最近風邪がはやっているから、寝るときはあたたかくするんだぞ。
そう、やさしくペンギンから言われたことを思いだす。そのときは"風邪"なんてものはさっぱり分からなかったのだけれど、ペンギンに迷惑をかけたくなかった私は知ったかぶりをしてゆるゆると適当に頷いてしまっていた。小さな年相応に、分かったよと。そしたらペンギンが頭を撫でてくれたものだから、やっぱり聞かなくてよかったのだとホッとする。さりげなく周りに聞いてみようかと思ったけれど、やっぱり面倒なんてかけたくないから聞かないでおく。そのほうがいい、こんなことも知らないのか、なんて思われたくはなかった。
唯一自室にある本棚を漁って、数冊あった本を取りだしてみる。全部読みづらい内容のものばかりだったのだけれど、これしかないものだから仕方ない。それに、この船に乗っている人はキャプテンぐらいしか本を読まないと言っていたのだ。本が少ないのはそのせいなのだろうが、これだけあればきっと載っているはずなんだ。

……風邪、風邪。
ぽつりぽつり、小さく呟きながら辞書のページをめくっていく。開けていた窓から涼しい風が入ってきて、ページをめくろうと悪戯してきていた。その時間すらもやたらと長く感じる。ゆっくりと一語一語を確かめながら風邪の意味を探していれば、見つかったそれに思わず「あっ」と声を洩らした。

「え、と……ういるす、に、のどなどがおかされる……おかされる?」

ウイルスはばっちいものだとはペンギンから聞いたことがあったが(あれはたしか、手を洗うときのことだった気がする。洗わないとばっちいウイルスがつくと教えてもらったんだった)、それがなぜのどに入っていくのかがよくわからなかった。あれは手につくものじゃあないのだろうか。続きを読み進めたものの、それから先はむずかしくてまったく頭に入ってこなかった。

(のどがおかされるってなんだろう)

天井の半分もない身長で船の中を歩いていきながら、未だによく分からない風邪のことを知ろうと歩いていく。道中ベポに会ったときに聞いたのだが、今キャプテンは甲板で遅めの朝食を食べているようだった。なら、今は絶対にいないはず。めずらしくそう確信して、キャプテンの部屋に向かっていた。
しつれいしまーすと声をあげて、ギイイと若干立て付けの悪い扉を開けた。なるたけ大きな音をたてないように気をつけながら進んでいって、ぱたりと扉を閉める。ゆっくりとした動作で入っていったのだが、薄暗い中は見なくてもわかるほどに本で山積みになっていた。
うわあ、と感嘆の息を漏らす。汚ならしくは見えるけれども、これはシャチの部屋のそれとは違う。物がたくさんありすぎるだけの"きたない"だ。そろり、と爪先いっこぶんぐらい進んでみて、辺りをきょろきょろと見渡す。周りは本、本、本。まさに本の山状態だ。

「すごい……」

こんな本たちを、前にいたところで見たことがあっただろうか。まったくなかったはずだ。それが今は目の前に鎮座しているなんて、心がうきうきしないわけがなかった。今にも踊りだしそうな心地に目を輝かせて、一番近くにあった本の山から眺めていく。キャプテンはお医者さんだから、そういうことが詳しく載った本もあると思うんだ。

「ええと、ひとの心理、きのこ図鑑、なんちゃらの実大図鑑、うーん」

ずらりと並べられた本を上からどかしていって、その題名を読みあげていく。中には分からない言葉も少しだけあったが、それを除けばふりがなを振っている本も多く、なまえは頭を巡らせながら必死で風邪についての本を探し求めていた。ここまできてしまえば後戻りもできず、意地でも探してやろうという気もちがむくむくと沸いてくる。
ぐぐ、と大きく伸びをして、さあ続きを見てみようと手を伸ばしかけた時だった。

がちゃり、と、誰かが中に入ってきていた。
えっと小さく声をあげて、誰が誰なのかを確認する間もなくあわてて机のしたに転がりこむ。崩していた本の山はそのままにしてしまったが、ソファが幸い壁になっていたようで、相手からはなにも見えていないようだった。びっくりしたらどこかに隠れるんだって、ペンギンも言っていたし。
――誰が入ってきたんだろうか。緊張からか、ばくばくと鳴り続ける心臓の音。敵ってやつだろうか、いやそんな、まさか。
これが外まで聞こえていたらどうしよう、なんて変なことも考えてしまったが、今はやり過ごすんだとぎゅうぎゅう目をつむっておいた。体全体から汗が吹きだすようで、頬から垂れたそれにくらりとする。カツン、カツン。誰かがやってくる。その妙に高い音さえもがなまえの一挙一動を固くさせていた。
カツン、カツン。歩いてきていた誰かが呟く。「……本、誰か弄ったか?」その声が大好きな人のもので、思わずどうっと息を吐きだした。

「うう、キャプテン、キャプテンー!」

涙目になりながら、机のしたから這いずりでるようにキャプテンめがけて走りだしていく。溢れでた安堵感からか若干声がうわずってしまったものの、キャプテンには通じたようでぽすりと軽く抱きとめてくれていた。眉間にはしわが寄っていたが、きっとそれは怒りで出来たものではない。きっと、本がたくさんあって危ないんから入るなって言いつけを破ってしまったからだ。

