パシフィック・リム <11>裂け目へ(1) <11>裂け目へ イェーガー整備は突貫とは思えぬクォリティで順調に進み、パイロット、コパイロット(副操縦士)同士の簡易ドリフトによるフォーメーション交換も滞りなく完了。其のかいあって二日で八割方「ピットフォール作戦」の準備は整った。 整備班のみならず環太平洋防衛軍一丸となって進められたそれは、もはやこの作戦こそが侵略者プリカーサーに対しての人類最後にして最大の抵抗であるとの覚悟もあってか、「ルナティック・ブルー」と「ワイルド・タイガー」の機体そのものは三六時間でハンガー・アウトされた。 怪獣時計は容赦なくその時を刻み、三日目の朝には元イェーガー開発副主任であったバーナビーも現場に参入、パイロットとしての業務もあるのだが精力的に最終チェックを行う。代わりに「ワイルド・タイガー」のドリフトシステムテストは虎徹が一人で行っていた。 それは「ルナティック・ブルー」も一緒で、オリガの怪我は全治二か月、ユーリもまた一人でドリフトシステムテストを行っている。 「・・・・・・」 虎徹がちらりと隣の機体に目を走らせれば、ユーリが難しい顔で整備士の差し出すタブレットを覗き込んでいるところ。 虎徹もバーナビーも何も言わなかったが判っていた。 判っていたからこそ何も言わなかったのだが、虎徹は胸が苦しかった。 ――次にイェーガーに乗ったとき、それが彼の最期だ。 そうではないのかと思っていたがやっぱりそうだった。 虎徹は環太平洋防衛軍に戻ってきてレジェンド指令と再会し、彼がどこか悪くしているのではないのかと疑っていた。 そしてそれが、随分昔からのものであることに気づき、もしかしたら自分と出逢ったあの日、東京襲撃のせいなのではないかと心当たったのだ。 それが確信に変わったのは、バーナビーとドリフトして、彼の記憶の中に東京襲撃のあの日の「レジェンド・タンゴ」を見たときだ。 イェーガーパイロットとしては随分と間抜けな話でもある。自分はパイロットで、ある程度イェーガー史だって知っている。 レジェンドが何故レジェンドと呼ばれたのか、それはレジェンドのバディであったアルバート・マーベリックがニュートラル・ハンドシェイクの負荷に耐えられず失神し、その後一人でイェーガーを操縦しあまつさえオニババを撃破してのけたというその英雄譚からだ。 一人でイェーガーを操縦すれば大抵の人間は脳が破壊され、廃人となる。NEXTであったとしても例外ではなくむしろNEXTであるが故に半身欠如の感受性に耐えられずに自壊してしまうのだ。 それを端的に可能だと人類に知らしめた唯一の人である。レジェンドは人間の可能性についても世界に提起したまさに英雄だったのだ。 と同時にこんなところまで村正が自分に隠していたのかと戦慄する。自分はドリフトによって繋がって、兄のすべてを理解したと思っていたのだがそうではなかったのかも知れない。ドリフトというシステムの特性から考えてありえないのに、村正は明らかに自分に対して完全に情報を遮断していた部分があるのだ。いやむしろこれは消去ではないのだろうか? 兄は自分の記憶をまるで自分自身のもののように扱う事が出来たのではないだろうか。 だとすると、自分が一人でイェーガーを操縦し、破滅せずに生き残ったのは彼のおかげではないのかと。 本当のレジェンドは自分ではない、きっと村正だったのだ。 そうしてあれは恐らく自分も、当のレジェンドも二度は出来ない神の領域の何かなのだろう。 バーナビー。 虎徹は「ワイルド・タイガー」の最終チェックで走り回っているバーナビーにも目を向ける。 今自分はコックピットにいるので肉眼で見たバーナビーは豆粒のようなのに、「ワイルド・タイガー」のシステムを通してみるとそれはモニターの中拡大されて、巻き毛の揺れる一筋一筋まではっきりと確認できる。 オニババにもこう見えてたんだろうな、あんな小さな人間を視認してしつこく追いかけてくるぐらいだからと思って、彼らも怪物だがイェーガーだって十分怪物なんだなと少し笑えた。 