Novel | ナノ

SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(25)


 あれからどれくらい経ったろう?
ずっとメカニックルームで三人沈黙したままだ。
何を言うことがあるだろう、何も言えはしない。
 虎徹は俯いたままだ。
きっと心のうちで激しく葛藤しているのだろう。
 ノーマン大尉の言っていることは判る。だけど、どうしても感情が・・・・・・気持ちがついていかない。
だってそれは虎徹と離れ離れになるということだ。
もしかしたらもう二度と会えない場所へ――彼を送り出すということだ。
 実のところ強硬派のいう事には一理あるとバーナビーは思っていた。
何人だ。一体何人が犠牲になったんだ? 判っているだけで今回だけでも280名もの人間が犠牲になった。
皆人じゃない何かにされて、選択の余地なく海に消えて。
 バーナビーは知っていた。
幻獣化されて海原に消え去った彼らを、残された家族、友人、知人たちが今も胸が張り裂けそうな思いで待っているということを。
 妻を返して、友人を返して。夫を、友を、愛する人を、一緒に今まで生きてきた大切な人を。
バーナビーにはそれが痛いほど良く判る。
 返して、返してください。
虎徹さんを返して。一緒に生きていこうと言った。ずっと行ける所まで行こうと言ってくれた。
 告白した時、笑って流されるかと思ったら、真剣に考えてくれた。そうして俺でいいのならと受け入れてくれた稀有な人なのだ。
最初から拒絶しない。どんなことでも出来るだけ同等の価値で判断してくれる。先入観で決めたりしない。それがどんなに馬鹿げた事でも、真実の願いならこの人はちゃんと向き合ってくれるのだ。
 こんな人、世界中探したって見つかりっこない。虎徹さんしかいない。
僕にとって虎徹さんは唯一無二の奇跡なのだ。どうしてこんなに大切な人を仕方が無いと諦める事など出来るだろう?

 マディソンを殺せば、みんな元に戻る。
マディソンさえ居なくなれば。

バーナビーは自分の腕の中で熱さに焼かれて死んでいく虎徹を見た。
悲鳴をあげた。苦しみ悶えながら、ゆっくりと光を失っていくルチルクォーツの瞳。頬を流れていった涙。
 その時バーナビーは思った。思ってしまったのだ。
今すぐ! 今すぐだ、マディソンを殺さなければ。
彼女を殺して今すぐ、虎徹を人魚の姿から解放してやる。そうしたら彼は助かる。この苦しみもなにもかもなかった事に!
最初からこんな事無かったのだ。
無ければ良かった。いや、今からでも正さなければ! 僕の虎徹さんが失われてしまう。
「・・・・・・」
 虎徹は水槽に横たわりながら暗い顔色のバーナビーの横顔を見やる。
水槽の縁を掴むと水中から顔を出す。そうして膝の部分で身体を支えながらゆっくりと胸の部分まで身体を起こした。
「バニー」
 呼ぶと振り返る。
バーナビーはぱっと表情を明るくして「なんですか虎徹さん」と笑顔で聞いた。
 虎徹はその笑顔が痛々しいと思った。
こんな表情をさせているのは自分なのだろう。こんなの不可抗力だけれど虎徹は胸が痛かった。
バニーに辛い思いをさせている。こんなことバニーは考えたくなかったろうに、今きっと辛い事を考えている。
 このまま誰かを憎ませてやればバーナビーはきっと楽だろう。
でも虎徹は言わなければならなかった。この先バーナビーと自分がヒーローであり続けるためにも。

