先輩に誘われた会社に入社して1年。
俺は早くも限界を感じていた。

営業成績は伸びないわミスは多いわで自然に増える上司の小言。
毎日イライラすることばかりでストレスも溜まる一方だ。
折角誘ってくれた先輩の顔に泥を塗るのも忍びないが、これ以上続けていけるとも思わない。
そもそも学生時代から同じアルバイトを1ヶ月以上続けられた試しが無い俺が、1年も勤め続けたなんて最早奇跡に近い。
他人からしたら当たり前のことかもしれないが、俺にとっては素晴らしい快挙だ。


鬱々とした気分を抱えながら、休憩室で煙草を吹かす。
あと10分もすれば、また仕事に戻らないといけないと思うと、自然に洩れる溜息を最早我慢する気も起きない。
1本目の煙草を吸い終え、2本目に火を付けた所でキィと小さな音を立てて休憩室の扉が開かれた。
自然と入口に向いた目が、そこから入ってきた人物の姿を確認すると同時に、俺は心の中で悪態をついた。
畜生、なんだってこんな時に。


「あれ、シズちゃん。久しぶりだね」
「……おう」


何が楽しいのか終始笑顔を浮かべながら俺に声をかけてきた折原に適当に返事を返す。
もともとコイツのことは気に入っていなかったが、普段ならまだいい。せめて今だけは会いたくなかった。
相変わらず人のことを変なあだ名で呼びやがって、馬鹿にされているみたいで腹がたつ。
俺がコイツを嫌う理由は、もちろんその人間性にも充分すぎる程の理由があるのだが、それだけではないことを俺自身ちゃんと理解している。
同期入社であるにも関わらず俺なんかより遥かに良い営業成績を残しているコイツに対する嫉妬心。
それを理解しているからこそ腹がたつのだ。


「まだ吸ってんの、煙草?止めたほうがいいよって言ったじゃん」
「テメエにゃ関係ねえだろ」
「何か機嫌悪いね、シズちゃん。生理?」
「殺すぞ」


成立しない会話を気にしてもいないようにケラケラと笑った折原は、自販機でコーヒーを買うと、俺の隣りに腰を下ろした。
缶コーヒーに口をつけながら右手を差し出され、訝しみながら視線をやるとその手にはココアの缶が握られていた。


「俺の奢り。何かイライラしてるみたいだからさ」


疲れてるときは甘いものでしょ、と笑う折原の余裕な態度に俺は心底嫌気が差した。
別にコイツが悪いわけじゃない。折原は俺なんかよりずっと大人だ。
自分より出来のいい人間に対する劣等感に押し潰されそうになりながら、せめてもの抵抗で八つ当たりをしている俺はなんて子供なんだろう。
折原と一緒に居ると、自分の小ささを見せつけられているようで息苦しい。
だから俺はコイツが嫌いなんだ。


「仕事、辞めようかな、俺」


ポツリ、と。思わずこぼれた弱音。
そう呟くと、隣りに座る折原はコーヒーを一口飲み、ちらりと俺に視線を向ける。


「いいんじゃない」
「え」


興味なさそうに呟かれたその台詞に、面食らったようにポカリと口を開けた俺を見て、折原はゆるりと微笑んだ。
何で俺はショックを受けているんだろう。
俺は一体コイツに何を期待していたんだろう。
大丈夫きみは頑張ってるよ、なんてありきたりな励ましを求めていたとでもいうのか。よりにもよってコイツに。
急速にすべての事がどうでもよく思えてきて、ああ本当に辞めてしまおうか、なんて考えがグルグルと頭の中を駆け巡る。


「灰落ちるよ、シズちゃん」
「え、ぅあ、あっち!」


吸っていたことも忘れてボンヤリと指にはさみ続けていた煙草の先から焼け焦げた灰が、俺のスラックスの上へとポトリと落ちる。
もう何やってんの、なんて言いながら折原が俺の手から煙草を取り上げる。
灰皿に煙草の先を押しつけながら、此方に視線を向けた折原の紅い瞳に見つめられ、ドキリと心が撥ねた。


「シズちゃんさ、辞めるなら俺が次の仕事紹介してあげるよ」
「は?…何かアテあんのかよお前」
「うん、俺のお嫁さん」


は?こいつ、今なんて?
いや、言われたことは分かった。分かったのだけど、まさかそんな台詞が飛び出す訳がない。
きっと聞き間違いだ。いや、聞き間違いであってほしかった。


「俺のお嫁さんになりなよ、シズちゃん」


聞き間違いじゃなかった。


「…からかってんのかよ、てめえ」
「まさか。俺はシズちゃんには嘘つかないよ」


にこり、とそれはもう嫌味なほど整った顔で魅力的に微笑まれると、男である俺の顔も自然と紅潮するのが分かった。
くそ、何なんだコイツは。何なんだ、コイツは。


「洗濯と掃除とあとご飯も作ってもらって…あ、エッチは3日に1回でいいや。あんまり求めすぎたらシズちゃんが大変だもんね。毎日シズちゃんと暮らせるなんて夢みたい。いいなあ、そうしよう、うん」
「ふ、ふざけんな」
「ふざけてない。俺はいつだって本気だよ」


初めて見る真剣な表情で見つめられ、大好き、愛してるよだなんて耳元で囁かれた愛の言葉は、俺の胸の鼓動が五月蠅すぎてほとんど聞こえなかった。
真っ赤になってしまった俺の頬にキスをすると、折原は飲み終えた缶コーヒーを投げ捨て、それが弧を描いてゴミ箱の中へと吸い込まれると同時に「シュート!」と言って笑った。









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