この状況から考えてオリガの代わりにレジェンドがパイロットとして「ルナティック・ブルー」に搭乗することになるだろう。 そしてその結果作戦が成功しようが失敗しようがレジェンドは恐らく死ぬことになる。 それについてバーナビーはどう考えているんだろう? どう折り合いをつけてるんだろうかと勝手に心配してしまう。 虎徹の中に残るバーナビーの軌跡はレジェンドを本当に尊敬し、父としてだけではなくあらゆるものの師として慕ってきたものばかりだった。プライベートではレジェンドの事を父ではなく「先生」と呼んでいるのもそこで知った。勿論バーナビーには言わなかったが、だからこそ苦しかった。 自分とは違ってバーナビーにはレジェンドとの血の通った交流がある。自分はただただ崇拝し、遠くから勝手に慕って心の中で祭り上げていただけだったが、今更のようにどうして村正がレジェンドの真実については何一つ自分に話せなかったのかが判る。 お前がカッコいいと持ち上げて、英雄崇拝しているレジェンドが死ぬのは、その東京を守るために自分の命を使ったせいだ、そう伝える事が出来なかったのだ。今はもうそんな些細な事で自分の心を揺らしたりしないが、あの当時訓練生として自分がイェーガーに乗ったころ、兄がどれだけ自分の心を心配していたのかも判る。きっと今自分がバーナビーに感じているような不安と同情を胸いっぱいに抱えていたに違いない。 レジェンドが自分を迎えにきた時のことを虎徹は思い出していた。 「今一度聞く。お前はここで死にたいか? それともイェーガーパイロットとして死にたいか! 答えろ!」 あれはあの血を吐くような叫びは虎徹ではなく自分にこそ向けられていたものだったに違いない。 レジェンドは戦いたかったのだ、自分が。そして遅いけれど今それが俺にも痛いほど解るよバニー。 どうせ死ぬのなら、戦って死にたい。逃げ続けてそこで朽ち果てるのではなく、そう嘘だ、俺は自分にも嘘をついていた。俺は本当は戦いたかったんだ。 そして同時にバーナビーがやりきれない思いを持つのも理解してしまう。 兄が俺にどんなに惨めでも生きていて欲しい、イェーガーパイロットなんかやめてほしい、ああ何故俺は虎徹を呼んでしまっただろう、こんなことになるのなら、知らないままで何も知らないままにしてやれていれば、そう考えていたのも俺は否定できない。出来るわけがない。 だって俺も、バーナビー、お前に死んでほしくないよ。お前には未来があるのだし、俺とは違う――どうして俺たちは二人なんだろうな。 「なんで人間って余計な事ばっか、土壇場でも考えるんだろ。俺、ホント頭悪いから疲れちゃうんだよな・・・・・・」 そういつの間にか声に出して言ってたらしい。 バーナビーが通信で「何か問題がありましたか?」と聞いてきた。 「いーや」 虎徹は答える。 「大丈夫だ、なんも問題ねーよ。お前はお前の方の作業続けてくれ。こっちはどうせ正常に神経繋がるのかどうか押してみてるだけだし」 「疲れたら休憩してくださいね、椅子が持ち込めたらいいんですけどねーそこ」 虎徹はバーナビーのその提案に無理だろ、と笑った。 其の頃指令室では裂け目の動きを感知して、斉藤とオペレーターたちが騒然となっていた。 「ポータルから怪獣出現! 二体です!」 「ああくそっ、間に合わなかったのか?! 襲撃予測目標はどこだ!」 シュテルンビルトだろう、多分ロトワング教授と自分を消すために。 そう斉藤が冷静に言う。 モニターに映る怪獣解析結果の文字。 二体ともカテゴリー4・・・・・・。 予想していたとは言え、オペレーターたちの顔は引きつった。 だが時期に皆何かが奇怪しいと気づく。 そう、怪獣たちがポータル付近に留まったまま移動しないのだ。 「どういうこと?」 斉藤がパチパチとモニターの表示を切り替える。 「ポータルの様子は?」 3Dアニメーションでチャレンジャー海淵のポータルの様子をチェックしている、「アンティヴァース」観測班の方に声をかけると、開いているのを除けば全く異常がないという。 