「あの娘を責めないでやってくれないか」
 虎徹が水槽の縁に両腕を預けながらそうぽつりと言った。
「バニー、あの娘に責任を求めないでやってくれ。やめてあげて。可哀想なんだ。本当に」
その瞬間、バーナビーの顔に浮かんだ表情。
暴かれたと思った。この人は僕の醜い物思いなんかとうの昔にお見通しだって。だけどバーナビーだってもう堪らなかったのだ。
 だって貴方! そんな姿にされて、これから先一生戻れないかも知れないのに。
あんな酷い目に遭ったのに? これからだってずっと何の関係もないのにその代償を支払い続けるのは貴方じゃないですか。貴方は何も悪くないのに。僕はもうイヤだ、沢山だ。もうこんな思いしたくないと。
その悲鳴を虎徹は寂しげに聞いた。
「確かに俺は関係ないよ。彼女が遭ってきた不幸や境遇に何も出来ないし関係ない。でもそれもさ彼女のせいじゃなかっただろ? 誰もが好きであんな風に晒されたりいいようにされたりするわけじゃない。俺にもお前にも同じようにあった可能性じゃないか。たまたま俺らは両親や保護者や周りに恵まれていただけで。目覚めた能力が彼女ほど珍しくなかったっていうだけでさ」
 俺は俺の能力に目覚めた時、色んな人が俺を遠ざけようとした事を忘れてる訳じゃないんだと。
「なんで彼女なんだ? 俺やバニーだってNEXTだし、いいようにしていいはずなのに彼女ばっかり。たまたま能力が弄られやすいものだっただけって話じゃないのか。彼女なら虐げてに隷属させて、糾弾して、馬鹿にして殺してもいい、何してもいいなんて誰が決めたんだ? 誰かが最初に始めたんだ。最初に始めたやつが誰だか判らないけどさ、ムカつくから晒してもいい、ウサ晴らししてもいい、あいつならなにしてもいいってそれってどんだけ低俗な人間の考えることなんだって。せめて俺らだけでもそう考えたらだめなんだ。彼女の悲しみと境遇を思いやってやらなければ」
「でも僕はだめです。貴方をそんなにされて、楓ちゃんだって――どうしてこんな」
「でもそれを考えるのがヒーローの仕事だろ」
 虎徹は事も無げに言った。
「俺らはヒーローなんだ。そこらへんは飲み込んでいくしかない。人と同じ事をしててもだめだろ。そうじゃなくて考えてあげて。済んでしまった事より、どうしてそうなったのか、それは必然だったのか、どうして罪を犯したのか、どういう理由でそうしたのか。マディソンはさ、フツーの女の子だったよ。そしてさ、多分フツーの女の子より自分の事凄く良く判ってて苦しんでた。誰よりも自分自身の力を疎んでたのは彼女だったんだ。だからそこは考慮してあげないといけないと思うんだよ」
「どうして貴方にそれがわかるんです?」
 バーナビーは涙ながらに聞いた。僕はこんなに苦しいのに。貴方をこれから一生下手をすると離れ離れで生きていくしかないのに。人としてどころかもう一生愛し合えないかも知れないのに、それでも貴方はいいんだと思ったら脳が軋むように痛んだ。この人は僕が思うほどに自分を愛してないんだと。楓ちゃんすらもどうでもいいんだってことが。
しかし次の言葉にバーナビーは硬直する。
虎徹は寂しそうにそう呟いたのだ。
「バニー、あの子さ、俺がもう大丈夫だ、帰ろうって言った時になんていったと思う?――もうイヤ って言ったんだよ」

