眩暈
※腹黒彼女
※他夢主のデフォルト名で出てきます。
「花宮くんにチョコあげるの?」
ド直球のドストレート且つ非常にプライベートな問いかけを私に投げて寄越した和希は睨まれたにも関わらず、にんまりといたずらに成功したと喜ぶ子供のような笑顔を浮かべる。
「ほら!バレンタインだし!そしてなにより君たちめっちゃ仲睦まじいから!」
「睦まじくない。声がでかい。狙って煽ってるだろ」
そういう初心な反応するからおちょくりたくなるのに、とのたまう和希をここまで目障りだと思ったのは初めてだ。
「知っても仕方ないだろうけど、あいつの好物、カカオ100%のチョコなんだよね」
年中チョコ食べてるやつに改めてやるのもどうよ、と言うと和希は目を丸めた。もちろんチョコをくれてやるつもりは毛頭ない。
ないが、こう考えると益々ものを贈る意味が希薄になる。気持ちが肝心だという人もいるだろうけど気持ちも何もあったものか。「真心を込めた」だの「日頃の感謝を」だの誠意を象る枕詞がつく、この時期特有であるイベントの趣旨には例の如く当てはまらない。
傍にいることだけで厭悪する、唾棄するに相応しい男。そんな相手に贈り物をするとなれば、込めるのは真心の代わりに殺意に近い憎悪を、日頃の感謝を伝える代わりに「いつも癪に障る言動をありがとう。今すぐ失せろ」、と言うに値する。浮かれた雰囲気すらも嫌で参っているというのに、自ら渦中に飛び込む自殺行為は御免被りたい。
「うわー…。苦そう不味そうヤバそうの三拍子が揃ってるやつだ。花宮くんは変なのが好きなんだね。美味しいっていう人たまにいるけどどうなの、あれ」
「どうって…。食べたことない」
「好き好んでは手を出さないよね。そそられない」
「私もそう思う」
「でも悠、甘いもの苦手なら食べれるんじゃない?」
よくブラックコーヒー飲んでるじゃん?と指摘する。大雑把ながらブラックコーヒーとカカオ100%チョコは苦いものにカテゴライズ出来るだろうが、それでいいのかと今度は私の頭に疑問符が浮かぶ。ケラケラ笑いながら和希は言う。
「勝手な想像だけど、この世の終わりみたいな味しそう」
パキリと慣れない音がした。砕かれた欠片が花宮の口に運ばれるのを横目で盗み見る。指を離れて唇の隙間から口内に滑り込むチョコ。もご、と頬が動く。舌の上で舐り溶かしている様が浮かぶ。数秒の間だけ視線が合ったが花宮はすぐに目を逸らして本を読み始めている。
「堂々とつまんでる…」
「嗜好品だろ。社会人でいうタバコと同義だ。食って何が悪い」
「悪いとは言ってない。あと私タバコは嫌い」
「喩えだ」
運動部に所属して喫煙なんて真似はしないと承知しつつも、つい口を突いて出る。煙たいのは心底嫌いだ。花宮が手にしている少しばかり豪華な装飾が施される箱を見る。「甘いのも苦手なら食べれるんじゃない?」和希の短絡的ながらも純粋な問いが脳裏をよぎる。食えるものなのか、それは。
「それ」
「あ?」
「苦いよね」
「苦いな」
「カカオ100%」
「ああ」
「不味くない?」
「…はあ?」
好んで摂取しているそれに対して不味いだろう、と不躾なことを聞いたことになのか、問いかけの曖昧さに釈然としない花宮は間を置いて顔を顰めた。私は構わず続ける。
「食べたことないから分からないけど、想像を絶する苦さとか言われてるよね」
「想像を絶するってまた大袈裟だな」
「死滅してない?アンタの味蕾」
「至って正常だ」
「この世の終わりみたいな味なんじゃないの」
「ん」
「なに?」
「そういうことは食ってから言え」