報告を聞いてレジェンドが駆けつけてきた。 「どうした! 現れたのか! クソっ、予測より若干早い――」 「いや、移動してないんだ」 斉藤は焦るレジェンドに落ち着くように言った。 「理由は判らないが侵攻してくる様子がない」 「ポータルの上で動かない? 何故だ、何か狙いがあるのか?」 状況を分析中。 「今コンピューターに予測計算させてます」 あい解った。 レジェンドはモニターから顔を上げた。 それから指令本部に詰めている面々の顔を見渡してこういうのだ。 いつの間にか指令室の扉の向こうに、腕を三角巾で釣ったオリガが立っていた。 「今から私の代理としてオリガ・ペトロフ士官を任命する。指令本部は今後彼女の指示に従ってくれ」 指令本部にいた人々が全員顔を上げた。 レジェンドはそんな彼らの視線を知りながら背を向けるのだ。 オリガの前まで進むと彼女に「頼む」という。 「出撃予定時刻は」 「今から一時間後に設定。イェーガーはどうだ?」 「両方ハンガーアウト済だ。パイロットの調子も悪くない」 「ではドックにみなを集めてくれ」 「了解だ」 それからすれ違いざまレジェンドはオリガに「すまない」と呟いた。 「イェーガー出動命令発令、「ワイルド・タイガー」「ルナティック・ブルー」搭乗者は至急ディスパッチルームへ集合せよ。繰り返します。「ワイルド・タイガー」「ルナティック・ブルー」出撃命令。搭乗者は至急ディスパッチルームへ急行せよ」 虎徹とユーリはドリフトテスト中だったので既にパイロットスーツを着ている。 見下ろすと、バーナビーが慌てて白衣を脱ぎ捨ててドックを駆けていくのが見えた。 覚悟していたので特に驚かなかったが、怪獣が来るのが早いと少し身を固くする。 これでまた戦闘をしていたら、裂け目に行くのが間に合わないのではないか、そう思ったのだ。 だがPDAが起動し、ユーリが下に降りるように言う。 「ドックに来い、出撃前に指令が皆を集めるそうだ」 「了解」 虎徹はPDAを落として一度ディスパッチルームに出ると、丁度バーナビーが飛び込んでくるところだった。 「虎徹さん! 怪獣がポータルから出現したそうです! でもどこにも向かう様子がなく、裂け目の上で旋回してるらしくて」 「こちら側の情報が筒抜けなのだとしたら、そこで迎え撃つつもりなんじゃないのか?」 「いや、何かを守ってるんじゃないかと」 「何を?」 「判りません」 先に行っててくださいとバーナビーが言う。 虎徹は頷いて下に降りた。 ユーリがオリガと何か話している。 そしてオリガはパイロットスーツに着替えておらず、環太平洋防衛軍のつなぎのままだったので虎徹はやはりと思った。 「タイガー!」 オリガの方が先に気づいた。 そして何かまだ言おうとしているユーリから虎徹に向き直ると、その身体を抱擁しに来た。 「すまない、この局面で私は役立たずだ。ユーリを頼む」 「オリガ士官――」 しかし続く言葉が思いつかず、虎徹ははいと言った。 オリガはそのまままたどこかへ行ってしまい、それを見送った後振り返ると、ユーリがそっぽを向いて溜息をついていた。 「なんというか、最後だっていうのに気の利いた言葉一つ浮かばないんだ、私は」 「俺もそうだよ。最後に斉藤さんになんか言おうと思ってたけど、そんな暇もなかった」 「バーナビーには?」 そう聞かれて、「俺は一緒に行くからな。言わなくてももういいんだ」という。 ユーリはそれもそうだなと言った。 「私たちの悪い悪い癖だ」 「違いない」 やがてバーナビーもパイロットスーツ姿で現れる。 虎徹さん! と満面の笑顔で駆け寄ってきて、傍らに居たユーリに気づいて顔を赤くする。 バーナビーはおずおずといったように虎徹の横に並ぶと、ユーリに会釈をした。 ユーリも苦笑してでも笑顔。彼もまたバーナビーに頭を下げる。 「これが泣いても笑っても最後の作戦だ。