深夜1時。
電話がかかってきた。臨也だ。
「すぐに来て」
一方的に用件だけを告げられて、電話はすぐに切れた。
何処に。
なんて言われなくても分かっている。臨也が俺を呼び出すのは決まってあの場所だ。
何時に。
臨也は、すぐと言っていた。臨也がすぐといえばすぐなのだ。モタモタしていたら怒られる。
俺は眠い目を擦り、Tシャツとジーパンに着替えると、家を出た。


自転車を飛ばして向かった先は、今はもう使われていない古い工場跡地。
何個も並べられたドラム缶のひとつに腰を下ろし、つまらなさそうに携帯を弄っていた臨也は、俺に気が付くと画面から顔を上げてにやりと笑ってみせた。


「やあ、シズちゃん。待ちくたびれちゃったよ」


ぱちん。
携帯を閉じる音が、静かな闇の中やけに響いて聞こえた。
何の用だ、とは聞けなかった。臨也が俺を呼び出すなんてどうせロクでもない用に決まっている。
出来るなら聞きたくなかった。このまま踵を返して真っ直ぐに家に帰りたかった。でもそれは出来ない。そんなことは分かっている。
俺の思いとは裏腹に、臨也は口を開く。


「シズちゃんさあ、よく見りゃ綺麗な顔してるよね」
「…は?」
「だから、シズちゃんにもお仕事をしてもらう事にしたよ」


臨也の台詞が一瞬理解出来なかった。
何でもないことのように告げられたその台詞が俺にとって絶望的な響きを持っていることに気づいた時、体がガタガタと震え始める。
そんな俺の様子を見た臨也の唇が、綺麗な三日月を描いた。


臨也の言う『仕事』が一体何なのか、俺は嫌というほど知っていた。
臨也が仕切っている売春グループ。
そのメンバーは臨也とその取り巻き達と、脅されて売り物にされている学校の女子達だ。
弱みを握られ、脅され、無理矢理客を取らされ、股を開かされる。
売り上げの半分は、臨也達の手に渡り、残りの半分は働いた女子達のものになるらしい。
だが彼女達も決してそんな金が欲しいわけではないだろう。
可哀想だと思った。でも誰も臨也には逆らえない。
『仕事』をやらされている女子達のことを知った時に感じたやるせなさも、どうする事も出来なかった。


「シズちゃんぐらい綺麗なら、変態親父が群がるだろうね。いい商品になりそうだ」


逃げよう。逃げなければ。今度こそコイツから逃げなければ。
がたがたと震える足は地面に縫い付けられたようにぴくりとも動かない。
畜生、何でだ!何でだよ!
奥歯を噛み締めながら顔を上げると、すぐ近くに臨也の笑顔があった。


「でも、初めてってすっごく痛くて苦しいらしいんだ。だから」


俺が慣らしてあげるね

臨也のその台詞を合図にしたかのように、闇の中から数人の男達が現われた。
その中の一人の手に、ビデオカメラが握られているのに気づき、俺は全てを察した。
売春グループで無理矢理働かされている女達の弱味を、臨也は一体どこで見つけてくるんだろうと今まで不思議に思っていた。
でも、分かってしまえば簡単なことだった。
臨也は女達の弱味を探っていたわけじゃない。自ら作り上げていたんだ。


背後から羽交い締めにされ身動きの取れなくなった俺の服を、臨也がナイフで切り裂いた。
生地と一緒に俺の皮膚も少し切れて、ぴりっとした痛みと共に赤い血筋が浮かび上がる。
そのあとのことは何が何だかもう覚えていない。
数人の男達に押し倒され、体中を撫で回され、排便する為の器官に入れ替わり立ち替わり性器を捻じ込まれた。
快楽なんて少しも感じなかった。そこにあるのは、痛みと苦しみと悲しみ。そしてどうしようもない絶望。
俺はいつの間にか泣いていた。涙と涎と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔はひどく滑稽だったろう。
唇を開くと、どうしようもない苦しみから来る呻き声が断続的に漏れた。
ビデオカメラを構える男が、もっと良い声出せよなんて野次を飛ばす。
ふと顔の上に影が出来たことに気づき、虚ろな目で視線をやると、犯されている俺を見下ろす臨也と目が合った。


「シズちゃんの泣き顔って初めて見たけど、あんまり可愛くないね」


つまらなさそうに呟かれたその台詞を聞いたとき、俺の中で張り詰めていた糸が、ぷつん、と切れる音がした。
その糸にやっとのことで絡まっていたものが、深い深い闇の中へ吸い込まれるように落ちていく。

そこにはもう、絶望しか残っていなかった。






翌日、俺は登校するなり鞄を持ったまま屋上へと向かった。
教室に行く気にはなれなかった。だって、教室にはアイツがいる。臨也が、いる。
ごろりと寝転んで、目を閉じる。昨日の別れ際、臨也が言っていた台詞が脳裏に蘇った。


(俺から逃げようとすればどうなるか、頭の悪い君でも分かるよね)
(…じゃあ、明日から宜しくね、シズちゃん)


明日…つまり今日から、俺は『仕事』をやらされる。
これから毎日毎日、俺は男相手に足を開かされ昨日のような苦痛を味わわされることになるのだ。毎日、毎日。
俺が逃げたらどうなるだろう。
昨日ビデオカメラで撮られた俺の痴態を、インターネット上にでもバラ撒かれるのだろうか。
考えるとゾッとする。売春グループのメンバーである女達はずっとこんな想いを味わっていたんだ。
なのに、俺ときたら。何故、どうしてやることも出来なかったんだろう。


瞼を開くと、そこにはどこまでも広がる青い空がぽかりと浮かんでいた。
絵の具を塗りたくったような水色の中、ぽつりと白い鳥が一羽飛んでいる。
俺はいつだったか臨也が言っていた言葉を思い出した。

空を、飛びたい。
そうだ、空を飛びたい。
飛んで逃げるための翼が俺にあったならば。そうすれば、この逃げ場のない苦しみも終わりが来るのだろうか。


ふらふらと歩きだした俺は、いつの間にかフェンスの向こう側に立っていた。
心地良い風が俺の頬を撫で、髪を揺らす。
これ以上進むとどうなるか、俺にだってちゃんと分かっていた。でもその歩みを止めることは出来なかった。

俺の足が、空を踏む。




サヨナラ。
ニンゲンハ、トベナイ。














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