうことだ。情けないがそれより、この事態の説明をせねばならない。
「あ、」
枕元に、私の携帯がある。ということは。手にした携帯を見れば、案の定これは花宮のものだ。形も色も全くの同型だからなんの違和感もなかったのだ。
「私、自分の携帯と間違えて出てしまったみたいです」
『うふふ、そうよね』
「すみません」
『いいえ、こちらこそ早くに電話してしまってごめんなさいね。まこちゃんに替わってくれるかしら』
「ん、わかりました」
外行きの対応で臨んだものの、思わぬ肩透かしを食らい多少ラフでも構わない態度とがごっちゃになって適当な返事をしてしまった自覚はあった。が、隣のコイツを起こすことの方が重要だった。肩を揺すって声をかける。
「花宮。花宮、電話」
「はあ…?」
液晶に表示されている名前を見遣って「えっと、みぶち…?実渕さんから」と取り次げば、跳ね起きて差し出しされる携帯と私を交互に見て苦虫を噛み潰したような表情をした。
「なんで出た」
「私のが鳴ってると思って」
ロクに確認しないでとっちゃった、ごめん。と非礼を詫びる。気持ちは少しもこもっていないけれども。毟り取られた携帯は持ち主の手に収まったものの、一向に出ようとしない花宮は私を睨みつける。
「早く。待ってる」
「なんで出たんだよ」
「だから悪かったって言ってる」
「確認くらいしろ」
「出来てたら取ってない」
「くそっ」
「ちっ」
悪態をつきながらも花宮がしっかり覚醒していることを確認―するまでもないのだけど念のため―して寝室を出た。
コンタクトレンズをつけて、視界良好になる。いい天気だった。窓を開ければ涼しく心地良い風が部屋を通り抜けていく。その新鮮な冷感の中、コーヒーを淹れているうちに思考がはっきりして来て、ようやく気がついた。
「………まこちゃん?」
電話をかけてきた、実渕玲央という人物は花宮をそう呼んでいた。
*
「ん」
電話を済ませ寝室をから出ると、悠が何も言わずコーヒーの注がれたカップを差し出した。素直に受け取り、適度な距離を保って揃ってソファに座る。妙な沈黙が長らく続いたが、それを破ったのは、くつり、と噛み殺しきれない笑いをもらした悠だった。相手が誰かは知らないけどさ、と続ける。
「アンタ、まこちゃんって呼ばれてんの?」
「うるせーな」
「女の子みたい」
「だからうるせーって」
「さすがに悠くんって呼ばれたことはないわ」
「お前の場合は仇名つけてくれる奴すらいなかったんじゃねえの」
「結構。そんなもの要らない。…まこちゃんねえ、ふふ」
「今日はやけに突っかかってくるな」
「そりゃ面白いから」
―いくら仇名でも男にちゃん付けってからかわれてるでしょ、それ。
蔑みの表情であることは言うまでもないし、そこに愉悦ともとれる雰囲気が加わる。今日は珍しくよく喋る。一頻り笑い、悠は高揚した気分のままにカップに口をつける。随分と楽しそうではあるが、お前、筒抜けだぞ。
「気にすんな」
肘掛けに寄りかかって座っていた悠の体が些か強張った。怪訝そうにしながらも目を見開いてこっちを見ている。
「気にするなって、何を」
「おいおい、冗談だろ」
要領を得ない言葉に悠が疑問符を浮かべる。黙って聞き入れておけばいいものを。そのための猶予は与えたつもりだ。未だ状況を飲み込めずにいるのか、したくないのかは知らないが、止めを刺してやった。
「相手は男だ。妬くなって言ってんだ」
呆けた表情が一転、般若の如く目を吊り上げ、悠は空になったカップを叩きつけたテーブルに手をついている。
「どうした、いきなり」
「うるさい」
強く掴んで白む爪の先。僅かに震える手。しな垂れる黒髪の僅かな隙間から、悠の獰猛な目付きが俺を射抜く。如何にも負け犬の遠吠えらしいではないか。
「喚くなよ」
図星を指されても、屈することだけはしたくない。ただの悪足掻きだ。あーあ。そうやって子供じみた反応ばっかりするから。だから悠、お前は俺に敵わねえんだよ。
*
ちょっとしたアクシデントに出くわしてしまった、声しか知らぬ女性のことを慮る。
「彼女、掛川さんっていうのね。だいぶ驚いてて…悪いことしちゃったわ」
『名乗ったのか』
「普通でしょ。いくら知ってる相手でもメンチ切るような声で出られるこっちの身にもなって欲しいものね」
親しき中にも礼儀ありよ、と咎めれば「話はさっきので終わりだな」と聞く耳を持たない。通話を切る間際、舌打ちが聞こえた。少しばかり説教くさかったらしい。それ以上に私と彼女が言葉を交わしたことがそんなに気に食わなかったのかしら。取り次ぎの間に聞こえてきた『なんで出た』というちょっとした押し問答が思い返された。
「朝から痴話喧嘩聞いちゃったわ」
いやね、もう。
訂正:20150923
初出:20150922