――もうイヤ。

 目を見開きながら堕ちていった。
暗がりの中に。
彼女は自分を害そうとした誘拐主犯の男ですら、幻獣化したくなかったんだ。きっといつもいつも封印してきたんだと思う。でも極限まで追い詰められるとそれは発動してしまう。
彼女の能力は自己防衛本能に根ざしたものだからだ。あんな風に何時も極限まで追い詰められていて、彼女は既に憎しみとか誰か個人に恐怖を抱くような精神状況じゃあなかったんだろう。でもあの娘は俺が助けに行ったとき、判ってたんだよ。こんな事はもうお終いにしなきゃあって。だから最初で最後、自分を羽交い絞めにしていた男を意図的に幻獣化した。そしてその時絶望しながらもほっとしたんだろう。もうこれでお終いにできる。自殺できるって。彼女はコントロールできたんだよ。誘拐犯をあんな姿にして永久に戻れなくした。多分そうだと思う。そして自分自身に始末をつけようとした。でもさ、そんな時に俺が手を差し伸べてしまった。バニー、理解できないかと思うけれど、彼女はね、俺を助けようとしたんだ。あの瞬間、だめって声が聞こえた。テレパシーかも知れない。でもさ、彼女はあの瞬間落ちていく時に、俺を救おうとしてくれたんだ。
 だから俺は人魚なんだよ。
「でもそんな――」
「判ってあげてバニー。彼女はさ、俺を救おうとしたんだ。あの瞬間、俺が一緒に海に落ちていったとき。優しい娘なんだ。貴方はこないで。私をほっといてって言葉が聞こえた。と、同時に、私を助けてパパ、ママ――って声も俺は聞き取ってたんだよ。どんなに帰りたかっただろうって思ったら、俺はどうしても彼女を救いたかったんだ。見捨てられなかった。見殺しに出来なかった。――自分の能力で幻獣化してしまった人々を助けようと思ったら、自分が死ねばいいんだって――彼女は自分でもそう思ってたんだよ。そしてそれは恐らく間違ってない。マディソンが死ねばみんな幻獣から元に戻れる。でもさ、そんなの悲しすぎるじゃないか。だからバニー、マディソンを責めてくれるな。――目覚めたらお前がいってやってくれ。誰も怒ってないって。そしていつか絶対俺たちを元に戻してくれるって信じてるからって。そう伝えてやって」
虎徹は言った。
「伝えてあげて」
 それはバニーにしか出来ない事だから。
「俺が本当にそう信じてるって、彼女に伝えられるのはお前だけだから。だから俺はお前を信じる。お前も俺を信じてくれるって。マディソンを許してやれるって」
「そんな事言われたら、許さない訳にいかないじゃないですか」
 バーナビーの右目から涙が滑り落ちていく。
ああ、もう――駄目だ、この人は決めてしまったのだと。
「――行くんですね」
「ああ」
「――僕も一緒に――」
「駄目だバニー」
 虎徹は強く云う。言い聞かせるように、まるで子供に言うように?
バーナビーは泣きながら笑った。
そしてそっと――虎徹の変化していない薬指・・・・・・指輪の先に手を伸ばす。虎徹は逆らわなかった。
そっと触れる。触れても何も起こらない。ここだけは人間だから――まだ人間だったから。
「なんでここだけ変化してないんだと思います?」
 さあ? と虎徹が笑った。
「友恵が残しておいてくれたのかな。ちょっとでも人間らしいとこ。よく判らないけどここが変化してなかったから俺、人としての意識にも目覚める事が出来たのかも知れない」
「ふふ、触れられるところが一箇所でもあってよかった。まるで・・・・・・さよならを言うために残してあったみたいだ・・・・・・」
「バニー・・・・・・」
 その指をそっと取り上げて、バーナビーが自分の口に含んだ。
ちょっとびっくりして虎徹が目を丸くする。でも直ぐに泣きそうな目になってそれを見守るのだ。
 愛撫するように舌で転がす。実際にそれは愛撫だったのだろうが、バーナビーが涙を流しながらそっと傷つけないように本当に大切なもののように吸うもので、いろんなことが不意に去来して胸が一杯になる。単純な事、抱き合うことすら全部諦めてこの数ヶ月我慢してきて、諦めたままコイツと別れ別れになるんだなあと思ったら虎徹も挫けそうになった。
「・・・・・・やめろよバニー、凄くつらいよ。今俺、お前に凄くキスしたい」
 こんなの拷問だ、出来ないのに、抱きしめたい、キスしたい、つながりたい、全部駄目なのに、辛すぎてどうしていいのか判らなくなる。
そんな虎徹の表情に指から口を離し、そうですね、辛いばかりですね・・・・・・と離れた先、胸にしんと冷たいもの。
どうしてかまた青く輝いている虎徹の鱗のペンダントヘッドを見て、バーナビーは破顔するのだ。
「この鱗の正しい使い方が判りました」
 そういいながら、その鱗を虎徹の唇に重ねる。
何? とうろたえ顔の虎徹にバーナビーは鱗を挟んで自分の唇を押し付けるのだ。
 暫く二人はそのまま互いの唇の熱さを感じる。それからバーナビーが先に唇を離した。
鱗をそっと取り上げて、バーナビーは笑う。
「この鱗、時々青く光るんです。貴方と繋がってる――」
「正しい使い方って――なんだよバニーもう、お前面白いな」
 時々お前もう、俺が考えもつかないこと言うから、面白くて、素敵で、可愛くて目が離せなくなるんだ。
ずっとずっと見ていたい――、お前が幸せになるところを毎日、数分毎に数えてた。
 酷い話かも知れないが、俺、娘の楓の大切なところ全然見れなかった――そしてそれを思った以上に今後悔してるんだ。
何を引き換えにしてもヒーローやり続けてやるって思って、友恵にも約束してそれでいいって思っていたけど、今になって思うんだよ、なんで観て上げられなかったんだって。そういう選択だってできたはずなのに、俺は俺でお前が後悔してるみたいに、俺自身の勝手な思い込みでそれを台無しにしてたんだって。
 バニー、お前を見てると俺できなかったすべてが戻ってくるような気がした。
楓とも和解できたし、お前の傍にいてもいいって許してくれた。
 もう一回春夏秋冬、楓で見れなかったもの全てお前で代替しようとしてたのかも知れない、――お前もそれは判ってただろうに、俺のずるさなんか賢いお前だったら絶対判ってただろうに、俺が好きになることを許してくれた。
 本当に幸せだったんだ。どんなに感謝してるかわかる? 楓とは違う。家族ではなく、そうじゃなく、他人だったのにお前はこんなに俺が愛してくれることを許してくれたんだって思ったら、本当に大切で愛しくて堪らなかったんだ。
 お前じゃない、俺が愛したかったんだ、誰でも良かったのかも知れない。そんなずるい俺にいいよって応えてくれたのがお前で、だから俺・・・・・・。
「ずっと――ずっと、誰がなんと言っても傍に居たかったんだ。誰かが駄目って言う日が来るまで、それが運命でも互いの死でも。俺はお前を好きになっていいんだって――だから」
 もういい、喋らないで。
バーナビーはまた鱗を虎徹の唇に当ててキスをする。
 その後バーナビーは立ち上がると、そのまま無言で虎徹に背を向けてメカニックルームを出て行った。
虎徹はその後姿を見送る。
きっとバニーは何処かで一人泣くんだろう。
「唇が熱い」
 虎徹がそう余韻に浸りながら呟いた。




[ 186/282 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
【Novel List TOP】
Site Top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -