Novel | ナノ

SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(27)


 意外と短い準備期間が終わった。
幻獣化してしまってから――あの運命の夜から三ヶ月。
なんて遠くへ来たろうとバーナビーは思う。
 海洋研究機構が発案とはいえ、今はもう一大プロジェクトとなってしまった軍管轄の計画でもあったから、ワイルドタイガーの出立は秘密裏に行われる事になった。
ヒーローたちには出立の時刻は伝えたものの、見送りには遠慮してもらった。
 ただ一人例外だったのはバーナビー・ブルックスJrとアポロンメディアメカニックの斉藤だ。
バーナビーは虎徹のパートナーであったし、タイガー&バーナビーというバディヒーローの相方でもあったから、虎徹が居なくなった後の始末と今後自分自身のヒーロー活動についてもそしてワイルドタイガーが今どういう任務についているかも、彼がシュテルンビルトの人々に説明する責を担っていた。
 軍の戦艦で幻獣化した人々が一緒に回遊しているであろうくじらたちの群れを補足、近くまで送ることになった。
夕暮れ。
薄茜色に染まり始めた快晴だったその日の空は、海も凪ぎカモメたちが空を踊るように舞っていた。
 バーナビーは虎徹が海へと降りるための小船に乗船することはできず、甲板から見送るように指示される。
OBC等民間の報道機関は当然拒否され、出立の記録映像を撮るのは軍が許可した一部の報道機関だけだった。
それも後々軍が検閲して合格証書を発行しなければ放映されることはない。
 虎徹はひっそりと旅立つ。
そしてその活動が軌道に乗ったと判断された後、バーナビーを含む軍や報道機関が彼の新しい任務を人々に伝え、そして彼がシュテルンビルトのヒーローではなくなったとそう報道するのだろう。
 小船に乗せられた水槽から、虎徹が海へと降ろされる。
斉藤から軍に調整してもらった装備を受け取り、最後のチェックを行う。
感度良好、PDAはヒーローのそれではなく、軍管轄のものに切り替えられ、これから始まる新しい旅をサポートしてくれる。
虎徹はPDAを起動した。
「バニー、元気でな」
「連絡して下さい」
「するよ、一週間に一度は必ず。バッテリーが勿体無いから、一ヶ月に一度の補給時まで数回しか使えないだろうけど、出来る限り連絡するよ」
「一緒に行きたい――」
「だめ、無理だろバニー、あんなに沢山話し合ったじゃないか・・・・・・」
 そうして虎徹は泳ぎ出す。
広い海原に真っ直ぐに。
声が聞こえる。ああ、あれは同じ幻獣たちの――海に行く旅する者たちの呼ぶ声だ。
そして振り返る。
軍艦の甲板に万が一のためにヒーロースーツを纏い、ヒーローとして今だ立つ彼を振り仰ぐ。
 バニー、お前だけはずっとヒーローでいてくれ。出来るだけ長く。
俺が俺であるうちに戻ってこれるように。そしてお前がその目印であるように。
バーナビーはフェイスガードを上げる。
フェイスガードを上げてしまったら、視力の悪いバーナビーは虎徹が見えないだろうに、波に紛れてしまうだろうにそれでも、最後にせめて肉眼で虎徹を見たかったのだ。
「もし貴方が海で死んだら・・・・・・!」
 バーナビーが甲板に身を乗り出して、身体を捩り、激しく振り絞るように言った。
「僕もきっと海で死にます。貴方が死んだだろう場所までいって、叫んで罵って、どうして僕を置いていったんだって、恨み言を一杯言って、それから海に身を投げるでしょう」
 だから・・・・・・
「・・・・・・だから絶対に死なないで下さい。死なないで、僕を置いていかないで・・・・・」
 バーナビーの声が風に乗る。
カモメが薄薔薇色をした大気にのびのびと翼を広げ、波と同じように風に揺れている。
虎徹はバーナビーを波の狭間から見た。見上げた。
 そんな切ない事を言うなよ。
なんだよお前そんなに泣いて、泣いて、泣いて。
ここには皆いるんだぞ、軍人や斉藤さん、他にもパシフィカルグラフィックの職員の皆さん、これじゃもう全然誤魔化せないじゃないか。
 ロイズさんが卒倒しちゃうぞ・・・・・・。
「――俺は・・・・・・」
 虎徹が口を開く。開いて閉じた。
何を、言おうというのか。言うべき言葉が見つからない。波に目を落とす。ごめん、バニー。
だから虎徹は言うのだ。未練を断ち切るために、その上っ面な言葉を。
「バニー、幸せになれよ! 俺のことなんか忘れて、いい女見つけて! 他のヒーローたちにもよろしくな。俺はお前たちとヒーローやれてホントに幸せだった。すっげえ楽しかったよ。ありがとう、今まで俺とバディでいてくれて。一等――お前がいてくれた数年間が俺の宝物だった。ありがとう――さよなら、バニー」
 そうして虎徹は振り切るように泳ぎ出す。
さよなら。
 もう二度と帰ってこれないかも知れない。いや恐らくそうだろう。
俺のことなんか忘れて幸せになれ。
幸せになれ。お前にはそれだけの価値がある。
大丈夫、俺はなんとかやっていくから。俺は今でも信じてる。そうこの選択は間違っちゃ居ない。

