「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」


殺意のこもった言葉を呪詛のように繰り返しながら、身も凍る寒さの中を一切の防寒具も纏わずに疾走する。追うのは目の前の黒い背中だ。

一体何でこんなことになってしまったんだ。
ひらりひらりと逃げ続ける背中を追いながら、数十分前の出来事を思い返してみる。
今日は大晦日であり、仕事納めの日でもあった。いつもより早めに回収業を切り上げた俺達は事務所の人達と忘年会に繰り出した。
一次会で腹を満たし、その後の二次会でゆっくりと酒を飲んだ。俺はあまりアルコールに強いほうじゃない。飲めもしないのに自分の限界を弁えず無闇やたらとアルコールを摂取して酔っ払うのはみっともない。それに俺はいつも理性を無くした暴力でトムさん達に数えきれないほど迷惑をかけているのだから、せめてちゃんと自分の意識を保てている時くらいは自制したいのだ。
そんな思いもあって割と早いピッチでグラスを空けるトムさんやヴァローナに反して、俺は嗜む程度の量しか口にはしなかった。
他愛も無い話をしながら酒を飲み、二件目を出る頃にはもう割といい時間になっていた。程良く酔って火照った身体を冷たい夜風に晒すのが心地良い。この後は「良いお年を」だなんてありふれた挨拶を交わしながらそれぞれ自宅に帰っていくだけのはずだった。
なのに、その予定と折角いい気分になっていた俺のテンションを変えたのは、風に乗って運ばれてきたクソむかつく悪臭だ。
振り返ると、案の定ノミ蟲が居た。「やあ、シズちゃん」と言葉を発したノミ蟲に、返事を返す気にもならなかった。
こいつが池袋に来ているのは腹立たしいことだが、折角の大晦日にこんな奴とまた無駄な喧嘩をするのは御免だった。
見逃してやろう。
そうだ、折角俺が珍しく寛容な心でこいつを許してやろうとしたというのに、事もあろうに俺のその気持ちを受け入れなかったのだ、この恩知らずのクソノミ蟲は。
臨也は、何も言わずただ睨みつけているだけの俺にずかずかと近づいてくると、すれ違いざまに目にも止まらぬ鮮やかな手付きで俺の首に巻かれていたマフラーを奪い取っていった。しかも「シズちゃんに白なんか似合わないよ」という馬鹿にしきった捨て台詞まで残して。
その白いマフラーは幽が俺にクリスマスプレゼントとして送ってくれたものだった。
弟からの心のこもったプレゼントを奪われたばかりか馬鹿にまでされて大人しく黙っていられるはずがない。
結局、先程までの寛大さは何処へやら。いつも通りの追いかけっこが始まってしまったのだ。


「待ちやがれ!このっ…、ノミ蟲野郎!」


待て、と言われて待つ奴が居るわけが無い。だが、口にせずにはいられないのだ。
全力疾走で追いかける俺とは裏腹に、臨也はまるで風に乗っているかのような軽やかさで逃げ続ける。
いつの間にか明るい繁華街を抜けて辺りは人通りの少ない暗い路地裏になってきていた。
ふと目の前を走っていた臨也が急に角を曲がる。慌てて追いかけたが、俺が角を曲がった頃にはもうそこに臨也の姿は無かった。


「クソッ…、相変わらず逃げ足だけは早いヤローだ…」


立ち止まると、数十分も走り続けた疲労感が一気に押し寄せてくる。ハア、ハアと息を切らしながら僅かに滲んだ額の汗を拭った。
畜生、何処に行きやがったんだ。
苦々しい表情で思わず舌を打つ。まだ遠くには行っていないはずだ。足音が聞こえるかもしれない、と耳を澄ませてみると代わりに聞こえてきたのは足音では無く無機質な機械音だった。
突如響いた甲高い音にピクリと肩が揺れる。ピリリと鳴り響くそれは俺のポケットに入れられている携帯のコール音だ。
何か嫌な予感を感じながらも携帯の画面を開くと、そこに表示されていたのはある電話番号だった。
番号のみが表示されるのは、アドレス帳に登録されていない証拠だ。だが俺にはその番号に嫌というほど見覚えがあった。


「……何処にいやがる」


嫌々ながらも通話ボタンを押して不機嫌な言葉を投げかけると、受話器の向こうから聞こえてきたのはクスクスと小さく漏れる笑い声だった。


『可哀想なシズちゃん。今年も俺のこと殺せやしなかったねえ?』


投げかけた俺の問いに答えるつもりは無いらしい。
全く関係の無い話を切り出した臨也の耳に纏わりつくその声から、楽しくって仕方が無いといった様子の奴の表情が目に浮かぶ。


「そう思うなら大人しく死んでくれるか、臨也くんよぉ」
『やだよ。すんなり死んでやる気なんかこれっぽっちも無いね。来年も再来年もその次も、君が俺のことを追い続ける限りずっと、ね』


何処だ。何処にいやがる。
遠く聞こえる繁華街の賑わいが五月蝿くて何も聞こえやしない。臨也の場所を探ろうと受話器の向こうの音に耳を澄ませてみても、俺が聞いているものと同じ声や音しか聞こえてこないのでアイツもきっと近くに居るはずだ。
かつん、かつんと受話器から聞こえるこの音は臨也の靴音か。…いや、違う。これは電話の音じゃない、俺が聞いている実際の…、


「『さて、』」


背後で聞こえた声と電話の声がリンクする。
反射的に振り返ると、いつの間にか背後に居た男の姿を視認するよりも先に頭を掴まれ、唇に押し当てられたものは予想もしていなかった温もりだった。
突然自分の身に降りかかった出来事に訳が分からず固まってしまったその瞬間、繁華街のほうからワッと歓声が沸き起こった。テレビ中継を流していたらしい街灯モニターから、若いアイドル達の「明けましておめでとうございまーす!」という甲高い声が耳に届く。


「ハッピーニューイヤー、シズちゃん。最低で最悪な年明けだね」


唇を離した至近距離でソッと囁かれた臨也の言葉。
離れていく温もりにようやく我に返った俺が繰り出した拳は、やはり軽々と避けられてしまった。
何なんだコイツは何なんだコイツは何なんだコイツは!
コイツは今俺に、何をした!
路上に唾を吐きだして、擦れて赤くなってしまうくらい唇を拭っている間に、臨也の背中は随分と遠いところまで行ってしまっている。
追いかけようと足を踏み出すと、フワリと揺れるものが視界の端に映った。首元に手を伸ばすと、指先に触れたのはいつの間にか大雑把に巻かれていたマフラー。だがそれは臨也に奪われたものとは全く違う、誰かさんを彷彿とさせる漆黒のマフラーだ。


「シズちゃんに白なんか似合わないよ!」


遠ざかっていく臨也の背から、いつかに聞いたものと同じ台詞が叫ばれた。
人の口に汚えもん押し付けやがってとか、最低最悪だと毒を吐きたいのは俺のほうだとか、頼んでもいねえマフラー勝手に置いていきやがってとか、言ってやりたいことは山ほどある。だが、人の口は一個しか無いのだから、吐き出せる言葉だって限られている。
それならばとりあえず、今一番言ってやりたいことはこれしか無い。


「…っ、俺のマフラー返しやがれ!」








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