「旅行?」
「ああ、明日から一泊二日」


勝手知ったる様子でソファに寛ぎながらテレビを眺めている兄に、ミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレを手渡すと、お礼のついでに言われた言葉に僅かに眉を顰めた。
兄弟といえどお互いの仕事の都合でなかなか予定も合わず、顔を合わせたのはもう数ヶ月ぶりだ。久しぶりに兄と過ごせることに表情には出ないもののかなり浮かれていた気分は「明日から旅行行ってくる」という兄の何気ない言葉で瞬く間に急降下していく。
わざわざ泊まりがけで旅行に行くなんて、同行者は考えずとも明らかだ。きっと兄の「恋人」とだろう。

恋人。
自分で思い浮かべた言葉だというのに、甘やかな響きを含んだその言葉に吐き気がした。そんな言葉は、とてもじゃないがあの男には似合わない。あの男…折原臨也には。

何を考えているのか読み取れない下卑た笑みを浮かべたあの男の顔が脳裏に蘇る。
男同士だからだとか、そんな理由で兄とあの男の関係を認めたくない訳じゃない。例え同性であろうと世間的に白い目で見られるような関係であろうと、兄が幸せになれるというのなら俺は余計な口出しをするつもりは無い。だが、兄の幸せを願うからこそ相手があの男では駄目なのだ。
折原臨也と俺が顔を合わせたことは、数えるほどしか無い。だが折原臨也の悪行の数々は嫌でも耳にしていたし、あの人を食ったような態度から信用するに値しない男だと判断を下すのは充分だった。
そもそも、今の折原臨也が兄とどういった関係を育んでいるのかは知らないが、彼が過去に兄にしてきた仕打ちの数々は消えやしないしそれは今更態度を改めて優しくしたって到底償えるものでは無いのだ。
兄のことを一番傷つけてきた男が、まるでそんなことは無かったかのように素知らぬ顔で兄に触れる。
それが、どうしても許せなかった。


「俺とアイツの休みの予定が全然合わなくて、明日しか都合つかなくてよ」
「…そう」
「だから、明日祝ってやれねぇから…、前祝い」


申し訳なさそうに眉尻を下げた兄の顔を見て、やっぱりそうか、と思った。
明日は俺の誕生日だ。
毎年、誕生日には兄がケーキを手土産に俺の部屋にやってきて、兄弟2人で誕生日祝いをする。この歳にもなって兄弟で誕生日祝いをするなんて珍しいと思われるかもしれないが、俺は秘かに毎年その日を楽しみにしていた。
だが、今年は何故か兄が誕生日の前日である今日に突然俺の部屋を訪れた。まさか日を間違っているわけもないし、おかしいなとは思っていたのだ。だが、やはりそういうことだったのか。
恋人と旅行に行くからお前の誕生日は当日に祝ってやれない、と。つまり兄はそのことを言いに今日ここまでやって来たのだ。


「……いいよ、気にしないで」


兄に背を向けて何でもないような声音でそう告げると、背後で「悪いな」と謝りながらもどこか安心したような兄の声が聞こえた。
気にしていないふりをして明るい声音を作るのは簡単だ。だが、俺の動かない表情から僅かな感情の揺れを敏感に読み取る兄の前では、腹の底で燻ぶる想いまでは隠せない。
キッチンに引っ込み食器を片付けるふりをして顔を見せないように兄に背を向けながら、俺は黒い感情を渦巻かせたまま唇を噛みしめた。




翌朝は、快晴だった。
綺麗な青空。旅行日和、というに相応しい清々しい天気だった。
だが、晴れ渡る空とは真逆に俺の心の内は薄暗く曇ったままだ。
朝7時半。いくら旅行の日といえど、こんな時間ならまだ兄は家に居るだろう。そう思い、先程兄にメールを送った。
後戻りなどもう出来ないのに、そのメールの内容を思い返すとどうにも沈鬱な気分になり、頭から布団を被り固く瞼を閉じる。
兄は、いつだって弟である俺のことを一番に考えてくれた。何があろうと、他の何よりも俺のことを優先してくれた。それは昔も今も変わらない。例え比べる対象が兄の恋人であろうと、きっとそれは例外じゃ無い。


『風邪ひいちゃったみたい。しんどくて、ひとりだと心細い』


我ながら子供じみたメールを送ってしまったと思う。
こんな幼稚な手段で兄を自分に縛りつけようとするなんて馬鹿な行為だと思う。
いくら折原臨也を認める気がないと言っても、別に兄とあの男の関係に出しゃばって口を挟むつもりは無い。
だが、誕生日くらいは、兄離れ出来ない馬鹿な弟の我が侭を許してほしい。

枕元で震えた携帯に手を伸ばすと、画面表示には兄からの新着メール。
『すぐ行く』
と書かれた兄からの返信を見て、罪悪感と嬉しさで泣きたくなった。









song by 宇多田ヒカル



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