 けれど。

 誰かが叫び声を上げた。
バーナビーが手すりを乗り越えると飛び降りたのだ。
その素早さに誰も止める事が出来なかった。
バーニアスラスタも起動しない、バーナビーはヒーロースーツのその姿のまま、海に飛び込んだのだ。
 いけない! 
斉藤が叫ぶ。
そのスーツは陸上活動用で、水中用には作られていない、そのまま沈んでしまう、と。
 虎徹は驚愕する。
そして頭で考える前にバーナビーの元へ泳ぎ寄る。そしてその身体を捕まえた、と思った。いや逆だった。虎徹がバーナビーの身体を支えようとした時、バーナビーは虎徹にむしゃぶりつくようにしっかりと抱きしめてきたから。
「バニー、なにやってんだ!」
「虎徹さん、やっぱり僕も行きます」
「ふざけんな! おま・・・・・・、お前、水が――海水がスーツの中に入って・・・・・・溺れちまうぞ!」
 バーナビーは水没するヒーロースーツの中、すでに首の中ほどまで水が入ってきていたのだけれど微笑むのだ。
「死なばもろともって、日本では言うんでしたっけ」
「ばかか、お前、冗談言ってる場合かよ!」
「冗談? まさか」
 微笑んでいる。
満足げにこれでいいんだというようにバーナビーは笑っているのだ。
虎徹は死に物狂いでバーナビーの手を振りほどこうとする。だけど彼の力は思ったよりもずっと強かった。
「だめだ、やめろ! パーツを分解しろ、バニー、死ぬ、死んじまう! 頼むからバニー、早く――・・・・・・」
 やめろよ、こんなの自殺行為だ。
だめだバニー、俺を行かせてくれ。これじゃお前が死んでしまう。

 人は海では生きられないんだよ。




――バニー!

虎徹がそう叫んだのが判った。だけどバーナビーはどうしても手放せなかった。
このまま泡になってしまえれば。
一緒に融けてしまえればどんなに幸せだろう。離れ離れになりたくない、どうしようこんなにも愛してるのに。
ああ、神様、人魚でもいい、人間じゃなくったっていい! 虎徹さんであるのなら、それ以上なにも望まない。どうか傍に居させて、傍に居たい。
その時虎徹自身も心底願った。
 バニー、バニー、バーナビー、ごめんな、人間に戻りたい。離れ離れになりたくない。何時でもどんな時でも傍に居るってそう誓って、こんなことで終わりになるなんて思いもしなかった。シュテルンビルトに戻りたい、自分のためでなく、バーナビーや他のヒーローたち、そして自分を惜しんでくれたシュテルンビルト市民のために。
ああ、いっそのこと人魚でもいい。人でなくてもいい、神様どうか、俺が何者でも傍に居させて、離れたくない。
 戻りたい。
君のために貴方のために。


 ほどけて二人、泡になる。
虎徹と自分を取り巻くように、無数の水泡が上へ上へと昇っていく。
いや違う、これは涙?
海の中なのに、貴方の涙が見える。手を差し伸べて、そんなに悲痛な顔をして叫んでる。虎徹が涙を流して云う。
バニー死ぬな、と。
ふと浮遊する感覚。
息苦しさが消えて気づくと虎徹が心配そうに自分を覗き込んでいる――そして笑顔。
親指で指し示す先に、膝を抱えて丸まって、泣きながら眠っている少女がいた。

