「四の五の言わずにこれを着ろ」 相変わらずの横暴な上から目線でそう言い放ったシズちゃんの手には、可愛らしいワンピースが握られていた。 レースをあしらった白い膝丈の清楚なワンピースに、黒色の透けニットのカーディガン。 どこからどう見ても女物にしか見えないそれは、間違っても昨晩の情事で汗ばんだ身体をシャワーで洗い流した後にパンツ一丁で洗面所で髭を剃っている男に手渡すべきものでは無い。 冗談を言っているのかとも思ったが、シズちゃんの目は至って真剣だし、そこそこ値が張りそうなこの服をこんなくだらない冗談を言うためだけにわざわざ用意するとも思えない。そもそも彼はこんな趣味の悪い冗談を好んで言うような人間では無いのだ。 恋人からの訳が分からない突然の要求に何を言うことも出来ず目を瞬かせている俺に焦れたように、シズちゃんは俺の手を取ると頭から強引にワンピースを被せてきた。 「ちょちょっ…ちょっ、シズちゃん!」 気が動転しながらも抵抗してみたが、数秒後には白いワンピースを着て黒いカーディガンを羽織り、ご丁寧に用意されていた黒髪ロングのウィッグまで被せられた俺の姿があった。 姿見で全身を確認してみると、どこからどう見ても女性にしか見えない自分の姿に思わず溜め息を溢す。 女にしてみると身長がでかいかもしれないが、別に今時珍しいほどでも無いだろう。 勢いでスネ毛まで剃られてしまったが、たったそれだけの処置を施しただけで、女物の服を着てウィッグを被せられてしまえば、女性にしか見えないとは何とも自分が情けない。 もう少し筋肉付けようかなぁ、なんて思案に耽っていると、寝室の扉が開いてそこから俺をこんな姿にした張本人が何食わぬ顔で姿を現した。 彼もいつのまにか寝間着のジャージから普段着に着替えている。 黒色の無地のカットソーと履き古したジーンズにジャケットを羽織っただけのシンプルな格好だが、元々スタイルが良いシズちゃんは割と何を着ても様になる。 いつものバーテン服ではなく、見慣れない私服姿のシズちゃんにぼんやりと見惚れていると、俺の姿を一歩引いた所から上から下まで改めて眺めた彼が、満足気にうん、と頷いた。 そして俺の手を取ったかと思うと、あろうことかシズちゃんはある一点に向かってずんずんと歩き始めたのだ。 事もあろうか、玄関に向かって。 「ちょっ、待っ…冗談!」 まさか、この格好のまま外に出る気なのか!? それだけは何としてでも阻止しなければ、と必死に地面に足を踏ん張ってみたが、シズちゃんの力には勿論敵うはずも無い。 必死の抵抗も虚しく、俺は女物のワンピースを着た情けない格好のまま外に連れだされることになってしまったのだった。 シズちゃんの突然の奇行も、事情が分かってしまえば何てことはない些細な理由だった。 頭がおかしくなった訳でも、突然の倒錯的な女装趣味に芽生えた訳でも無い。 彼の目的は、スカートを履いた俺の痴態では無く、駅前にあるカフェの秋の新作パフェだったのだ。 栗やさつま芋などの秋らしい食材がふんだんに使われたその期間限定パフェを食べてみたいものの、一緒に連れていけるような女友達は居ない。 かと言って男一人でパフェを食べるために入れるような店じゃない。男二人だともっと寒い。 だがどうしてもその新作パフェを諦めきれなかった彼が、無い知恵を振り絞って考えて思いついた方法が、これだったのだ。 「…だからって、俺を女装させるっていう結論に至っちゃうところが流石シズちゃんだと思うよ。突飛っていうか馬鹿っていうか何て言うか…」 「似合ってんだから別にいいだろ」 「あ、うん、そういう問題じゃないよね」 確かに、自分で言うのも何だが俺の女装は完璧だ。そんじょそこらの女よりも可愛い自信がある。 さすがに知り合いに見つかればバレてしまうだろうが、俺のことをよく知らない奴らから見ればこの白いワンピースがよく似合う清楚な女の子が、まさかタマの付いてる男だなんて誰も疑いすらしないだろう。 シズちゃんも今日は珍しく私服姿だし、彼のトレードマークであるバーテン服とサングラスを取っ払ってしまえば、幸せそうにパフェを頬張っている彼が平和島静雄だとは誰も気付かない。 