Novel | ナノ

SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(21)

SPLASH8


 深夜の水族館は深海のように何故かひそやかに揺蕩う。
実際はエアーの音や様々な機材の音でかなり騒がしいのだが、人の耳にはあまり知覚されない。
自然界でも海の中はとても騒がしい。
近頃は人類が海に進出してきた事情もあり、くじらたちが同族の通信に困るほどだ。
軍がソナーの実験を行った際は、イルカやくじらが二千万頭近くも異常行動を起こし、186頭が座礁した。
その為海洋ソナー実験の回数を制限するべきだと太平洋湾岸委員会が提案してきたのだが、軍はそれを却下し、今でも実験の回数を減らそうとしない。
海洋研究機構は潜在的危険性を余りにも低く見積もりすぎていると指摘したが、詳しい相互関係は依然謎のまま、全世界レベルでの最新研究が待たれる段階であった。
 海は広く未だに謎に満ちている。
そして其処に棲む生き物たちも、その社会性も――世界も。
 パシフィカルグラフィックの地下一階から地上に出る搬送口に海洋生物輸送用のトラックが停車した。
「今日輸送するスケジュールなんてありましたっけ?」
「緊急だ」
 そうしてゲートパスを示したのは水族館の職員ではなく軍人。
警備員はびっくりして必要もないのに敬礼した。
「幻獣の輸送ですか?」
「説明する必要はない」
 そういいながらゲートパスを出す。
そのパスは、正常に認識された。
トラックの後ろに軍の車両らしき数台の車が控えていた。恐らく警護のためだと警備員はあたりをつけ、ゲートを開けた。
 するすると上がっていくゲートボーの下を通過、多くのセキュリティシステムがあったが全てがオールグリーン。
警備員はなんの疑問も思わず、彼らを見送った。
「ご苦労様です」
車両は夜のシュテルンビルトを出発する。
シュテルンビルトから郊外に延びる、中央ハイウェイインターチェンジへと向かっていた。



 バーナビーは自宅に戻ってベッドに寝転がりながら、虎徹の鱗を顔の前に翳してしげしげと眺めていた。
綺麗な蒼と碧の鱗。金粉を塗したようにきらきらと輝き、ルームランプの光に透けて飴色から様々な色に変化して見える。
 このまま・・・・・・ずっと一生このままってことはないと思いたい。
けれど、もう二ヶ月だ。
本当にどうすれば――いいのだろう?
 軍も何か考えているとは思うけれど・・・・・・と、バーナビーは嫌な予感に身を震わす。
こういう事を考えちゃいけないんだろうけれど、マディソンが死んでくれれば、恐らくみんな元に戻る。
『ガーディアン』という能力について、バーナビーは実は虎徹が人魚になってしまってからかなり詳しく調べていた。
 幻獣使いというのは彼女しか世界中で確認されていないとはいえ、このガーディアンタイプという能力者は割合存在する。
これはその名の通り、「守護」をするあるいはさせる為に何かを従わせる能力の事で、広義でいうと動物使いや、鳥使い等もこの系統に当てはまる。
幻獣使いはその延長上にある能力と言えた。
 そしてこういった能力者たちは、自分が使役したものを解放することも普通は当然できる。だが能力解除には色々な条件が課されることが珍しくなく、能力者本人にも条件を満たす事が難しい事例も多く存在した。だから、最も簡単な方法は そのNEXT保持者を消してしまうことだ。
守るべき相手、従うべき相手が消滅することによって、このガーディアンという能力は強制的に効力を解除することが可能なことが大半なのである。
 彼女が作り出した幻獣は、彼女が自分を守って欲しい――という願いから変化した人々だ。
守るべきマディソンが存在しなくなれば、きっと彼らはみな人に戻るのだろう。
「虎徹さん・・・・・・」
 彼の名前を呟きながら脳裏でバーナビーは最低だと自分自身を罵った。
考えちゃいけない――のに、ここのところ不意にその考えが頭に過ぎって離れない。どうしても失くす事ができない。
 それにこんなこと、軍の連中も、NEXT研究機関の連中も、多分国も判ってる。知ってる筈だ。
 僕は卑怯者だ――誰か自分じゃない誰かが早く決断してくれないかって。
マディソンを誰かが消してくれればいいのに・・・・・・そうしたら僕はなんて酷い事をしただろうと口でいいながら虎徹の無事を喜ぶのだろう。
きっと抱きしめて感謝してしまうのだろう・・・・・・と。
 あー、いやだいやだ、最低だ。ホント駄目だ。僕が人魚になってれば良かった。そしたら虎徹さんはこんな醜い心持なんか一つもせずに僕の傍にきっと居てくれる。
一生離れていかない、彼は人の不幸に敏感なところがあるから――それは惹かれるといったものに近いかもしれない。自覚していないけれど、僕はそれを最大限に利用して彼を――引き止めてるんだ、今も。
 それはとても惨めな考えに思えた。
本当に僕は駄目だ。愛する事にも消極的だけど、愛される事には恐怖すら抱いてしまう。
 虎徹はあんなに屈託なく、自然に愛してくれてるのに、それすらも疑っている自分が居る。
ふーっと長く重いため息をついて、ペンダントヘッドにした虎徹の鱗を目頭に押し当てる。
 それは思った通りひんやりとして冷たかった。
本当に水晶の破片みたいな感触。思ったより丈夫で、しなる。だから落としてもガラスみたいに壊れたりはしないだろうけど、見た形は本当に触れれば壊れる程の儚さだ。
 こんな造形になるなんて自分でビックリだ――と、虎徹も言っていた。
ふと、バーナビーは目を開ける。
それから身を起こして訝しげに鱗を眺めるのだ。
 鱗が青く発光している。息づくように密やかに、まるでため息をつくように。
「え・・・・・・」
 意味が判らずバーナビーはどきっとする。
これは多分NEXTの光・・・・・・だ。マディソン――の? いやこれは虎徹? の?
 胸騒ぎがした。
動悸が治まらなくなって、バーナビーはあたりを見回す。
何故だろう、どうしてこんなに不安なんだろう?
 突然PDAが鳴った。