使命を果たそう、人類の為に」 「自分たちの為に」 「ああ」 ユーリの言葉にバーナビーが応え、虎徹もまた頷く。 それから三人は振り返った。 レジェンド指令、その人がパイロットスーツを纏い、そこへやってくるところだった。 「大分太ってしまった」 彼はそう言い、三人は失笑する。 「そこは笑っていいところなのかな」 虎徹が言うと、レジェンドはふっと表情を和らげて、勿論という。 「指令」 レジェンドがそのままユーリの下へ歩み寄りそして目の前でぴたりと立ち止まる。 ユーリは真っすぐにレジェンドを見つめており、彼もまたユーリをしかと見た。 「ユーリ・ペトロフ、きみは何事にも几帳面で、臆病だ。予測と違うことが起きれば簡単に行動不能に陥る。お世辞にも歴代パイロットの中では優秀とはいいがたい。ドリフトの能力値もNEXTの中では最低に近かった。そもそもパイロットになれる器ではないと、八年前一度徴集されながら追い返された。だが君は曲りなりにもオリガ士官の息子だ。そして君は足りない資質を努力で埋め合わせ、ここまで戦い抜いてきた真の戦士であり天才だ。信じている」 「我々はドリフト出来るでしょうか」 「大丈夫だ。ドリフトの中にはなにも持ち込まない。記憶も、恐怖も、階級も。上手くドリフト出来る。さあ、私の中に入ってきなさい」 「はい。私も信じています」 それからレジェンドはバーナビーの方を向いた。 虎徹はバーナビーの表情を伺う。 バーナビーはレジェンドを見て唇を震わせる。だが胸がいっぱいになってしまい、言葉が出ないのだろう、ただ只管彼を見つめ続けるのだ。 「これは私が成し遂げなければならないことだ」 「――先生、でも貴方は――」 「判る筈だ、これが必要な事なのだと。きみがやらねばならないことは、私を止める事ではない。私がやりこれを成し遂げる為にも バーナビー、きみが私を守れ。きみが守るんだ」 「・・・・・・」 レジェンドはそうしてイェーガーを整備する為に設置されたプラットフォームの上に立ち、そこに集まる環太平洋防衛軍の面々の顔を見渡した。 みなが、彼を見上げている、見つめている。 「ではみんな聞いてくれ」 彼はそう話し出した。 「我々は今日最後の希望と人類の運命をかけて戦う。自分自身を信じるだけでなく、お互いを信じて戦うのだ。今日ここに居る者は一人で戦うのではない。今日我々は地球を脅かす怪物どもに立ち向かい、戦いに勝利する! そして人類を滅亡の淵から救うのだ!」 おおおおおお! 皆が歓呼の声を上げる。 戦え! 戦うんだ! そして必ず勝つのだ! その一声を切っ掛けに皆が各々の使命の為に走り出す。 パイロットの4人も、イェーガーに搭乗するために再びディスパッチルームに向かって歩き出した。 その途中の廊下、柱の影に佇むオリガの姿を見つけ、レジェンドは視線でユーリに行くように促す。 虎徹とバーナビーは少し行き過ぎて前の方で立ち止まった。 オリガはユーリに近づくと、その頭を抱え込むようにしてキスをする。 それからその瞳を覗き込んでこういうのだ。 「・・・・・・誰かとドリフトするときは――話す必要はないと感じるものだ」 ユーリの身体を放し、でも視線だけは離さずに。 「でもそれではいかんとレジェンドに叱られてしまった。私は本当に至らない。気持ちを、言葉でお前に伝えなかった。ずっと、本当はちゃんと言葉で伝えなければならなかったことを――言わなかった」 ユーリの身体が震える。 そうして彼は首を振った。 「いい、んだ。いいんです、母さん。――ちゃんと判ってました。・・・・・・ずっと前から。私も判っていたと貴女に言わなかったんです」 必要ないと思っていたから。 そうして二人は抱き合って、再び身体を放してオリガは行けと言った。 「使命を果たせ、ユーリ。私はお前を誇りに思う。自慢の息子だ」 それからレジェンドを見てこう言った。 「レジェンド、息子を預けたぞ」 ――息子を。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top |