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SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(23)


 アポロンメディアに着くと軍の医療班が既に到着しており、ベンとロイズの采配でメカニックルームに救急医療設備が持ち込まれていた。
子供が水遊びで使うビニールプールをもっと大きくして浅くしたようなタイプ、スチールウォールと呼ばれるプールである。
5センチ程水が張られたそれにバーナビーは虎徹を運び込む。
ノーマン大尉からの指示で、ビニールシートに水を貯めた状態で虎徹を包み込み、そのまま抱き上げて運搬してきたのだ。
 だがその前の段階で虎徹は予断を許さない状態になってしまっていた。
身体全体、ほぼ9割以上が火傷と同じことになっており、唇はかさつき、全体的にしぼんだ様な余りにも無残な事になっていた。
 医療班が余りの状態に呻きを漏らす。
触れるとそれだけで、虎徹の身体は全体ぐるりと皮膚が崩れ落ちそうな状態にまでなっていた。バーナビーが運び込むまでにも、抱きかかえたビニールシートの端から滴る水は濁った赤銅色をしていた。焼けた体組織と血液が混ざりあったものだと後から知った。
「ブルーローズはまだか」
 誰かがそう呟く。
「スキンシートを出来るだけもってこい、本部にあるストックも全部だ。あとパシフィカルグラフィックにも連絡して、後発でいいからありったけの移植用シートを持ってきてもらえ、イルカ用でもオットセイ用でもなんでもいい、あるだけ全部」
「了解」
 下手に触れられないのかただ虎徹を取り囲んで見下ろしている医療スタッフ。それでも彼らは相当焦っているのだろう。小刻みに身体が震えるのを見て取る。
バーナビーは虎徹を下ろした後邪魔だというように追い払われて、彼の傍に行けない。壁の方に移動しそれでも虎徹から目を放せない――、医療スタッフの一人が「酷い」と呟くのが聞こえた。
「こんな、ぐちゃぐちゃじゃないか」
 そこにブルーローズが飛び込んでくる。
彼女が飛び込んできたとき、医療スタッフたちはみな歓声を上げた。
「ブルーローズさん! 一刻を争います、お願いします!」
「判った!」と言った後、虎徹をみてブルーローズは動きを止める。息を飲んだ。その瞳に見る見るうちに涙が浮かんだ――と思ったが彼女は泣かなかった。
「今から全体を冷やします! 駄目になった皮膚を取り除いて! 後、タイガー・・・・・・、タイガー起きて! 今すぐ起きて! タイガー!」
 彼女は叫んだ。
青い光が二人を包み込む。ブルーローズが虎徹に手を翳して発動、ぱりぱりと表皮が凍る音がする。そして凍った先から焼け焦げた表皮が浮き上がり、ぽろぽろと水の中に零れていった。
「タイガーぁっ!」
 カリーナが叫ぶ。絞り出すように、血の出るような叫び。
「起きて! 駄目よ、起きてタイガー! 起きて発動して、ハンドレットパワーを使うのよ! タイガーお願い! タイガーぁああ!」
 必死の叫び。
バーナビーは何も出来ない。ただ後退った。背がメカニックルームの壁にぶつかって蹈鞴を踏む。
 虎徹さん・・・・・・虎徹さんが、死? 
このまま? こんな風に。
「タイガー! お願い、起きてぇええっ! お願いよ、タイガー、お願い――」
 その時ぴくりと動く左手。
指輪の嵌る薬指のその先だけが人のもので、幻獣化していなくて、そこが反応しうっすらと開かれるルチルクォーツの瞳。
 頬にすうっと涙が零れ落ちていった。そしてブルーローズではないもう一つの青い光が身体を包み込んでいく。
「タイガー!!」
 カリーナが今度は歓喜の声で呼ぶ。
必死にアイスシールドを形成し、更に大きく虎徹の身体を自分のNEXTで包み込む。
パシフィカルグラフィックの獣医がそこにおくばせて飛び込んできた。新しいスキンセット一式を持ってきたという。軍から派遣されてきた幻獣化された人たちを治療してきた実績を持つ医師たち――軍の特殊医療班は血漿の点滴を虎徹のただれた右腕の血管に差込み、皮膚を再生させる特殊なシートを上からピンセットで手早く宛がっていく。
虎徹の能力は一分間しか持たないが、その効果は絶大だった。ピンセットでつまんで植皮の要領で乗せていくシートは見る見るうちに表面に張り付き皮膚を再生させていく。
それでも余りに広範囲にわたって火傷をしてしまった状態になっているため、まずは胸周りから貼り付ける事に専念。ブルーローズの能力には時間制限がないため、ハンドレットパワーが切れて虎徹が再び気を失ってしまった後も彼女はずっとそれから三時間以上に渡って虎徹の身体を冷やし続けた。