 最初に気づいたのはイルカの飼育員だった。
妊娠中の雌のイルカ――シーラが一頭おり、出産予定日はまだずっと先だったのだがその日の調子が少し悪かったのもあって、専属の飼育員二人が夜通し付き添っていたのだ。
勿論ザ・オーシャンシー・パシフィックとは違う別の小水槽に移されていて、他のイルカはいない。
 イルカの睡眠は半球睡眠といい、常に片目を開け、回転泳ぎをしながら休息する。
彼らは脳の半分ずつ分けて休ませることが出来るのだ。更にこの方式によって、レム睡眠がない24時間非活動時間がゼロという睡眠を可能とする。
 シーラは十分リラックスして眠っているようだった。
勿論ぐるぐると泳ぎながらなので、ここらは経験豊富な飼育員にしか判らないことだったが。
因みにシーラは右回りで寝ていた。それはこのイルカの故郷が南半球にあるということでもあった。
 しかしそれは突然起こった。
それまで緩やかに右回りしながら泳いでいたシーラが、高速で泳ぎ始めたからだ。
それはシーラが目覚めたということでもあったが、一体何に興奮したのかサッパリ判らなかった。刺激するようなものはこの小水槽には一切存在しないのだから。
「どうしたんだシーラ」
「なんだろう、でも何か、聞こえる?」
 そう、イルカが鳴いている。それも多数。
いやもしかしてパシフィカルグラフィックで飼育されているイルカが全頭ではないかと思わせる。
それもバーク音だ。この音は以前も一度聞いたことがある・・・・・・と飼育員たちは心当たる。
「これって――マリンショーの時に聞いたのと一緒じゃないのか」
 あれってワイルドタイガーが発生源だったんだろと不安そうにあたりを見回し、二人同時に観察室を飛び出る。
ザ・オーシャンシー・パシフィックの最上階にそのまま突っ走ると、その騒ぎに息を呑んだ。
 イルカだけじゃない、ラッコもアシカもオットセイも、魚たちも――皆一様に興奮している。
「下・・・・・・、下に行け」
 何処に? とは彼は聞かなかった。
エレベーターを使えばいいのに何故か階段を駆け下りる。
地下一階――虎徹ともう一体、蛸様の幻獣がいるエリアへと向かう。
そしていつも彼らが潜伏しているあたり――大ホールに来て飼育員は仰け反った。
 ばん!
くぐもった鈍い音。
ザ・オーシャンシー・パシフィックの内側から、あの蛸怪人がガラスに張り付いたのだ。
そして触手で何度も何度もガラスを叩く。その様子は尋常ではなく、恐らく自分に何か伝えたいのだろうと飼育員は思う。
「どうしたんだ・・・・・・、何があった!」
 その瞬間、貫くように思考が駆け抜けた。
音声とは違う、音波だろうか? それは一つの痛烈なイメージを伴っていて、脳裏に響いた。
 人魚が――ワイルドタイガーが連れ去られた。
今さっき、今夜――誰だ、どうして何故、――正規軍のバッチ。

――助けてあげて、私のヒーローが・・・・・・彼が連れ去られてしまった! 良くないことが起こるわ! 早く!

 鈴を振るような綺麗な女性の声だった。
「貴女は・・・・・・まさか・・・・・・」
 飼育員はガラスに手を這わす。蛸怪人はすうっと色を純白へと変え、それからその身を沈めるようにして珊瑚の後ろに隠してしまった。
しかし飼育員の中には全ての情報が一瞬で整理されて収まっていた。
 今ここに駐屯している幻獣対策で回された――ノーマン大尉率いる部隊とは別だ。
同じ正規軍だが、命令系統が違う――海軍のそれも強硬派の仕業だ。何故? どうして? ワイルドタイガーを浚う必要があるんだ?
「ノーマン大尉・・・・・・そか、大尉に知らせなきゃ――。あとそれと」
 飼育員は内線に飛びつくと、軍のセキュリティのいる通信室に連絡を入れた。
すぐに大尉にそれは伝えられ、水族館のすべての施設に灯りが燈される。
真昼のように明るくなったパシフィカルグラフィックの中に、ノーマン大尉率いる部隊が慌しく到着し、現場が改められた。
連絡してきた飼育員はインターフォンでまだ何処かに連絡しているようだ。それを見てノーマンは眉を潜める。少し遅かった――ヒーローたちにもこの連絡が行ったのだろう。
「仕方がない、ヒーロー回線も空けろ、司法局にも連絡」
 いいのですか? と一人がノーマン大尉に聞いたが、仕方が無いだろうという。
「完全に我々の失態だ。ワイルドタイガーの説得も後一歩だったのに、何故待てないのか」
 こうなったら共闘しかない。
「彼を――人魚を失う訳にはいかない! なんとしても取り戻すぞ」
「Yes, sir」
 ノーマン大尉の命令に軍人たちが走り出す。






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