「武市さん」


降り落ちる雪のなか
紅の傘を回し前を行く
彼女が振り返る。

道端の寒椿に見惚れていた
僕に置いていきますよ、と笑うと
白い空を仰いだ。


「ああ、待ってくれ」


彼女の着物の袖口は幾分か
溶け出した雪に濡れて
柔らかい桃色が滲み出している。


「すっかり積もったな」

「ええ、こうなってしまうと
歩きにくいですね」


苦笑した彼女の
雪を踏みつける足取りは
何処か覚束ない。
それでも先を急ぐのは
薩摩邸で怪我の療養をしている
坂本たちを見舞うためだ。



彼女はもう長いこと寝ていない。

隣の部屋からは夜な夜な
小さな嗚咽とすすり泣きの声。
坂本が目覚めないという現実と
中岡と岡田の痛々しい深傷が
彼女を日々追い詰めていた。



それでも夕暮れの雪路
振り返った彼女は
僕を気遣い時々笑う。
足元気をつけて下さいね、
なんて軽やかに。


その度に僕は
胸を鷲掴みにされるような
切なさにとらわれた。



自分よりも他人を想う優しい人。
その優しさは時に重圧を孕んで
彼女を悲しみの底に落とさせる。


刹那、僕は無意識に伸びた腕を
前を向いたまままの彼女の
肩に絡ませた。

後ろから抱き締めた
身体は剰りにも華奢で

か弱さに息を飲む。


「武、市さん…?」


「無理しな…くて…いいんだ」


熱い吐息を纏った僕の囁きは
情けない程に小さく響いた。


「辛かったら…
僕を頼ればいい、」


震える語尾を誤魔化すように
抱き締める腕に力を込めて
冷たく白い項に頭を落とす。


「武市さん…」

「君が大切なんだ、」


振り返った顔に
懇願の眼差しを向けて微笑む。
見開かれた黒い瞳は
ただ驚きのままに僕を見つめた。

僕がもう一度小さく頷くと同時に
歪んだ彼女の表情と
瞳から零れた涙。


「ッ…たけ、ち…さ…」


振り返った身体を
強く胸に抱き締めて。
しなやかな髪を優しく撫でる。
真っ白な雪景色に響く
彼女の小さな嗚咽と
暖かな体温を感じて
僕は瞳を閉じた。



「あいつらなら、…大丈夫だ」



自分よりも他人を想う優しい人。
優しさに溶けて彼女が
崩れ去ってしまうような
気がしたから。


僕はただ君を
強く抱き締める。



end



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