花宮は箱を私に差し出した。紙のパッケージから顔を覗かせる金色の薄いプラスチックケースの容器の中で不定形に割られた黒い塊が見える。予想以上の色だ。気後れする。
「うわ、どす黒…」
「さっさと取れ」
戸惑いから花宮を見遣る。すると無表情に手の中の箱に視線を落とす。物は試しだろ。食ってみろよ。まさか食えないのか?と挑発されているような気がする。それでも尻込みしていると箱を乱暴に目の前に突き出す。
促されるまま一欠片、中でも一番小さいそれを摘む。カカオ80%のチョコを見かけたことがあるけど、それよりもずっと色が濃い。この得体の知れない黒い物体を顔色変えずに食べているわけで。どれほど苦いものなのか。イタリアンブレンドやフレンチブレンドやエスプレッソ、それらより上をゆくものなんだろうか。
指の間で黒さを主張する薄い板チョコの欠片と睨み合う。
「いつまで見てる」
「気持ち悪くならないよね」
「ンな訳あるか」
未知のものに手を伸ばすのは少しばかり勇気が要る。こんな指先ほどの欠片にこんなに長い時間割いたのは、どこか阿呆くさい。ポイ。口の中に放り込むとその小さな一欠片が歯に当たってコチンと鳴る。
「………」
「………」
「………ん、…ぐっ」
溶け始めた直後に遅れて感知した苦味は少なくとも「この世の終わりみたい」な味はしないが、味覚が蹂躙されていく。これくらい苦いんじゃないか、という想定を大きく覆す味だ。いや、味と言っていいのか。
食べ物ではないものを口に含んでいる錯覚を覚えるけど、これは紛れもなくチョコだ。吐き出しようにもどうしようもなくて、拒む喉を無理やりに動かしてどうにか嚥下した。ぬるりと喉奥を滑り落ちていく奇妙なそれに項垂れる私を、花宮は例えるのは悔しいが優雅に静観している。
想像を絶する苦さかどうかは食ってから言え。感想を述べようにも、なんの感慨もない。ザラつくようでも、どこか滑らかさがあるような。なにに例えるのが最も近いのか。絞り出した声は思いの外、掠れていた。
「つ、土…?炭…?」
「食ったことあんのか」
「…ない…」
そんなもん食うか、と反論しようにも口の中でねっとりと張り付く苦みに押し負けて言葉が出てこない。今まで生きてきた中で一番ショッキングなものを口にした。勇気なんざ出すんじゃなかった。興味本位で聞くんじゃなかった。挑発に乗って食べるなんて以ての外だった。後悔先に立たずとはこれだ。
授業中、口の中に居座り続けた異様な苦みに苛まれる私を見て「それ美味いだろ」なんてせせら嗤う花宮には痛い目を見せてやりたくなった。目が眩むほどに甘ったるいチョコ、絶対に食わせてやるからな。
眩暈
で、こういうことがあってから悠は俺がチョコを食っていると距離を置くようになった。子供っぽいわざとらしい驚きの声をあげたり、これ見よがしに「不味いものを食べている」と態度に出したり。いい気分じゃないから黙らせるべく舌を押し込んでやると、肩を弾ませて激しく抵抗した。
「…っ、あのさぁ」
不快げに息を吐き苦々しく唸る。
「それは止めろって、言ってるよね」
「茶々入れるのを止めたら止めてやる」
「食うのは勝手だけどこうするのを止めろ、って言ってるの」
悠は歯噛みしながら吐露した。本っ当にキツイな、とボヤく。やり場のない苦みをどうにか逃がそうと舌を出しながら。
「目が回るんだよ」
苦さが喉に張り付くから。苦みに息が詰まるから。口元を手の甲で拭いながら「やっぱりソレ、人が食べるもんじゃないわ」と口を曲げる。上等じゃねえか。お前が知らねえだけだっつーのによ。
「慣れてねえだけだろ」
何遍か味わえばどうってことない。悠の表情が恐怖めいたものに変わるより早く、口を塞いだ。
20160213