――マディソン。

 大丈夫、怖くないよ、誰も怒ってない。
誰も君を責めたりしない。それより良く頑張ったね、怖かっただろう、悲しかったろう。
でも大丈夫、僕たちが、俺たちがついているから、どうか目を覚まして。
一緒に見つけに行こう。

そしてきっと言ってくれる。
君は君のままでいいんだって。
ありのままのそのままの君で。
どんな姿でも、人でなくても。君が君でいてくれるのならそれでいい。

そう、それが君の力のキーワード。君の力の奇跡。

もう誰も君を責めたりしないから、さあ、一緒に行こう。大丈夫だよ、きっと全て上手く行く。



 慌てて下ろされた救急ボートにぜえぜえと荒い息を吐き出しながら虎徹がヒーロースーツを纏ったまま水没して昏倒しているバーナビーを押し上げる。それから自分もよじ登ってきた。
「タイガー!」
 斉藤と軍の幾人かが虎徹の身体を支える。
虎徹はそんな自分を労わる手を振りほどいて、ぐったりと意識を失うバーナビーに飛びついた。フェイスガードをあけると海水がどばっとあふれ出してきて呼吸がないのがわかった。虎徹は躊躇せずに彼に口付ける。誰も何も出来なかった。余りの事に自失してしまっていて最善の行動が取れない。やがて我に返った軍人たちが人工呼吸を行う虎徹のサポートをする。やがてその努力は実を結び、バーナビーはうっすらと目を開けるのだ。
「虎徹さん・・・・・・」
「バカヤロウ!」
 死ぬ気か。死ぬ気だったのか。待ってろって言ったのに、俺を信じてくれって言ったのに――畜生、無茶しやがって。
でも。
「虎徹さん、だって身体・・・・・・足・・・・・・」
「あ? ああ。元に戻ったよ。ほら、立派な二本足だろ? お前な、危うく俺も一緒に死ぬとこだったんだぜ? 俺人間だと泳ぎがあまりうまくないんだ」
「解除方法が判りました・・・・・・」
 バーナビーが顔をくしゃくしゃにして虎徹に抱きついた。
今死に掛けたばっかりだっていうのに、そんなのがどうでもいいくらい。
「あはははは、簡単だった、そうだ、最初っからそうだったんだ。だって貴方が変身したのも元はといえばマディソンを助けたかったからでしょう? 強く願ったんだ、助けたいって。確かめたい、愛してる、誰かの為に自分のことじゃなく。強い思いが、貴方が選んだように、みんながみんなきっと選んだんです。だから選んだ事が変身解除の答えだったんだ。これでみんな元に戻る。みんなだから大丈夫なんだって」
「判らない、判らないよバニー。でも」
 虎徹も顔をくしゃくしゃに歪めてバーナビーの身体を掻き抱く。
「畜生、バカヤロウ、お前海に落ちて死ぬつもりだったのかよ。一緒に行けないことなんか判ってたのに。なんで飛び込んだんだよ。なんでなんだよ、どうして――」
「ごめんなさい」
 バーナビーは素直に謝った。
「貴方をそんなに悲しませるつもりじゃなかった――。ただ、どうしても離れられなかったんです。だめだったんです――」
 うんうん。
虎徹はきつく抱きしめながら涙を流した。
 もういいよ、いいんだ。
「ありがとう。絵本の中の人魚姫みたいに泡になるのではなく、二本足をくれてこの先の未来も全てくれたのがお前だってことだけは判る。俺は幸運だ。幸せだ、そうだろ? だってお前が人にしてくれた。すげえよ、俺の王子様は不可能を可能にした。畜生、ありがとうバニー、愛してる」
「王子様とかやめて下さい」
 しゃくりあげながらバーナビーは言った。
涙が止まらない。
愛しくて、切なくて。
大丈夫、僕は誰もを抱きしめられる。あの可哀想な少女の事も、なにもかも。
大丈夫、僕は許せる。この人が、ただ、この人が傍に居てくれるなら。
「好きだよバニー」
虎徹もまた、バーナビーの耳元で囁くようにそう呟いた。




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