「……なんでここに入った。危ないって散々言っただろう」
「うん、ごめんなさい」
「本はお前が退かしたのか?」

そう、と頷いて、抱きあげたキャプテンの顔をじいっと見ながら「ほんとにごめんなさい」と謝る。その間もずっとキャプテンの目を見つめて、自分のありったけの"ごめんなさい"を伝えようと奮闘した。
これはシャチが教えてくれたことなのだけれど、謝るときやありがとうってお礼をいうときは、相手の目を見るといいらしいのだ。一番気持ちが伝わって、相手もそれを分かってくれるらしい。なんてことだろうか、目を見るだけでキャプテンに気持ちが伝わるのだ。それならちゃんと見つめていないといけないだろう。そう信じてキャプテンから目を逸らさないでいた。しばらくすれば折れたのか、がしがしと頭を撫でられる。キャプテンはいつも私の頭を撫でるのが好きだった。

「……ハァ、分かった。勝手に入ったことは許してやる」
「あ、ありがとう!」
「だがなにも、用がないまま来たわけじゃあないんだろう?」

下ろしてもらったあとにまた顔をあげれば、うれしそうに、期待したような目でこっちを見やるキャプテン。若干遠くなった距離にさみしく感じつつ見あげたのだが、どうやらキャプテンは機嫌がとてもいいようだった。なんでだろうか、言いつけを守らないで勝手に部屋に入っちゃったのになあ、と首を傾げる。キャプテンはよく分からない人だ。

「あ、そうだ、ええとね、聞きたいことがあったの」
「なまえが俺にか?」
「うん!」

ソファに腰かけたキャプテンについていって、よいしょと自分もソファに乗りあげる。隣に座ると視界が高くなったようでわくわくしたが、今はそれよりも聞きたいことのほうを優先しておきたかった。キャプテンに耳を寄せてもらって、手でメガホンの形を作りながらぼそぼそと呟く。すこしだけ身をよじったキャプテンはくすぐったかったのだろうか、すぐに声量を小さくした。

「あのね、じしょに書いてあったの。でもわからなかったの……」
「ああ。なにを調べたんだ?」
「……えっと、風邪って、なあに?」

決心したように一拍置いてから、聞きたいことが明確にわかるように短い単語で聞く。本当は「のどがおかされるってどういうこと?」と聞きたかったが、ややこしそうだから風邪にしておいた。ばっちいバイキンのことならきっとキャプテンも詳しいし、暇であれば教えてくれると思うのだ。そういった意味で「おしえて、ください」と慣れない敬語までつけ足しておいた。

「風邪、ねェ」
「キャプテンなら知ってるよね、お医者さんだから」
「ククッ、まァな。……だが、お前に教えるのは別に今じゃなくてもいいんじゃないか?」
「?どういうこと?」

心底愉快そうに笑ったキャプテン。その姿はいつもより何割増しか笑みが深く、脱いだ帽子を外しては刀の柄に乗るように放っていた。くつくつと喉奥で笑うのを見て、あの中にバイキンが入っていくのかとぼんやり考えてしまう。
キャプテンも風邪ってやつになったことがあるのかなあ、なんで今じゃなくてもいいんだろうかと頭の中をはてなで埋めていく。そのせいで意識が遠くに向かってしまっていたが、キャプテンの喉仏が動いたのを見て、喋りだしたんだとあわてて居住まいを正しておいた。

「そんなのはお前が風邪になったら分かることだろ?」
「……いま、なれるの?」
「いつかはなるさ」

そう言ったきり押し黙っては、手近にあった本を読み始めてしまうキャプテン。ぱらぱらと適当にページをめくる様子を見るとあまり深く読むつもりはないようで、なまえはあっけなく終わってしまった質問の結果に眉をさげると困った顔をした。次いで唸るように顎に手をやって、風邪とやらになった自分を想像してみる。だがそもそも風邪を知らない自身では、それになった自分など分かるわけもなかった。

(じゃあ、キャプテンは私が風邪になったときにおしえてくれるのかな)

それなら、きっと大丈夫だろう。世界一の、なんてまだまだ幼い自分で言うのもなんだが、とにかく世界で一番のお医者さんであるキャプテンがそういうのだ。きっと安心していて大丈夫なはずだ。そう気づいて、キャプテンにお礼を言わなくちゃと彼の袖をくいくいと引っ張った。すると気づいたのか視線をやる。
膝に乗りあげてキャプテンと目を合わせて、ちゅ、とくちびるとくちびるを重ねてみせた。

「ありがとう、キャプテン」

これはベポから教わった。だいすき、って気持ちを伝えるにはチューするのがいいんだって、ものすごく自信ありげに言っていたのだから。キャプテンの口は朝食に飲んだのかコーヒーの苦い味がすこしだけしたけれど、おどろいた顔をしたキャプテンがにやにやした口元を手で押さえるものだから、きっと正しいことをしたんだなあと思っておくことにした。





SHINO様、企画参加感謝致します 素敵な作品ありがとうございました。






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