一時間毎に虎徹はカリーナの必死の呼び声に目覚め、その度にハンドレットパワーを使い続け、やっとのことで生命の危機を脱した。
 特別誂えの酸素マスクをし、処置台として使っていたスチームウォールプールから、水槽の中に移動。そっと虎徹の身体を横たえる。
ガラス細工のような尾びれがふわりと水中に漂い、グロテスクなチューブが何十本も虎徹の身体に差し込まれたが、少なくともやっと眠る事が出来るようになった。
「ハンサム」
 カリーナが額の汗を拭いながら、僅かに微笑んだ。
「もう、大丈夫よ、タイガーは大丈夫だから・・・・・・」
 それまでバーナビーは目を見開き、まるで彫像のようにずっと壁に張り付いていたが、カリーナのその声に涙を零す。
すうっと頬を流れていく涙、唇を震わせて、それからバーナビーは崩れ落ちるようにその場に座り込むと「うう」と声を殺して泣き出した。
「大丈夫だよ、タイガー助かったよ――、良かったね、良かった――」
 そうしてカリーナはバーナビーを抱きしめながら、彼女もまた人目を憚らず号泣するのだ。
今まで張り詰めていた気持ちの糸が、ぷつんと切れてしまったから。
 水族館の医師も、軍の医療班も全員が全員安堵の息を漏らす。そうしてメカニックルームの床に散らばった医療器具を整え、虎徹の血液と体液、皮膚や鱗の残骸を片付ける。
こうやって見渡してみてもその痕は凄惨で、カリーナは後で振り返って虎徹の傷の深さとその凄まじさに後から震えが止まらなくなってしまうのだ。
 なんにしても緊急事態は脱した。
後は十分に休ませて、また明日今度は下半身の治療をしようということになった。
水槽内の水温設定を低めにして、これ以上ダメージを与えないように細心の注意を払う。
虎徹の呼吸はこんな目に遭ったというのに確かだ。酸素マスクを通じて行われるそれは肺呼吸用のもので、えらからのものではない。虎徹は現時点、水中ではえらからの呼吸を優先してしまう事情があった。しかし今はかなりえらがただれてしまっているので、念のため肺からの呼吸を確保する為に処置したのである。
水槽内のエアーも起動しておいた。バイタルチェックによる現時点の心臓の動きには問題がない。
 軍の車両に戻ります、こちらでも遠隔モニターしてますので、皆さんもお休みになったら如何ですかとノーマン大尉が提案した。
アポロンメディアの休憩室と賓客室の両方を空けて、医師達を休ませることにした。
ベンとロイズが直ぐに場所を整えて、バーナビーとカリーナにも休むように言う。しかし二人とも首を横に振る。ここにいたいというのだ。
 斉藤が察しておやりよとロイズにとりなし、メカニックルームに常備してある寝袋と毛布を二つもってきた。
 バーナビーとカリーナはとりあえず着替える事だけは了承した。
ヒーロースーツを脱ぎ捨てて、二人で虎徹が横たわる水槽の前の床にぺたりと座り込む。
互いに互いの肩を預けて、壁によりかかり、毛布だけを貰った。
二人で寄り添うように毛布に包まって、ただ、ピッピッというモニターの音に聞き耳を立てる。
それからどうやらうとうとしてしまったらしい。
 シュテルンビルトの空が白む明け方、虎徹は意識を取り戻す。
「ば、にぃ・・・・・・」
 吐息のように虎徹がバーナビーを呼んだ。
はじけるように顔をあげて、虎徹の声に瞬時に覚醒したバーナビーが水槽脇へとすっ飛んでいく。
それから彼が横たわる水に満たされた水槽の縁を掴んで号泣するのだ。
「だ、いじょーぶだから・・・・・・ごめんな、俺こんなで――」
「違います、そうじゃない、貴方のせいじゃない、ごめんなさい、ごめんなさい――ごめんなさい・・・・・・」
 触れたい、なのに触れられない。
出来るだけ早く運搬したつもりだった。だけど結果はこうだった。
話し声に気づいた斉藤が起き上がり、モニター室から水槽を見た。斉藤は痛ましい顔になる。カリーナも目覚めて壁際で水槽に縋りついて泣くバーナビーを観ていた。

違う、こんな風に傷つけたい訳じゃなかったんだ。だけどねえ、どうしたらよかったんですか。
「好きだよ」
 虎徹がそう微笑んで言う。
ルチルクォーツの瞳が細められて、この人は今地上では殆ど目が見えないっていうのにこうやっていつもどおり笑顔で。
バーナビーは涙が止まらなかった。何故、どうして。
「ハンサム・・・・・・」
 背後でカリーナが立ち上がり、カリーナもまた水槽の際に立った。
虎徹がうっすらと微笑んだまま、「ブルーローズ、・・・・・・ありがと・・・・・・ごめんな・・・・・・」と小さく小さく呟いてくる。
カリーナも涙が零れそうになって、うんうんと頷くのだ。
「大丈夫だよタイガー、もう大丈夫だからね」
 もう、大丈夫だから。




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