「なまえ」 屋上庭園にあった小さな背に向けて声をかけると、何かを拭うような仕草のあと、幼なじみはこちらを振り返った。デジタルカメラを持った手の甲が濡れて光って、目元がほんのり朱に染まっていた。 「写真部にでも入部したか」 秋のある日を境に、カメラを手にしたなまえを校庭の花壇や屋上庭園で見かけるようになった。何の目的で何をしているのかを想像するのは容易だったが、それを理解すればするほどに否定したくなる青い自分がいることも確かだった。 「入部はしてないけど、写真部の備品。友達に借りたんだ」 「ほう。わざわざ他の部の備品を借りてまで花を撮るしおらしい感性があったとはな」 「もう、幸村くんのためだって知ってて言ってるね。弦の意地悪」 目尻に残っていた雫を拭って、なまえはまた花のほうを向いた。俺に、また背を向けて。カシャ、カシャ。シャッターの下りる音が誰もいない屋上に静かに響く。 「せっかくきれいに咲いたのに、幸村くんが見られないのは理不尽でしょ。幸村くんの花なんだし」 「花は学校の所有物だが」 「そりゃね。けど、幸村くんが美化委員入ってかららしいよ。校庭の花壇もここも、花がいっぱいで綺麗になったの」 だから幸村の花だ、って、先輩が言ってたんだ。こちらに視線を寄越して嬉しそうに微笑む姿に胸が焦げるのを感じた。 なまえの嬉しいそうな微笑はずっと俺だけに向けられた俺だけのものだったのに、それはもうずいぶん昔の話になってしまっていた。 「…見舞いに、ついてくればいい」 「え…」 我ながら何を言っているのだろうと思った。 精市に、会わせたくなどない癖に。精市となまえのツーショットなど、見たくもない癖に。なのにどこかで、ふたりを惹き合せたいような、そんな気もして。 「行きたいけど…まあ、やめとくよ」 「なぜだ」 「うーん…たぶん…いや、絶対だな。泣いちゃうから」 言ったそばから目に涙を滲ませるなまえ。普段以上に幼く見えるその表情すら、今ではもう俺だけのものではなくなった。 「おまえの泣き虫は今に始まったものではないだろう」 「弦ちゃん、今日は一段と意地悪言うね」 「うるさい。こんなことは、」 おまえに、だけだ。 「……たるんどる」 「弦一郎?」 なまえの潤んだ瞳が傾く夕陽に照らされ煌めいて、咲き乱れた花の香りがふわりふわりと心を惑わせる。 なまえ。俺にとって唯一無二の存在。近すぎて遠すぎた大切な存在。おまえの心があいつを望むなら、俺は。 「何でもない。精市はおまえが病室で泣き出そうと、動揺するような軟な男ではない」 「? 何か、噛み合ってないけど?」 「うるさい。いいんだ」 精市の育てた花が風に揺られるなか、なまえの髪に伸ばした手を、ゆっくり下ろした。 もう、俺のじゃない。俺のじゃないんだ ましろ様、企画参加感謝致します 素敵な作品をありがとうございました。 |