※編集×小説家 慣れた手つきで、もう数え切れないほど訪れているためにすっかり覚えてしまった6ケタの数字を入力すると、ポーンという軽い音とともに自動ドアが開いた。 エントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。 僅かな稼働音とともに上昇する室内を肌で感じながら、ああそういえば部屋に行く連絡をするのを忘れていたなと思い至る。 まあ、いいか。今日が締め切りだということは彼だって分かっているはずだし、事前に連絡したところで彼がお茶とケーキを用意して手厚い歓迎をしてくれるわけでもない。 くだらないことを考えながら、目的のドアの前に立ち、ポケットから取り出した鍵をそっと差し込んだ。 彼に合い鍵を手渡されたのは、俺が彼の部屋に通うようになって3ヶ月ほど経った頃だったか。 最初は何故こんなものを、とも思ったし勝手に部屋に上がり込むことも憚られて、使うこともなかったのだけれど。 きちんとインターホンを鳴らして来訪を告げると、機嫌の悪そうな顔で出迎えられ「テメエが鳴らしたインターホンの音のせいで出かかってたアイデアが消えたから責任取りやがれ」なんて理不尽極まりないイチャモンをつけられてから、大人しく合い鍵を使用することにしている。 カチャリ、と静かにドアを開くと冷房の効いた冷たい空気が肌を刺す。 突当たりの扉の奥が彼の仕事部屋だ。真っ直ぐそこへ向かい、控えめにコンコンとノックをした。 もちろん返事は無かったが、いつものことなので勝手に入らせてもらうことにする。 「平和島先生、S出版の折原です」 机に向かい、パソコンの前で背を丸めている金髪頭に声をかけると、その細い肩がピクリと揺れた。 そこで初めて俺の存在に気づいたかのように、ゆっくりと此方を振り向くと、ばつが悪そうに眉を顰められたその表情を見て嫌な予感が頭をよぎる。 「…お前か」 「お前かじゃないですよ。この間ちゃんと連絡させてもらったでしょう、今日が締め切りだって」 「そんなこともあったっけな」 「…先生、まさか原稿出来てないとか言いませんよね」 意を決して尋ねてみると、より一層顰められた眉に、俺のこめかみがひくつくのが分かった。 出来ていない。これは100%出来ていない。 最初は締め切りをきちんと守る真面目な作家だったのに、近頃の彼は毎回この調子だ。 暫く無言の睨みあいが続いたあと、彼は諦めたように盛大に溜息をつくとガシガシと髪を掻きむしり、机の隅に置いてあった紙束を手渡してきた。 「あれ、何だ。原稿出来てるんじゃないですか」 「一応な。…でも、それじゃ駄目だ」 「何でですか」 「読み返してみたら、最後がどうも辻褄合わねえ気がしてよ。そんなもん雑誌に載せられねえ」 紙を繰り、大雑把に目を通していく。 俺が無言で読み進めている間も、彼は落ちつかない様子で苛々と煙草を吹かしている。 一通り目を通してみたが、これといって大きな問題は無いように思う。 読者により良いものを届けたいという思いは殊勝だが、それで雑誌の発刊に間に合わないのであれば元も子もない。 「確かに、登場人物の気持ちの移り変わりが早いですし何となく流れがぎこちない気もしますけど…そこまで気にすることでも無いでしょう」 「お前が気にならなくても俺が気になる」 「だからと言って、今から書き直すのは無謀ですよ。手直しは単行本のときにいくらでも出来ますから、今回はこれでいきましょう」 「絶対に嫌だ」 頑なに首を横に振る彼の姿に、俺の中の何かの糸がプツリと切れた気がした。 穏便に済ませようと、ひたすら下手に出ていたというのに、まったく嫌になる。 頑固なところは昔から変わらないんだから。 「…シズちゃんさあ、俺がニコニコ笑って毎回君の我儘きいてあげると思ったら大間違いだよ?」 はあ、と大げさに溜息をつきながら仕事のときには決して使わない愛称で呼ぶと、彼が少し驚いたように肩を揺らした。 あからさまに苛々している俺の態度にようやく気づいたのか、戸惑ったような視線を向けられる。 「俺だってシズちゃんの書く話は好きだし、勿論思うように書かせてあげたいけどさ。そうやって作家の我儘きいて締め切り伸ばして、あとで雑誌の発刊に間に合わせるために地獄を見るのは俺たち出版社なんだよ。まさかそれが分からないなんて言わないよねえ?」 「……わ、かってるけどよ」 「それならどうするのが一番賢い選択か、それも分かってるはずだよね?」 「……臨、也」 縋るような目で見られて、揺らぎそうになる心を必死で抑え込む。 今まで彼の我儘を何度もきいて締め切りを延ばしてもらえるように編集長に掛け合ってきたけど、さすがにこれ以上は俺もフォローしきれない。 締め切りを守らない作家なんていくら作品が良くても、出版社からしてみればただの厄介者だ。 そうして仕事を干された作家を今まで腐るほど見てきた。 彼だけには、そうなってほしくない。 「シズちゃん。お願いだから、今回は俺のいうこと聞いて?」 「……でも」 「まだ文句言うつもりなら、その口塞ぐよ」 「え?」 返事を聞くよりも前に、彼の後頭部に手を這わせ引き寄せると、唇を重ねた。 驚いたように見開かれた彼の目が自然に伏せられていく。 息苦しさからか僅かに開かれた唇の隙間から舌を捻じ込むと、ん、と彼の口元からくぐもった声が漏れた。 クチュクチュとお互いの口内から発せられる水音を響かせながら、彼のジーパンのチャックを下げると、驚いたように腕を突っぱねられた。 「ちょ、いざ、やっ…!」 「黙って」 「やめっ…あ、や、やめろ…って…!」 下着の上からでも分かるほど反応している彼自身に手を這わせ、撫でるように愛撫していく。 唇、額、頬、首筋、次々とキスを落としながら下着から自身を取り出して直接扱くと、彼の口から断続的な喘ぎ声が漏れた。 「あ、あ、やっ…ん、駄目っ…」 「シズちゃん、気持ちいい?」 「は、あん、だめっ、も、もうっ…!」 「はい、ここまでー」 「……はっ!?」 彼の性器を愛撫する手を止めパッと体を離すと、快楽でトロンとしていた彼の目が一瞬間を置いて、驚きに見開かれた。 「続きして欲しかったら、今回はこの原稿で我慢すること。いいね?」 「て、てめっ…何言って…!」 「シズちゃんイキたいでしょ?イキたいよね?寸止めなんて辛いだけだよねえ?」 「このっ…下衆野郎!」 「何とでもー」 呼吸を乱しながら真っ赤な目元で睨みつけてくる彼の姿は、扇情的以外の何物でもなくて、早く落ちてくれないと此方の理性が危ない。 きっと小説家としてのプライドと目先の快楽とで揺れに揺れているであろう彼に止めを刺す為に、二コリと笑って一言。 「どうしますか、平和島先生?」 悔しそうに唇を噛み締めて吐き出された「あとでぶっ殺す」なんて物騒な台詞を了承と受け取って、笑いながら彼に口づけた。 |