※サイケと静雄





ああ、うぜえ。
世の中うぜえことばっかりだ。
朝から天気は悪いし、コンビニで買った傘は速攻で壊れるし、取り立て相手の往生際は最高に悪いし、そいつが隠し持ってたナイフで服は破かれるし、当然の如くブチきれてしまってトムさんには迷惑かけちまうし。
最後の自業自得だろだなんて突っ込みは残念ながら受け付けていない。

ああ、うぜえ。とにかくうぜえ。
こんなうぜえ日は、さっさと家に帰って風呂入って寝ちまうに限る。
ぐっすり眠って嫌なことなんて全て忘れてしまおう。そうだ、そうしよう。

そう決めて足早に家路を急ぐ俺の気を知ってか知らずか、厄介事は無情にも降ってくる。
世間や神様というものはどうも俺に優しくないらしい。
畜生、呪うぞ。


「シーズちゃん」


背後から声をかけられる。瞬間、額に青筋が浮かんだ。
俺のことをこんなクソ舐めきったあだ名で呼びやがる奴は1人しかいない。
丁度傍らにあった標識をズルリと引き抜くと、振り向きざま背後に居るであろう男に向けて力の限りブン投げた。
この一連の行動がほぼ無意識のうちで出来るようになっているのだから、慣れって怖え。
それ以上に、暴力嫌いの俺に無意識の範疇でさえ暴力を振るわせるあのノミ蟲が心底うぜえ。

視線で追うことすら難しいほどの速度で真っ直ぐ飛んでいく標識を眺めて、俺はある違和感に囚われた。

あれ、なんか違う。

初めて視界に捉えた俺が標識を投げつけた人物は、思い描いていた男と相違なかったのだが、何処かいつもと違う気がする。
いつもの臨也なら俺の不意打ちの攻撃すら憎たらしいくらいヒラリとかわして、更に俺を激昂させるような憎まれ口を叩いてくるはずなのに。
俺が投げつけた標識に見事なまでにブチ当たって「ぷぎゅう」なんて意味の分からない断末魔を上げるだなんて無様な姿を晒すはずが無いのに。

誰だ、コイツは。
標識に押し潰されて目を回している臨也に近寄って顔を近づける。
よく見ると、服装もいつもと違った。
クソ暑い中でもゴキブリかよってくらいに全身黒ずくめのスタイルを崩さないくせに、今日は何故か白いコートに白いズボン。頭上には何故かショッキングピンクのヘッドフォン。
顔の造りだけ見ているとどこからどうみてもあのノミ蟲のはずなのに、コイツは臨也じゃない。直感的にそう思った。


「ひどいよ…、シズちゃん」
「…ひどかねえよ。性懲りもなく池袋に来るテメエが悪い」


標識の下からガバリと顔を上げて、情けない顔で俺を睨みつける臨也(らしき人物)にそう吐き捨てると、そいつは何のことか分からないとでも言いたげな表情で首を傾げた。
効果音を付けるなら、まさに「きょとん」といった感じの表情で。


「シズちゃん、何言ってるの?シズちゃんの居る所に俺が居て何がいけないの?」
「堂々とストーカー発言か。もう面倒くせえからさっさと新宿に帰れ」
「新宿?シズちゃんの家は池袋でしょ?じゃあ俺の家も池袋だよ?」
「………」


頭がいたい。
何だコイツ、言葉通じねえのかよ。マジで臨也じゃねえのか?
ズキズキと痛むこめかみを押さえると、ハアと心の底から吐き出した深い深い溜息をつく。
標識に押し潰されている男は、不思議そうな顔で俺を見上げてきた。
やめろ、気持ち悪い。臨也と同じ顔でそんな純粋そうな目をするな。


「シズちゃん、どうしたの?具合悪いの?」
「そうだよ、主にテメエのせいでな」
「いたいのいたいの飛んでけーしてあげようか?」
「……いらん」


標識の下から必死に俺に向かって手を伸ばしてくる臨也の姿に、何故か良心がズキリと痛んだ。
標識に押し潰された男をその傍らで見下ろして助けようともしない俺の姿は、何も知らない奴から見たら完璧に俺のほうが悪者に見えるんじゃなかろうか。
ハアともう一度溜息をつくと、臨也を押し潰している標識をヒョイとどけてから、腕を取りぐいと引っ張って立たせる。
ついでにコートに付いた土埃をぱんぱんと手で払ってやると、ぽかんとした表情で俺を見つめていた臨也がにこりと満面の笑みを浮かべた。
その無邪気そのものの笑顔に、俺はう、と胸が詰まった気がした。
何だ、クソ。臨也のくせに可愛く見えるだなんて!

これ以上コイツといると危険だ。
今日のことは犬に噛まれたとでも思ってさっさと忘れて、家に帰って寝ちまおう。
そう決心して、じゃあなと短く声をかけてから踵を返した俺の足が止まる。
振り返ると、俺のベストの端を掴む臨也の姿。…勘弁してくれ。


「シズちゃん、帰るの?」
「…帰るよ。テメエが俺の服を掴んでるその手を離せばな」
「俺も!俺も!」
「はあ?」
「俺も帰る!シズちゃん家に一緒に帰る!」
「はあ!?てめ、何言ってんだ!寝言は寝て言え!つーか新宿帰れ!」
「やだ!マスターと一緒に居ないと俺死んじゃうんだよ!?シズちゃんは俺のマスターなんだから俺と一緒に居てくれないと駄目なの!」
「会話をしてくれ、頼むから!」


もういい、こんな奴放置だ!
訳の分からない事を叫びながら俺の服をぐいぐい引っ張る臨也の腕を振り払い、走り出そうとすると今度は両足を掴まれ、前につんのめった体はそのまま地面にびたんと倒れ込む。
何だこのふざけたコントは。マジで勘弁しろ。

倒れ込んだ俺の背中に馬乗りになり、マスターマスターと繰り返す臨也の姿に目眩がする。
一体何がどうなってこんなことになっているのかは分からないし分かりたくもないが、こんな悪趣味でふざけたことをやりやがる奴はアイツだ。アイツしか居ない。

携帯を取り出し、いつの間にか勝手に登録されていた番号を呼び出して通話ボタンを押した。
画面に表示される『折原臨也』という名前と『呼出中』という文字。


同じ頃、当の臨也も俺と同じような目に遭っていたなんて、この頃の俺には知る由も無い。












サイケたんは可愛い路線でいったほうがしっくり来る気がしますね(^^)