最期にキスだけくれませんか

放課後の第二音楽室はやけに静かだ。第一音楽室ならば吹奏楽部の手により、トランペットやトロンボーンを始めとした金管楽器や、フルートやクラリネットなどの木管楽器、更には打楽器などが混じり合いそれはそれは混沌とした空間になっているだろう。電気の付いていない広い部屋の中、窓は生物室や物理室にもあるような真っ黒のカーテンが投げやりに掛けられ、隙間からは夕日の穏やかな暖色の光が差し込まれている。
私はコツコツと軽い足取りで棚上に並べられたクラシックギターに爪先立ち、手を伸ばした。一台のネックを掴み上げ、落とさないようにしっかりと握りしめて引っ張る。ようやく降りてきた大きさよりも断然軽いそれをぶらさげるように両手で持ち、普段使っている自分の席に腰かけた。小学生よろしくの背丈である私にとって、それはあまりにも大きすぎるので、膝の上に寝かせる形で載せる。ヘッドを左手に、サウンドホールの上に張られた6本の弦を太い方、つまり手前の方から右の親指の爪に近いはらで撫で上げる。ミ、ラ、レ、ソ、シ、ミ。少し外れている気がする音はペッグを少しずつ回して合わせた。こんなもの、全て感覚任せである。生憎絶対音感などという便利なものは持ち合わせていないので。
教科書を開き、タブ譜を見る。初めは4弦の2フレット。次が3の開放弦。音は出さずに一つ一つ指を抑えつけては動かしていく。
突然ギィ、と物音がした。情景反射でその方向に視線を移す。

「…」
「…石田君」

ドアから顔を出したのはクラスメートだった。彼は何食わぬ顔で入って来たが、私を見るなり先客がいたことに驚いたのか少しだけ目を見開いた。とくん、と心臓が跳ねる。それから数秒、彼は何もなかったかのようにその長身を使って楽々とギターを取り、自分の席については私同様にチューニングを始めた。もたもたと時間がかかる私とは正反対に早々とペッグを回しては音の調整をしている。

「絵になるなあ…」

誰にも聴こえない私の小さな呟き。顔を上げかける様子の彼にまたとくりと心臓が跳ねて慌てて視線をギターに戻した。それでもやっぱり気になって手を動かせないでいる。
不意にチューニングが終ったのか静かに石田君がギターを弾き始めた。懐かしいようで、切なげな短調の曲。私の好きな曲だ。そうか、彼の課題曲はこれなのか。一音一音にいっぱいいっぱいの私には無理なベースを合わせたもの。Greensleeves、和訳すると緑色の袖。思わず再び彼の方へと視線を巡らせる。
ああ、良いなあ。長くて細い足を組んだところとか、弦を震わせる曲げられた指とか、伏せられた翡翠の双眸とか、陶器みたいに透き通った頬とか、夕日に染められた銀糸とか。

「…Alas,my love,you do me wrong to cast me off discourteously……」

覚えているほんの最初のフレーズを蚊の鳴く声で口ずさむ。彼は涼しい顔で淡々と奏でているけど知っているのかな。この有名なイングランド民謡は愛を受け入れない恋人への嘆きを歌ったものだって。知らないよね、だって貴方愛なんて知らないような顔してるもの。別に私のこの感情は届いて欲しいなんて思ってないけれど。他人を邪見する貴方にとっては有難迷惑な話。眺めていても目が合うことは無いのは彼が此方を見かけた瞬間に視線を逸らしているから。その鋭い瞳に射抜かれるのは悪くないが、嗚呼、でもやっぱり耐えられないかもしれない。好き、だなんて歌詞に載せれば簡単に言えるのになあ。
彼の弾き方は酷く無機質に感じた。それでも、まるでオルゴールのように私の心に響いていた。




(それ以外は何も望まないから)
(なんて、ね)






 みあ様、企画参加感謝致します
素敵な作品ありがとうございました。






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