それどころか周囲のテーブルに座っている女性客から、全くもって目障りな視線がチラチラと投げかけられる始末だ。 その視線はいつも彼に向かって投げかけられる畏怖が込められた視線では無い。それとは真逆のもっと好意的なものだ。 (…まあシズちゃん、普通にしてりゃ格好いいし) 平均よりかなり高めの身長にスラリと伸びた手足、さすがアイドルの弟を持っているだけあって目鼻立ちの整った顔付き。 化け物じみた怪力さえ無ければ、恐らくかなりモテていただろうと思わせるその容姿。 そんな誰もが振り返るような男前である彼が自分のオンナなのだと思えば、思わず優越感が込み上げてくるが、今女にさせられているのは自分のほうだ。 (…何やってんだろうな、俺) 今の自分の姿を省みて、改めて情けなく思いながら溜め息をひとつ溢す。 すると向かい合わせに座っているシズちゃんが此方をじっと眺めていることに気が付いた。 正確には、彼が眺めているのは俺じゃない。テーブルに置いてある俺が頼んだパフェのほうだ。 俺自身はシズちゃんほど甘いものが得意じゃないが、こんなにも恥ずかしい思いをしてここまで来たというのにコーヒーひとつで済ませるのもどうかと思ったので一番甘さが控えめであろう抹茶パフェを頼んだ。 自分のパフェをスプーンで口に運びながらも、無意識かもしれないがシズちゃんの視線は抹茶アイスに小豆が飾られたそのグラスにじっと注がれ続けている。 「…欲しいの?」 様子を窺いながら声をかけると、ピクリと肩を揺らしたシズちゃんが顔を上げようやく彼の視線が俺を捉える。 人のものを欲しがるなんて卑しいとでも思っているのか、シズちゃんは少し戸惑ったように視線を彷徨わせた。だが結局欲には勝てなかったようで、小さく「…おう」と呟いた彼の声が俺の鼓膜を揺らす。 別に遠慮すること無いのになあ、と思いながら彼にグラスを差し出そうとしたが…、やっぱり止めた。 途中で動きを止めた俺を訝しむように小首を傾げるシズちゃんの視線を感じながら、俺は自らのスプーンでパフェを一匙すくうと、アイスと小豆と生クリームが盛られたそのスプーンを彼の口元へと運んだ。 「シズちゃん、はいあーん」 語尾にハートマークでも付きそうなほど甘ったるい口調でそう言ってやると、訳が分からず一瞬ポカンと口を開けたシズちゃんの顔がみるみるうちに朱に染まっていく。 「ばっ…かじゃねえのか!食うわけねぇだろ!」 「えー、別に変なことじゃないよ。世の中のカップルは普通にすることだよ?」 真っ赤な顔で目を逸らしながら「…そんなことしてる奴ら見たことねえ」と小さく呟いたシズちゃんの言葉は尤もだ。俺だってそんな絵に描いたようなバカップルを実際に見たことなんて無い。 でも俺だってここに来るまで、いや今現在進行形で、男としてこれ以上は無いほどの屈辱的な羞恥プレイを強いられているのだ。シズちゃんだけがいい思いをするなんてあまりに不公平。これぐらいの反撃、あって然るべきだろう。 「別にシズちゃんがいらないなら、いいんだよ?俺が食べるだけだから」 そう言ってシズちゃんの口に差し出したスプーンの軌道を変え、自らの口に運ぼうとすると、彼が咄嗟に手を伸ばして俺の腕を掴む。 勢いで俺を止めてしまったものの、彼自身はまだどうしたものか考えあぐねているようだ。うー、だのあー、だの低く唸る声が聞こえてくる。 だが結局、甘味を求める欲求に打ち勝つことは出来なかったらしい。 俺の腕を掴む力が少し緩まったのに気付き、スプーンを再びシズちゃんの口元へ運ぶと、彼は2,3度視線を彷徨わせてから覚悟を決めたようにパクリとスプーンに齧り付いた。 その瞬間、先程まで険しい顔をしていたシズちゃんの頬が少し綻ぶ。 「美味しい?」と聞いてやると素直に「おう」と一言返事が返ってきた。 少々調子に乗ってしまった自覚はあったので、もっと怒られるか機嫌を悪くされると思っていたが、渋っていたのは最初だけで俺の手からパフェを食べたことに関しては実際やってしまえば大して気恥ずかしさも感じていないらしい。 周囲から見たらバカップルに他ならない俺達の振る舞いを、冷やかすように見ている周りの客の視線も特に気にしていないようだ(単に気付いていないだけかもしれないけれど)。 その反応を少しつまらなく感じながら、依然目の前のパフェを頬張ることに忙しないシズちゃんの顔に目を遣ると、彼の口元に生クリームがついていることに気がついた。 「シズちゃん、口付いてるよ」 「あ?」 口元にクリーム付けたまま気が付かないとか、どこの少女漫画のドジッ子だよ。 そんなことを思いながらもご丁寧に指摘してやったというのに、シズちゃんは俺のその言葉を受けてクリームが付いているほうとは反対の口元を拭うという、これまたお決まりのボケをやらかしてみせた。 本当こいつ狙ってやってんのかな。と一瞬疑ってみるもののシズちゃんにそんなあざとい思考があるはずも無いので、これは紛う事無き天然故の所業だろう。全くもって罪深い。 「そっちじゃなくてー…、」 反対だと教えてあげようと口を開いて突いて出た言葉は、途中で止めて喉奥に再び押し込んだ。 この状況をフル活用する妙案を思い付いたからである。 中途半端に言葉を止めた俺を訝しむように小首を傾げたシズちゃんの視線は無視して、テーブルに手を付くと少し身を乗り出し彼の口元に顔を寄せる。 「こっち、だよ」 そう囁くとシズちゃんが驚いて身を引くよりも先に、彼の口もとに付いた生クリームをぺろりと舌で舐め上げた。 とろりとした感触と共に柔らかい甘さが口内に広がる。自分のパフェに乗っていた生クリームと全く同じもののはずなのに、何故だか彼の口元から奪いとったもののほうがとても甘く感じた。 あーんまでは辛うじて許されていたとしても流石にここまで調子に乗ったことをすると、いい加減シズちゃんの怒りを買ってしまうだろう。 数秒後に飛んでくるであろう鉄拳を避けるために素早く身を引いたが、いつまでたっても予想していた拳が俺の眼前を横切ることは無かった。 「……シズちゃん?」 「…今まで、そんな気にしたこと無かったけどよ」 「え?」 「普通に男と女なら、どこで何しようと人目なんか気にしなくていいんだよな。…当たり前だけどよ」 そう言ったシズちゃんの視線は、目の前の食べかけのパフェにじっと固定されたまま動かない。 なんでもないことのような声音で呟かれたその台詞。だがその言葉の中に確かに含まれた寂寞とした想いは驚くほど俺の胸を打った。 確かに今までシズちゃんと会っていて、あーんだとかキス紛いのことだとかそんな振る舞いを外でしでかしたことは当たり前だが一度も無い。 それ以前にシズちゃんと一緒に出かけることなんてほぼ無いに等しいし、会う時はいつも互いの家ばかりで、俺のほうから彼をデートに誘うようなことも殆どしなかった。 それは俺が折原臨也で彼が平和島静雄だから、という人目を気にせざるを得ない関係性であることも勿論あるが、それ以前に俺も無意識に男同士であることを意識してしまっていたのかもしれない。 他人と触れ合うことに対して臆病なくせに人一倍愛されたがりの彼は、俺のその消極的な態度に少なからず不安を感じていたのかもしれない。 数秒の沈黙が流れ、それを気まずく思ったのかシズちゃんは居心地が悪そうにもぞもぞと身体を動かすと、手持無沙汰にティーカップの中の紅茶をぐるぐると掻き回し始めた。 カチャカチャと銀のスプーンと陶器のカップが触れ合う音を聞きながら、俺は彼を安心させる為の言葉を必死に頭の中で探し続ける。 「…俺は、君との関係を恥ずかしいと思ったことは一度も無いよ」 その回答が正しい選択だったのかどうかは、顔色を変えずぐるぐるとスプーンを回し続ける彼の様子からは、計ることが出来ない。 だが僅かに綻んだシズちゃんの表情から、間違ってはいなかったのだと思うことにする。 「…そういう格好つけた台詞は、スカート履いてねえ時に言えよ」 冗談めかして苦笑交じりに零されたシズちゃんの言葉に、俺がこんな格好をしているのは一体誰のせいだと言ってやりたくなった。 だが、目を伏せたシズちゃんがあまりにも静かで綺麗な微笑みを浮かべているものだから、俺は結局何も言えずに口を噤む。 カップに手を伸ばし冷めたコーヒーに口を付けると、苦味がじんわりと口内に広がった。 |